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一日の授業を終えて校舎を飛び出した一希を、校門前で名城が待ち構えていた。 「よお、やっぱり今日行くつもりだな?」 「ああ。だから今日は飯食いに行けないから」 「俺も一緒に行ってやるよ」 「は? 何でだよ。いいよ、別に」 「いいから連れてけよ。お前一人じゃ、絡まれたり、相手の男にケンカ売ったりするだろ」 決めつけられてムッとするが、反論はできない。 話しながらも足早に駅に向かう一希の隣を、名城は長い足でピッタリと付いて来る。 正直、少し心細かったし、そこまで言うなら断る理由もない。しかしそれを喜んでみせるほど素直でもない一希は、しょうがなく了承する素振りでため息などついてみる。 「…あんたって、俺とヤりたくて会ってるわけじゃないんだ」 そんな風に言ったのは、ただの照れ隠しだと思う。言われた名城は、気分を害した風もなく笑った。 「馬鹿野郎。俺とヤりたくて声かけてきたのはお前だろ」 「あ、そうだった」 「忘れてんじゃねえ」 そんな言い合いをしているうちに、最寄り駅にはすぐに到着する。 長いのはそれからだ。約三時間の道のりを、二人並んで電車に揺られた。 会話はそれほど多くはなかった。前日、深夜バイトだった名城は、すぐに眠くなったと言って眠ってしまった。 停車駅で電車の扉が開くたびに、名城が愛用している香水のセクシーな香りが風に乗って届く。名城に似合うクールでセクシーな香りの中に、ほんのりバニラの甘さが混じっている。今日も家を出る前に、あの甘い煙を漂わせてきたのかと思うと、なんだか微笑ましい。 時折感じるその香りを嗅ぎ分けているうちに、いつしか一希も眠ってしまっていた。 「…おい。一希、起きろ」 「ん〜…?」 「一緒になって爆睡してんじゃねえよ。降りる駅、過ぎてねえだろうな」 言われて、ようやく電車に乗っている事を思い出し、寝起きでぼやける目を窓の外に向けてみた。もう辺りは真っ暗だが、ちょうど駅に停車中で、その駅名の表示がすぐに見つかった。 「あ、次で降りる」 「マジかよ。あぶねーな」 「あー、よく寝た。一服してえ」 「それより、あいつら知り合いか?」 「あ?」 顎で示された方を見ると、数人の男が鋭い目でこちらを睨んでいる。 よく一希達に絡んできていた、近くの高校の学生だ。引っ越す前に、圭人と二人で待ち伏せしてボコボコにし、勝ち逃げしてそれきりだ。 正直、面倒な相手に見つかってしまった。 「…先輩が一緒に来てくれてよかった」 「わざとらしい」 「え、こういう時のために来てくれたんだろ?」 「止めるために来たんだよ。お前の親友のダメ彼氏をこっそり見るんだろ? 目立つことするんじゃねえよ」 いつもよりも真面目な声で耳打ちされたが、もう一希は睨み付けてくる男達から、目を離せなくなっていた。 勝ち逃げした時の爽快感を思い出し、血が騒ぐ。 「睨むなって」 「ムリ。俺、あいつらに恨まれてるし」 「何やったんだよ」 「別に。転校前にボコって勝ち逃げしただけ」 「お前マジで喧嘩っ早いな。顔に似合わね…」 最後まで聞かずに、一希は肘で名城の腹を打とうとしたが、寸前で、それに気付いた名城に腕でガードされてしまった。 まるで自分はケンカなどしていないように言われて、納得がいくわけはない。先日、公園で揉めていた時の様子からもああいった出来事に慣れているのがわかったし、後で面倒なことにはならない程度に計算された攻撃にも、余裕を感じられた。 「顔は関係ねえだろ。あんただって喧嘩慣れしてるくせに、自分は違うみたいな顔しやがって」 「自分から喧嘩売ったり混ざったりするお前と一緒にすんな。俺の喧嘩は自衛手段だ」 「あんたが喧嘩を売られるのは、手当たり次第に女と遊んでるツケだろ?」 自分で言った言葉のせいで、余計にイライラしてきた。そんな一希を名城がニヤニヤしながら眺めるので、ますます腹が立つ。 