第2章 最初の任務

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「うにゃー。こりゃルウの踏んだ通りだわ。とんだ嘘つき爺さんだぜ」 「ああ。狼は狼でも、魔狼とはな」  ひとまず狼の種類や大きさを知ろうと足跡を調べていたルウだったが、どうやら普通の狼退治より厄介な案件になってしまったらしい。地面に残った足跡は通常の狼のものより2倍近く大きく、足跡近くの木々が所々焼け焦げていたのだ。 「魔狼って、人の言葉を喋るっていうあの?」 「ん~、賢いのが多いのは事実だけど、喋る奴はそんなには居ないかな。まぁ罠には絶対にかからん。でかいし、火は吹くし、正直退治は無理だから、なるべく広範囲に魔獣除けの結界を張るしかねぇなあ。でも二、三匹は仕留めないとうるさそうだよなぁ、あの爺さん」  しばらく唸っていたキーロだったが、ふと、エリックとクリスティーヌがここから離れた丘の上にいることを確認すると、声を潜めて囁いた。 「本当は兄さんがいると動物系の依頼は瞬殺なんだが、それじゃあ訓練の意味がねえからな」 「しゅ、しゅんさつ……」 「凄腕の調教師なんだよ、兄さんは。その辺にいる獣だったら大抵は手名付けられる」  頭領は絶対これを見越して兄さんたちを送り込んだに違いない。パチルの訓練を口実に、俺たちの働きぶりを査定するつもりなんだ……。とキーロは嘆いた。  そんなにすごい人なのか、と感心したパチルが振り向くと、当のエリックは牧羊犬にのし掛かられて、お面をベロベロと舐められていた。そのまま起き上がれなくなってしまったのか、クリスティーヌが慌てて助け起こそうとしている。本当にあれで手名付けられているのだろうか……?  相談の結果、魔狼の警戒と結界の作成を手分けして行うことになった。  魔術を得意とするルウとクリスティーヌ、近距離武器専門のパチルが結界を張り、遠距離武器を扱うキーロとエリックが魔狼を見つけ次第仕留めていく。幸い、魔獣除けの結界の張り方は騎士学校の野営訓練で習ったものと変わらないようで、パチルにも扱えそうだ。キーロとエリックは武器の調整をしながらそれぞれの受け持ちを決めていた。  クロスボウの溝に魔術用の杖を装填しているキーロを見ていると、再び昨晩の光景が蘇りそうになり、パチルは頭を振った。 「キーロはクロスボウ以外も使えるの?例えば、その……短刀とか」 「短刀も、槍も、剣も、一般的な武器ならだいたい使えるぞ。俺ってば優秀だから」  キーロが悪戯っぽく片目を閉じると、そばで見ていたエリックの仮面がガタガタと小刻みに震えた。え~兄さんってばヒドい~、とキーロにつつかれている様子を見るに、どうやら笑っているらしいが、やっぱり不気味な動きだった。  パチルは山小屋より下の、比較的見通しがいい森を担当することになった。木々の間を通って、結界の効力が発揮されやすい老木を探していく。やがて大きなモミの木を見つけると、メザリアからずっと背負ってきた革の鞄を開いた。  鞄の中には昨日メザリアの大通りで揃えたばかりの魔術薬品のセットが入っていて、大小様々な小瓶には傷薬や栄養剤など、それぞれにラベルが貼られている。パチルはその中から一際厳重に封がされている緑色の液体が入った小瓶を取り出した。  “幻惑のインク”とラベリンングされたその液体は、対象の恐怖の記憶を呼び覚まし、幻覚を引き起こす作用があり、主に知能の高い獣を追い払うのに使われる薬だった。もちろん魔術で対象を限定しなければ人間にも効果が現れてしまうため、ある程度の魔術の知識がある者でなければ扱うことができない。  パチルは一緒に入っていた筆を取り出すと、幻惑のインクを毛先に含ませた。そうして魔狼の目線に高さを合わせて、慎重に陣を描いていく。ルウが改良したという陣は、パチルの知っているものよりも少し複雑だったが、何度も描いていくうちに一筆で綺麗に描けるようになってきた。  パチルは黙々と作業を続けながら、去年の騎士学校での野営訓練を思い出していた。  野営訓練は、二年生と三年生が混合の班に分かれて行う二週間の長期訓練で、実技形式の訓練の中では最も過酷とされていた。人里離れた山の中に最低限の装備で放り込まれ、食料も野営地も自分たちで確保しながら、決められた期間内にゴール地点を目指さなければならない。 二年生は班長である三年生の指示に絶対に従わなければならず、口答えしようものなら容赦無くひっぱたかれるが、班員がはぐれたり大怪我をしようものなら、今度は三年生が先生に殴られる。本来なら協調と上下関係における信頼を育むための訓練であるはずだったが、その目的を達成している班はほとんどいなかっただろう。  騎士団長の息子であったパチルは、もともと学校でやっかみによる虐めをうけていたが、二年次での野営訓練では特に陰湿な嫌がらせを経験した。