第3章 屋上庭園の魔術師

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第3章 屋上庭園の魔術師

 朝、窓から差し込んむ光で目を覚ましたパチルは、昨日の任務中に運び込まれていた自分用のベッドからゆっくりと起き上がった。キョロキョロと周囲を見渡すが、広い部屋の中には誰もいない。  昨晩遅くメザリアに帰還した三人だったが、ルウはヒポグリフから降りるやいなや暴れて嫌がるキーロを麦袋のように担ぎ上げ「明日の朝一で頭領に報告に行く。先に休め」とだけ言い残してどこかへ行ってしまった。  おそらくキーロの火傷の治療をするために医療衛士のところに連れて行ったのだろうが、まだ帰っていないところをみると、相当重傷なのかもしれない。パチルは昨日の己の行動を思い出し、重い罪悪感に苛まれた。  二人が帰っていないとはいえ、ルウは朝一で報告に行くと言っていたから、自分一人でもイサに状況を報告しに行くべきだろう。パチルは顔を洗って制服を身につけると、イサの執務室のある塔の最上階へ向かった。  樫の木の扉をノックすると、パチルが名乗る前にイサが扉を開けてくれた。一人で来たのですか?と訊くイサにキーロとルウが部屋に帰っていないことを説明すると、イサは大きなため息をついた。 「まったく、あの二人は……。訓練生を一人にするなんて、監督者としての自覚が足りないようですね」 「ごめんなさい。そもそも僕のせいでキーロが怪我をして……。それに、ここに一人で来たのは僕が勝手に」 「ああ、わかりましたから、そんなに悲しそうな顔をしないで下さい」  イサは執務室にパチルを招き入れると、朝食は摂りましたか?と穏やかに尋ねた。パチルが首を振ると、羊皮紙の切れ端にメモを書き付け、フッと細い息で吹き飛ばした。メモがひらひらと蝶のように舞いながら執務室を出て行くと、程なくして壁に取り付けられた手巻き式昇降機のランプが点灯した。  昇降機で送られてきたのは、木製のトレーにのった二人分の朝食だった。上等な陶器の皿には、ヨーグルトがかけられた彩り豊かなフルーツサラダと、薄焼きのパン。ふっくらと焼けたオムレツには、豆と鶏ひき肉をトマトで煮込んだソースがかけられている。マイアン出身のパチルには馴染みのない、異国風の朝食だった。  上官と朝食を共にするなど恐れ多いと一度は断わろうとしたパチルだったが、イサから普段は私も食堂で食べているのでお気になさらずと言われればそれ以上断るのは失礼になってしまう。結局、イサの厚意に甘えることにした。  パチルが率先して執務室の片隅にある応接テーブルにトレーを運ぶ間、イサはお茶を淹れ、ミルクをたっぷりと注いで出してくれた。なめらかな栗色のお茶からは、シナモンと生姜のピリッとした香りが立ち上る。  朝食を食べている間、イサは仕事の話を一切しない代わりに、朝食には必ず故郷の料理を食べるようにしていることや、珍しい香辛料のお茶の話をした。時折パチルにも話を振っては、パチルの言葉を頷きながら聞いていた。食事中に仕事を持ち込まないのが信条なのか、パチルに気を使ってくれていたのかは図りかねたが、少なくとも昨日から続く重苦しい気分は徐々に和らいでいった。  後片付けを終えると、パチルはイサに昨日の出来事を詳細に話した。主観は交えず、冷静に話すつもりだったが、自身の手配書がばら撒かれていることを話すときには、流石に声の震えが抑えきれなかった。パチルの報告を聞いている間、イサはじっと両目を瞑り、何やら思案しているようだった。 「手配書についてはクリスティーヌから今朝方連絡がありました。第一駐屯地への帰路全ての村で、貴方の手配書が貼られているのが確認されたそうです。まだ報告は上がっていませんが、王都の中にもおそらくは……」  パチルは唇を噛み締めた。分かってはいたことだが、自分はもう二度と故郷に足を踏み入れられない人間になってしまったのだ。 「これで一つ分かったことがあります。あなた方親子を追い詰めようとしているのは、王妃だけではない。ということです」 「……何故、そう言えるのですか?」  思わぬ発言に、パチルは顔を上げた。パチルが王の隠し子であることを知っているのは、王妃ソルフェか宮廷法官のサジェだけであるはずだ。サジェが捕まっている今、パチルを狙うのは王妃しか考えられなかった。  イサはおもむろに立ち上がると、本棚から一冊の分厚い本を取り出した。真新しい子牛革の表紙には装飾されたマイアン語で法律書であることを示す文字が書かれている。イサはパラパラとページを捲ると、ある項を指差した。 「未成年者に対する、法の適用について……?」 