「今日はバイトないから泊まっていけよ」 耳元で囁かれた意味深な誘いの真意を探る為に、一希は目を眇めて、見つめてくる名城の目の奥を覗き見た。 突然、話題を変えて誘ってきたのは、そう言えば一希の不機嫌が少なからず治るとわかっているのだろう。 いい加減、一希自身もそのイライラの原因が嫉妬であることを自覚しつつある。しかし、そんな女々しい自分は許せない。 「気が向いたらな」 素っ気なく答えて、席を立つ。ちょうど駅に着いて開いた扉からホームに降り立った。黙って後ろを歩く名城は、そんな一希を見て笑っているのだろう。 構わず足早に改札を通り抜け、商店街とは逆の、古びたアパートが立ち並ぶ土地へと向かう道に足を向けた。 この辺に住んでいるらしいと情報を提供してくれたのは、圭人と小学校の頃からの幼馴染だという後輩だ。ゲイバーで働いているらしいと相談してきたのもその男だった。 先輩、後輩、同級生と友人の多かった圭人だが、今は誰とも連絡を取らずにいるという。幼馴染の後輩も、心配するなと連絡があったきり音信不通になっているらしいが、一希には住む場所が離れたことで、カミングアウトしやすかったのかもしれない。 きっとゲイバーで働いている事を一希に知られた事も、その店を探し出して訪れた事も、圭人には予想外だったのだろう。 駅から少し歩いて、一希はすぐに立ち止まった。 「さて、どうすっかな」 「わかんねえ奴だな。やめとけって。騒ぎになってお前の親友にでも見つかったら台無しだろ」 一希がひと気のない場所へ向かう理由は、名城にはお見通しだったらしい。 せっかくの名城の制止だったが、一希が考え直す間も無く、電車でこちらを睨んでいた連中が背後から近付いてきた。 「てめえ。よくこの町に顔出せたな」 「ああ?俺の勝手だろ。てめえらこそ、負け犬が随分と偉そうにしてんじゃねえか」 「…んだと? 」 一希の言葉で、男達の目が変わった。背後では名城がわざとらしいため息をつく。 一希は喧嘩が嫌いじゃない。もちろん負けるのは御免だが、理屈の通らないただの殴り合いが始まる時、理性を捨てて本能のみで身体を動かす感覚がたまらない。 セックスと似てるかもしれない。 特に名城とのセックスは、理性を手放す瞬間の解放感が癖になるのだ。ただ、大きく違うのは、セックスの時には名城に組み敷かれても平気だという事。 喧嘩をしている時は、相手にマウントポジションを取られるなんて冗談じゃない。しかし名城に抱かれる時、逞しい身体に組み敷かれ、好きなように蹂躙されたり、からかわれたり、恥ずかしい言葉で虐められたりする事に一希は興奮する。 チラッと背後を窺うと、目が合った名城が一希の頭をくしゃっと掻き回した。 「しょうがねえな。さっさと済ませるぞ」 結局は一希のワガママに付き合ってくれる。初対面でも乗り気じゃなかったセックスに付き合ってくれたし、喧嘩を止められた時も、気が収まらない一希を宥めてくれた。 その反面、セックスでは意地悪く一希を焦らしたりする。そのギャップが嫌いじゃない。 そんな事を考えながら、一希は目の前の連中を再び睨み付けた。 相変わらず、名城の喧嘩の仕方は上手い。派手な傷は作らず、確実に相手が動けなくなるようなダメージを与える。そして一希は相変わらず手加減が甘い。加減しているつもりでも、いつの間にか一希の周りには気絶した男達が転がっている。 「一希、てめえはまた…。なんでちょっとくらい加減できねえんだ」 息も乱さない名城に腕を掴まれた一希は、荒い息遣いのままその広い胸に寄り掛かった。 「んなまどろっこしいことできっか」 「く…っ、調子に乗りやがって…」 自分達の負けはわかっているくせに、リーダーの男はまだ悔しそうにこちらを睨んでいる。地面に膝をついてるその男の顔を、とどめに一発蹴りつけてやろうとしたが、それに気付いた名城に止められた。 「もういいだろ。さっさと済ませねえと、終電逃すぞ」 確かに帰り道の時間を考えると、それほどのんびりもしていられない。 