わざと食事に虫を入れられたり、交代制の寝ずの番を一人でやらされたり、湖に突き落とされたり。学校では身体に傷ができていれば先生に気付かれるが、野営訓練では傷なんて当たり前にできる。上級生達の虐めは、徐々にエスカレートしていった。  それでもパチルは、泣き言ひとつ言わず野営訓練をこなしていった。ここで嫌がらせに屈することは、自分だけではなく、母の誇りまでも傷つけることになってしまう。パチルは一人でも食料を探し、薪を拾い、魔獣を警戒して夜を過ごした。三年生達はそんなパチルを面白くなさそうにしていたが、同級生たちはパチルに対する“七光り息子”という認識を少しずつ改めはじめていた。何せ、パチルがいなければ班の機能は完全に停止するだろうところまで来ていたからだ。  ある日、このままでは期間内にゴールできなくなるのではないかと焦った三年生が、森の中を夜通し歩くことを提案した。足場が悪く、魔獣も多く生息する地域だったため、パチルは反対したが、三年生はもちろん聞き入れなかった。日が暮れ、闇に支配された山の中を、班員たちは松明を灯しながら歩いた。  しかし、月が空の天辺に差し掛かった頃、班員たちの後ろを、何かがついてくる気配があった。振り返ると、草むらからこちらをジッと伺う黄色い目玉が六つ。腹を空かした狼の群だった。慌てて逃げ出したのは三年生達だった。彼らはパチルが止めるのも聞かず、闇雲に走り出し、狼は背を向けた彼らを真っ先に追いかけた。残った数匹が、パチルたち二年生をじっと監視している。  パチルは恐怖のあまり逃げようとする同級生を宥めると、鞄に入れていた刺激性のある煙を発する枝に松明の火を移した。人間にも多少の催涙作用はあるこの枝は、鼻の効く獣には覿面の効果をもたらす。魔獣が多い地域を通るときに備えて、三日前から集めていたものだった。狼がひるんで逃げていったが、まだ安心はできない。パチルは残った枝を少しずつ燃やすように同級生に言いつけると、自分はたった一本の枝を持ち、三年生たちが逃げていった方向を目指した。 「待てよ、あんなひどい奴ら放っておけって!お前まで喰われちまう」 「ここで騎士の誇りを捨てるぐらいなら、喰われた方がマシだ!」  同級生が引き留めたが、パチルは引き返さなかった。  たとえこの身が危険に晒されようと、この腕で届く全てのものを守るのが、本当に強い騎士だ。パチルはそう強く信じていた。それが自分に悪意を向ける人間であろうと、その決意は揺るがなかった。  三年生達は足を滑らせたようで、道の脇の斜面に転がり落ちていた。松明一本を必死に狼に向けているが、狼は全く恐れる様子がない。パチルはなるべくゆっくりと狼達に近づいた。初めは新たな獲物に興味を示した狼だったが、パチルの持った枝の煙が鼻先に届くと、途端にジリジリと後ずさった。  しばらく執念深く周りをウロウロしていた狼達だったが、やがて諦めがついたのか、ぞろぞろと草むらの中に帰っていった。パチルは手早く薪を集めて火をおこすと、魔獣除けの結界を貼り、怪我をした三年生達の手当をし、夜が開けるまで周囲を警戒し続けた。  結局期間内にゴールすることは叶わなかったが、その夜の出来事は学校中で噂になり、パチルに対する周囲の対応は目に見えて変わっていった。下級生からは尊敬され、同級生からは賞賛され、上級生からは優秀な後輩として頼りにされるようになった。相変わらずパチルを敵視する者もいたが、それよりも多くの友人を得ることが出来た。彼らは皆、パチルへの虐めを見て見ぬ振りをしていた自分たちを恥じ、この学校に本当の騎士道の精神を取り戻すため、共に努力していくことを約束してくれた。きっと今年の野営訓練は、今までにないほど素晴らしいものになるだろう。パチルはそう思っていた。  パチルは一度筆を止めると、ふうっと息を吐いた。集中していて気がつかなかったが、受け持った区間の作業は、もう半分まで終わっていた。 「みんな、元気にしてるかな……」 「ほう。そのみんなって誰のことだい、坊主」  驚いて声の主を探すと、20メートルほど離れた林の中に、髭面の大男が立っていた。その隣にはもう一人痩せっぽっちの男が立っていて、二人とも杖のようなものを持っている。 「……誰ですか、あなた達」 「おーい、こいつじゃねえか?」  パチル問いかけを無視し、痩せっぽっちの男が呼びかけると、後ろからもう二人の男が姿を現した。後から来た二人は、それぞれ猟銃のようなものを持っている。男達は手に持っていた紙とパチルとを交互に見比べながら、ニヤニヤと下卑た笑みをうかべていた。 「赤毛に緑眼、13歳にしちゃ小さいが、似顔絵にソックリだ。間違いねえ」 「ヤンクス爺さんが知らせてきたときにはまさかと思ってたが、本当に居るとはなぁ」  パチルのことを知っているかの口調に、一瞬、王妃からの追っ手かと疑ったが、宮廷の兵士にしては身なりが悪い。