第2章 最初の任務

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 どこか遠くから、歌声が聞こえる。知らない国の言葉で紡がれる、知らないメロディー。けれど、どこまでも慈しみにあふれたその歌は、きっと子守唄なのだろうとパチルは思った。 「……かあ、さん?」 「ああ、良かった。目が覚めたのね。どこか痛いところはない?」  ガバリと起き上がると、パチルはどこかの屋敷のような部屋の、猫足のソファーの上にいた。部屋の中にはキーロとルウとエリック、それからついさっきまでパチルを膝枕していたクリスティーヌがいる。 「ここは……?」 「第二駐屯地の中よ。賞金稼ぎさん達も、ヤンクスさんも、みんなあの森の中で眠っているわ。少し記憶をいじっちゃったから、もう追ってくることもないでしょう。私、忘却術には自信があるのよ」  パチルは、だんだんと眠る前の記憶が蘇ってきた。パチルを犯罪者と呼んだ男達。賞金首、国中にばら撒かれた指名手配書。  ルウが男達から奪ったらしい指名手配書を険しい顔で眺めている。 「訓練どころじゃなくなった。私達は外が暗くなり次第、闇に紛れて城に帰還します」 「私たちは第一駐屯地に帰る途中の村の様子を見てくるわ。何かあればすぐに連絡する」 「すいません、姐さん。よろしくお願いします」  大人達の相談する姿を、パチルは他人事のような目で見ていた。頭にもやがかかったかのように、全てが遠く、どうでもいいことのように感じる。   「……どうして助けたんですか」 「え?」 「あんな手配書までばら撒かれて……僕はもう、この国では犯罪者なんですよ。どのみち、今までの生活には戻れない。でも、あのまま捕まれば、母さんに会えたかもしれないのに……っ!どうして助けたんですか!」  ポツリと零された呟きは、やがて大きな怒りを伴って口から吐き出されていた。  そうだ。もう何もかも無駄だ。メザリアに来たのは、母ともう一度、今までの生活をやり直せると信じていたからだった。  たとえ捕まっていたとしても、王女様の戴冠式が終われば、パチルの王位継承権も失くなって、釈放されると。そうして自分はもう一度、騎士学校に行って、今度こそ本物の騎士を目指すのだと。そう、信じていたのに。 「僕は、何もかも失った……」 「……でもね、パチル」 「あなた達にはわからないですよ!僕の気持ちなんて!!」  そう叫んだ瞬間、突然目の前の景色が反転し、背中に大きな衝撃が走った。  どうやら自分は床に投げ飛ばされたらしいとパチルが気がついたのは、怒りで目を血走らせたキーロに、胸ぐらを掴まれてからだった。 「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!!」 「え……」 「お前の母さんは、お前を逃がすために、命がけでメザリアを頼って来たんだ!!自分はどうなろうと、死んでもお前だけは逃がしてやろうとした母さんの覚悟を、お前が踏みにじってどうする!!!」  キーロの言葉が耳に届くたび、頭の中にかかっていたもやが晴れていく。  小刻みに震えるキーロの手が、パチルを現実に揺り戻していった。   「それにな、俺たちの中には、好き好んで国を出たやつなんて1人もいねぇ!!みんなそれぞれ大切な家族と、帰る家があったんだ!!!それを捨てなきゃならなかったときの気持ち、お前なら分かんだろ!!!」 「………………」 「二度と言うな。今度はこんなもんじゃ済まさない」  最後に押し殺すような声でそう言うと、キーロはパチルから手を離し、部屋の外へ出ていった。バタン、と乱暴に閉められた扉が、彼の治らない怒りを示していた。  クスクスとこの場に不釣り合いな笑い声が聞こえて振り向くと、ルウがキーロの出て行った扉の方を見ながら笑っていた。いつもの作り笑いじゃなく、心底愉快なものを見たような笑顔だった。 「かわいい顔をして、アレはなかなかの激情家でね。口より先に手が出るし、道理に合わないと思ったことには、意地でも従わないんだ」 「…………」 「私は様子を見に行ってくるから、クリスティーヌさんの側を離れるなよ」  それだけ言って、ルウも部屋から出て行ってしまった。