第2章 最初の任務

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 平地より遅い春を迎えたコーズ高原は、みずみずしい緑の絨毯と、その上を模様のように彩る黄色の花が一面に広がっていた。緩やかな山の起伏の間には所々に小さな森や湖があり、抜けるような青空が水面に映し出されている。風はまだ少し冷たいが、穏やかな正午の太陽が背中をぽかぽかと温めてくれた。  依頼人であるヤンクス氏の家は、丘と丘のちょうど間にある平坦な場所に建てられた山小屋で、家のそばに木の柵で囲われた羊小舎があった。狼を警戒しているのか、羊はみんな柵の中に入れられたままだ。  柵を守るように立っていた牧羊犬が突然の来訪者にグルグルと唸って威嚇してきたが、エリックが軽く頭を撫でた途端、嘘のように大人しくなった。意外と動物に好かれやすい人なのかもしれない。  窓からパチルたちの姿が見えたのか、山小屋の扉が開き、禿頭の老人が顔を出した。彼が今回の依頼人、デン・ヤンクス氏のようだ。 「誰だ」 「メザリアの者です」  クリスティーヌが名乗ると、ヤンクスは不吉なものでも見るような目でジロジロと五人を見渡した。パチルと目が合うと、老人はあからさまに顔を顰めた。 「来るのは二、三人だって聞いてたんだが?しかも子連れじゃないか」 「申し訳ありません。今回初めて任務につくものがおりますので、万が一にもご依頼の達成に支障を来さぬよう、今回はこの五人で狼の駆除にあたらせて頂きます。報酬については契約締結時から変動はございませんので」 「っは、どーだか。結局あーだこーだと有りもしない話をでっち上げて、後から報酬を釣り上げるつもりなんだろう。浮浪者どもは金の亡者だからな」 「なっ……!?」  あまりに酷い言いように、思わず言い返そうとしたパチルの口を、後ろから伸びてきた手が塞いだ。振り返れば、キーロが唇に当てた人差し指で、ルウの方を指している。  見ると、口元に完璧な笑みを浮かべたルウが一歩前へ出て、凍りつきそうなほどに冷たい紫の瞳でヤンクスを見下ろしていた。上背のあるルウの高圧的な視線に気圧されたのか、老人が半歩後ずさる。 「そのようなことは一切致しませんのでご安心ください。ご依頼主様が、依頼書の申請時に、正しい情報を我々に提供していただけているのであれば、全く問題ございません」 「…………チッ、難民風情が。いいからさっさと始めてくれ、昼間っから狼が出て羊が放せん」 「かしこまりました」  ルウが慇懃に頭を下げると、老人はまた小声で侮蔑的な言葉を吐きながらバタンと扉を閉めた。キーロが口から手を離した後も、パチルは息苦しいような、心の臓が凍えるような怒りが収まらないでいた。 「ああいう輩は結構多いから、いちいち怒ってたらキリないぞ~。坊ちゃん」 「代々堅実に土地を守ってきたのを誇りにしている人達からすれば、私たちはちゃらんぽらんなお気楽集団に見えちゃうのよねえ」 「しかもあの様子だと、依頼書を出す際に虚偽の申請をしていた可能性もあるな。全く面倒だ」 「…………(コクリ)」  代わる代わるパチルの頭を撫でながら、理不尽な悪意などまるで気にしていないかのように話す四人に、パチルは怒りよりも、遣る瀬無い気持ちの方が強くなっていた。きっとメザリアの人々は、こんな状況に何度も晒されてきたのだろう。 「でもビックリさせちゃったわよね。私たちは慣れてるからいいけど、最初にそういう人もいるって言っておけばよかったわ」 「っ、慣れることと、傷付かなくなることとは違います!だから……慣れてるからいいなんて、言わないで下さい」  パチルが絞り出すような声でそう言うと、クリスティーヌが感極まった様子でパチルに抱きついて頰をすり寄せた。   「ああもう、なんていい子なのかしら。あなたって、本当に優しいのね」  いい子なんかじゃない。パチルは心の中でそう呟いた。  あの老人ほどではないにせよ、自分だってつい昨日までメザリアをゴロツキの集団だと誤解していたのだから。  
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