檻の中③

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「ふーん。じゃあさ、なんで牢屋になんて入ってんの?お姐さん騎士団長してたんでしょ?」  アラーナが自分の過去を掻い摘んで話すと、トーヤは髪を指でくるくると巻きながら尋ねた。  すぐ寝たらまた怖い夢見ちゃうかもよぉ〜と、面白半分のように夜更かしに誘われたのだが、話はちゃんと聴く性格らしい。  交代の時間だったのか、元上司の悔恨など聞きたくなかったのか、見張りの騎士が持ち場を離れるのを確認したアラーナは小声で呟いた。 「分からない。ただ……身ごもった王の子を産んで育てていた。それがバレてしまったのが原因ではないかと、」 「はぁ!?」  思うのだが。とアラーナが言い切る前にトーヤの罵声が被さった。 「ったく、信じらんない!!男ってなんでそう自分勝手なの!?責任取るだの大事にするだの言っておきながら、いざとなったら尻尾撒いて逃げるんだから!」 「ああ、違う……そうじゃない。私が誰にも言わなかったんだ」  誤解させてしまったらしいことを察して、アラーナは慌てて首を振った。  王にも、家族にも、誰にも言わなかった。実際に悪阻が始まるまで、自分でも何か夢を見ていたのではないかと思っていたくらいだ。  王の善良さも賢明さも、アラーナは間違いなく敬愛していた。けれど、彼と同じ気持ちを共有することは、彼女には出来なかった。  一線を越えてしまった夜のことは、それを確かめるための儀式のようなものだったのだと、アラーナは今でも思っている。  しかし、それだけならアラーナも身ごもったことを正直に打ち明けていただろう。王とその家臣である以前に、ダンとアラーナは一番の友人であったからだ。  決定打となったのは、水面下で密かに進められていた隣国の王女ソルフェとの縁談だった。  のちに王妃となるソルフェと初めて顔を合わせたとき、アラーナは身の内から歓喜の震えがこみ上げるのを感じた。ずっと憧れていた、夢見ていた、守るべき姫君。見知らぬ土地、年上の婚約者に戸惑い怯えながらも、懸命に国の名を背負おうとする少女を、自分が支えなくてはとアラーナは思った。  彼女の脅威となるものは、全て除かなくてはならない。たとえそれが、自分であっても。  その日から、アラーナは身重であることを徹底的に隠した。幸い騎士の装備は体の線が目立ちにくい。任務に支障を来さないギリギリまで普段通り振る舞い、それらしい理由を付けて長期休暇を取った。  実家には帰れなかった。アラーナは知り合いが誰もいない辺境の地まで行って、そこで子供を産んだ。 「……意味わかんない」 「む、すまない。端折り過ぎたか」 「そうじゃなくて!!」  目をウサギのように充血させたトーヤが、むくれたように言った。 「だってそんなの、しんどいじゃん。心細いに決まってんじゃん。投げ出したって誰もお姐さんのこと責めないのに…………大変だったね」 「……ありがとう。やはり貴殿は優しいな。確かに簡単なことではなかったが、私はもう十分に報われたんだ」  初めて我が子を腕に抱いたときのことを、アラーナは今でも鮮明に思い出すことが出来る。  パチルの緑色の瞳と視線が合ったとき、わけもわからず涙が溢れてきて、どっちが赤子なんだか分からないほどわんわんと大泣きした。付いていてくれた産婆をさんざん困らせてしまったが、自分が騎士であることを誰も知らない地で、初めて感情を晒け出せたおかげで覚悟も決まった。一人で我が子を育てていく覚悟だ。  子連れで戻ったアラーナに、当然周囲は半狂乱になった。特に王は、時期的に子供の父親が自分であることを確信し、ソルフェとの縁談を破談にしようとしたくらいだ。  アラーナは誰に何を訊かれようとも、パチルの父親のことを明かさなかった。パチルが驚くほどアラーナに似ていたことも幸いし、誰にも勘繰られることはなかった。全く口を割らないアラーナについに王も折れたのか、それ以来子供のことを口にすることはなく、無事にソルフェは王国へ輿入れした。  トーヤの言う通り、これまでのことは決して容易な道のりではなかった。しかしそれ以上に、アラーナは確かに幸せだったのだ。
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