パチルは腰に差していたサーベルを抜いて構えた。相手の動きを警戒しながらレコードキーパーを左手で高く掲げると、水晶の先端から危険を知らせる閃光弾が打ち上げられた。 「コイツ、仲間を呼びやがった!」 「さっさと捕まえて離れるぞ!」  髭面の男が持っていたのは、魔術のための杖だったらしい。杖の先端から打ち出される光をサーベルで弾きながら、パチルは木々の間を全速力で走り抜ける。  頬のすぐ近くを通った光が髪の先を掠め、焦げた匂いが鼻を刺しても、パチルは足を止めなかった。細い木々の中で応戦するのは危険だと判断したからだ。  ようやく盾になりそうな巨木を見つけると、パチルは足を止めて相手の動きを伺った。魔術での攻撃は止んだが、今度は銃がパチルの足あたりに集中して放たれている。パチルの命を取ることが目的ではないようだが、それなら一体何が目的なのか……?  ふと、足元をずるずると何かが這い回る気配を感じて視線を落とすと、グロテスクな青色の鱗を持つ大蛇が、パチルの足に絡みついていた。咄嗟に振り払おうとするも、大蛇は恐ろしい力でパチルの足を引っ張り、パチルは地面に引き倒されてしまった。倒れた拍子に取り落としたサーベルを、薄汚れた靴が踏みつけた。痩せっぽっちの魔術師の靴だ。  男はパチルを縄で拘束しながら、足に絡みついた蛇をよくやったなと撫でた。男は蛇使いらしい。 「すぐに坊主の仲間が来ちまう。早く馬に戻ろう」 「ほら立て、ちびすけ!」  髪を掴み上げて立たせようとする男たちにパチルが抵抗していると、銃を持った男の一人が、突然後方に吹っ飛んだ。熱い、熱い、と喚きながら、肩についた紫色の炎を消そうともがいている。  助けに行こうとした蛇使いの目の前に、今度は金色の矢が突き刺さった。 「何の真似だ」  地の底から響くような、低い声。  そこには、いくつもの鬼火を周囲に漂わせながら、男たちに杖を向けるルウの姿があった。側には、木の上でクロスボウを構えるキーロの姿もある。 「ハハ……何の真似って、善良な市民として犯罪者を捕まえようとしてんだよ」 「犯罪者だと……」  再び矢を放とうとしたキーロを手で制し、髭面の大男がガサゴソと懐を漁った。 「ほら、手配書だってあるぜ」  大男が掲げたその紙が一体なんなのか、パチルは理解できなかった。  否、見知ったものではあったのだ。でもそれは、人を殺めて逃亡したり、王国を裏切った者が描かれるはずの紙だった。パチルには一番縁遠いはずの、大罪を犯したものが描かれるはずの、その紙には、パチルの似顔絵や、特徴、家族構成、その他詳細な情報が書かれていた。 「コイツは大逆罪で指名手配されてるパチル・ゴルウェル。元騎士団長のおっかさんと一緒に祖国の転覆を企んだ重罪人よ。……って、一緒にいたんだからアンタ達も知ってるか」 「今朝早くに王都から村に使者が来てなあ。あちこちにコレを貼っていったよ」 「王国中の賞金稼ぎ達が、コイツの話で持ちきりさ」  耳に水の膜が張ってしまったかのように、音が遠くなる。賞金稼ぎ達の声も、キーロ達の声も、どこかぼんやりとしてくる。頭の芯が冷えて、景色が、薄らいでいく。  僕が……指名手配犯……?  遅れて現れたエリックとクリスティーヌが、ダガーナイフを構えて男達を包囲する。 「その子を離しなさい!」 「離すわけねえだろ。こんなちっこくても凶悪犯なんだからよお」  危ねえったらありゃしねえ。大男は笑いながら、持っていた杖をパチルの喉元に突きつけた。 「ほら、さっさと武器を下ろしな。生け捕りにしろとは書いてあるが、キズモノにするなとは書いてねえからなあ!」  蛇使いがそう叫んだときだった。仮面を口元まで引き上げたエリックが、大きく息を吸って、吠えた。  獣のような咆哮。  それはまさに、狼の遠吠えだった。  賞金稼ぎ達がひるんだ隙を見て、すかさずキーロが男達を円で囲うように金の矢を放つ。 「何だコイツ、頭沸いてんのか!?」 「武器を下げろっつっただろ!坊主が怪我してもいいのか!?」 「おい待て、あれ!」  銃を持った男が、恐怖に顔を引きつらせて指差す先には、体長3メートルほどの巨大な狼──魔狼が立っていた。魔狼は木立の陰から一匹、また一匹と姿を現し、男たちを追い囲んでいく。 「武器を下ろせと言っていたな。望み通りにしてやろう」  ルウの杖の先についたランタンがカツンと地面を打つと、紫色の炎は瞬く間に燃え広がり、キーロの矢を触媒にして魔狼と男たちを取り囲んだ。再び咆哮を上げたエリックに従うように、男たちに襲いかかる魔狼。  その黄色い目玉と目があった瞬間、パチルの意識はフツリと途切れた。  
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