「ちょっと、あんた達!いい加減にしないと警察呼ぶわよ!」 いきなり怒鳴り声が割って入り、アスファルトの上にのびていた男達が、「やべえ!」と、慌てて逃げ出した。気絶していた奴らもきちんと抱えていってくれて、一希はホッとした。 そして声の主へ視線をやって、見覚えのある姿に目を見開く。 「あら? やだ、ケイちゃんのお友達よね?」 「あ、こ、この前はどうも…」 いさましく仁王立ちしていたのは、圭人の勤め先を訪ねた時に声をかけてきた男だった。今日は完璧なメイクで顔が作られていて、一見するとちょっとガタイのいいモデルのようだ。しかし先程割り込んできた声は地声の低音で、一希に気付いて高くなった声音に少々戸惑う。 「ひょっとしてケイちゃんのお見舞いに行くの? 仲直りしたのね?」 「え、お見舞い?」 「あら、違った?」 先日、圭人と会った時に気付いた顔色の悪さを思い出し、一希は嫌な予感がした。 「圭人とはこの前ケンカしてから仲直りしてなくて…。何かあったんすか?」 「あらやだ、そうなの?」 男は口元に手を当てて驚き、それから何事か思案するような表情になった。その眉間に見る見る皺が寄り、ますます嫌な予感がする。 「ケイちゃん、昨日は体調が悪いとかでお休みしたのよ。ここ最近ずっと顔色が悪かったし、今日も出勤できるのかしらって皆で心配してて…」 確かに顔色の悪さは一希も気になっていたが、仕事を休んだと聞いて、ますます心配になる。 何も言えなくなった一希の肩に、背後から名城が触れてきた。 「どうする? 今日は見舞いに行くか?」 今日ここに来た目的は圭人の恋人を見る事だったが、確かに体調が悪いという圭人本人の様子の方が気になる。 しかし一希が答える前に、目の前の男が目を見開いて割り込んできた。 「やだ! この子、彼氏? まー!イケメンの彼はやっぱり男前ねー! やんなっちゃう。やっぱり顔なのかしらね〜」 「いや、別に彼氏じゃ…」 「ちょっと、あなたオカマと付き合ったことある? 尽くすわよ〜。こんなヤンチャ坊主より絶対いいわよ」 「だから彼氏じゃねーし!」 以前と同じでこちらの言葉を全く聞き入れてもらえない。思わず一希の声も大きくなる。 「隠してもダメよ〜。オカマにはわかっちゃうんだから〜。二人の間に漂うピンクな空気が〜」 一希と名城を交互に指差しながらニヤニヤ笑われて、勝手に一希の顔が熱くなる。身体の関係はあっても付き合ってるわけではないのに、そんなバカなと思いながらも耳まで赤くなってるのがわかる。 後ろからプッと噴き出す音が聞こえて、一緒にからかわれているはずの名城が笑っていることが信じられず、そちらを睨み付けた。 名城は慌てて目を逸らし、口元を掌で隠したがもう遅い。 一希は無言で名城の腹に自分の肘を打ち付ける。今度は綺麗に決まって、息を詰めた名城が腹を押さえて咳き込んだ。 もう出勤時間になるので一緒には行けないという男と別れ、圭人の携帯に電話をかけてみる。 もちろん拒否されるかもしれないという不安はあったが、圭人は電話に出てくれた。 今日も欠勤の連絡を店に入れたという圭人に見舞いに行きたいと訴えると、渋々ながらも了承を得られた。その口調から、圭人にも一希と仲直りしたいという気持ちがあることが感じ取れた。 気を利かせたのか、駅前のカフェで待っていると言う名城が、別れ際に「お前さ」と声をかけてきた。 「接し方間違えるなよ。お前の親友が恋人と別れたくないなら、ちゃんと相談に乗ってやれよ。頭ごなしに反対しないで、どうしたら親友が幸せになれるか一緒に考えろ」 「相手がロクデナシでも?」 顔いっぱいに不満を表して聞き返すと、名城は困ったように苦笑した。 「ロクデナシでも。お前の親友にとっては大事な奴なんだろ」 「…納得いかねんだけど」 目を逸らして口を尖らせる一希の頭を、名城はくしゃっとかき乱した。
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