初めてキーロの怒った顔を見たパチルが床にへたり込んでいると、クリスティーヌが手を差し出してくれた。 「あの2人って不思議よねぇ。片方が怒るともう片方が笑うし、片方が嬉しそうだともう片方は不機嫌なのよ。いつも一緒にいるはずなのに、滅多に一緒に笑わないの。今だってきっと、手当てのついでにキーロを揶揄いに行ったのよ、あの人」  やーねぇ、とクリスティーヌが呆れたように言う。 「手当て?」 「ほら、さっきあなたを投げちゃったから、今ごろ双子の契りが効いて火傷になってるんじゃないかしら」 「あっ!……で、でも僕は何とも……」 「あら、あの子達から聞いてない?自分のパートナーに対しての攻撃は、加害者側しか罰せられないのよ。そうじゃないと、被害者がかわいそうでしょう?」  ──身体が焼ける。最悪死ぬ。  昨日キーロが言っていた掟破りの罰則を思い出し、パチルは顔を青くした。 「……どうしよう、キーロが!」 「大丈夫よ。ほら、見て」  クリスティーヌが指差した先を見ると、先ほどまでパチルが座っていたソファーに、深々とナイフが突き刺さっていた。エリックが賞金稼ぎ達に向けていたナイフだ。 「エリックも一応刺さらない位置に投げていたんだけど、キーロは咄嗟に突き飛ばしちゃったんでしょうね。今回はあなたを庇うためにやったことだから、そんなに酷いお咎めは無いはずよ。……それと、エリック。魔獣の調教じゃないんだから、あなたはいい加減言葉で叱る方法を覚えて頂戴。前みたいにうっかり刺さっちゃったらどうするの?」  クリスティーヌに叱られると、エリックはシュンと背中を丸めた。もしかしたらキーロは、以前そのうっかりの餌食になったのかもしれない。  クリスティーヌは刺さっていたナイフを抜き取ると、こっちへいらっしゃい、とパチルを隣に座らせた。 「キーロとルウが訓練生だったとき、私たちが監督役をしていたの。あの子もメザリアに来たばかりの頃は、よくルウと喧嘩してね、しょっちゅう火傷してた」  まあ、喧嘩っていうよりは、キーロが一方的にルウを攻撃してたんだけどね。とクリスティーヌが懐かしそうに笑う。  パチルは、クリスティーヌ達が二人と特別親しいのはなんとなく察していたが、訓練生の頃からの付き合いだったのは初めて知ったので驚いた。 「喧嘩の理由は結局話してくれなかったけれど、あの頃のキーロは今のあなたと少し似ていたわ」 「似てた……?」 「そう。もうどうにでもなってしまえ、って人生全てに投げやりになっている感じ。だから、キーロがあんなに怒るなんて、私もびっくりしちゃった」  パチルは先ほどの自分の身勝手な言動を思い出し、途端に恥ずかしくなった。母の気持ちを無駄にするようなことを言ってしまったことに対しては勿論、クリスティーヌ達の生き方を侮辱するようなことも言った。山小屋の老人の偏見に憤っていたくせに、結局自分は、難民達のことを差別していたのだ。  そんな自分がひどく矮小で嫌な人間に思えたパチルはソファーを降り、クリスティーヌとエリックに頭を下げた。謝ったところで言ったことは取り消せないが、そうでもしなければ気が済まなかった。 「あの、クリスティーヌさん、エリックさん……僕……助けてもらったのに酷いこと言って、ごめんなさい」 「ふふ。あなたはやっぱり優しい子だわ。もういいのよ、誰だって辛くて、人に当たってしまうときくらいあるわ」  エリックが屈みこんで、俯いたままのパチルの顔を覗き込んだ。手を狐の形にして、ペコリとお辞儀するように動かした。やっぱり不気味な動きだったけど、なんとなく「こちらそこゴメンネ」と言っているような気がした。 「でも、こんなことを言ってはいけないと分かっているのだけれど……あの二人にとっては、貴方が来てくれて良かったのかもしれないわね」  ふと、真剣な声色になったクリスティーヌがそう言った。どういう意味だろうとパチルが顔を上げると、クリスティーヌの空色の瞳が、心配そうに揺らいでいた。 「あのまま二人きりでいたら、ルウもキーロも、きっとダメになってしまうから」
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