「ダン国王即位以来、マイアン王国は非常に先進的な法治国家として世界中から注目されています。特に、18歳未満の未成年者の犯罪行為に対する減刑処分や実名での紙面掲載、指名手配の禁止については、各国から賛否両論を浴びました」  ダン国王は、宮廷法官であるサジェ・ノイマンとその師エンヤの力を借り、それまで王が代替わりするたびに恣意的に改正されていた国内法を一から整備し直し、国民に極端な不利益が生じかねない法律は次々と削除していった。  また、時代に合わない法は書き換え、それまでの王や貴族のための法ではなく、弱い立場にいる国民たちのための法を制定していった。少年犯罪に対する減刑も、その一環だ。   「少年が犯罪に走るのは、彼らを庇護する立場にある大人や社会の責任であり、心身ともに成熟した大人と同じ刑を求刑するのは間違っている。それよりも、保護して更生の機会を与えた方がのちの納税者となり、国全体の利益につながる。という考え方です。私はあまり賛同できない考えなのですが、今その話は置いておきましょう」 「その法律が、今回のことにどう繋がるのでしょうか?」 「重要なのは、これまでマイアン政府によってこれらの法律が破られたことは一度も無かったということです。そう、貴方の指名手配が出されるまでは」 「…………」 「本来禁止されているはずの未成年者の指名手配。昏睡状態とはいえダン国王がご存命であるいま、他国から政略結婚によって迎え入れられたソルフェ王妃に、厳格に守られていた国の法律を捻じ曲げてまで貴方を追い詰めるだけの求心力はないでしょう。それよりも、王国にとってもっと馴染み深い存在が、平民贔屓の王政に不満を持った貴族議会を扇動し、特例として手配書を発行したのではないかと推察します。もちろん、無用な混乱は避けるため、貴方が隠し子であることは伏せて、反逆者を捕まえなくてはならない“緊急事態”の名目で」  推察、という言葉を使ってはいたが、イサはほとんど確信しているような口調でそういった。一方のパチルの頭の中は混乱状態に陥っていた。  王妃が自分の娘の立場を脅かすパチルを殺したがるのは分かるが、パチルを始末しても王位継承者は今までと同じウィルへルミナ王女に戻るだけで、それ以外の者には特に利益がない。  いや、手配書には確か、生きて捕らえるようにという御触書がされていたはずだ。パチルを生かして得られるメリットはなんだ?黒幕が王妃の弱みである隠し子の存在を知っているなら、その人物にとってパチルを生け捕りにすることは、王妃を脅して裏の実権を握るチャンスになり得るのか?  隠し子の存在を知ることができるほど王に近く、上流貴族たちに馴染みが深く、議会を誘導できる程の権力を持った人物なんて……。 「まさか……カザリ王弟殿下?」 「気がつきましたか」  イサは出来のいい生徒を褒める教師のような顔で頷いた。  ダン国王の弟であるカザリは、王国第二の大都市ヨーラを治める大公爵であり、パチルを含めた王位継承順位は第三位にあたる人物である。王族でありながら領地を持つ彼は、どちらかといえば貴族寄りの思想を持っており、議会での発言権も大きい。王妃にうまく取り入れば絶大な権力が手に入るが、仮に失敗してパチルの存在が露見しようとヨーラ公としての地位が揺らぐことはない。最も損をしない場所からこの王位継承権争いに参加できる人物であると言えるだろう。 「あくまで推測の段階ではありますが、この予想が正しければアラーナ騎士団長も王妃への脅迫材料の一つであると考えるべきでしょう。囚われの身であっても、身の安全は保証される可能性が高いです。うまくことが運べば、救出できるかもしれません」  パチルは思わず安堵のため息を吐いた。まだまだ事態の収束には程遠いものの、一番の懸念であった母の命が助かる可能性が出てきただけ僥倖と言えた。  イサは続いて机の上に地図を広げた。北をカナル山脈、南を海で囲まれたマイアン王国。山脈を超えた更に北には強大なザルド帝国、東には同盟関係にある半島国家リーマニオンが位置している。  イサはマイアン王国の王都より東側のカナル山脈付近に赤い石を置き、メザリアの現在地を示した。 「メザリアは大都市と山脈の上空を避けながら移動しています。現在位置はリーマニオン国境に近いカナル山脈付近です。これから約二ヶ月半かけてマイアン王国を南下、海側からリーマニオン半島に移動し、暫くはリーマニオン上空に停泊します」 「ええ……メザリアって止まれるんですか?」 「もちろん、これも魔術ですから。術者である私か兄が命じれば止まりますし、地上に降りることもできます。術式の安定のため、これ以上高速で移動するのは難しいですがね」  言われてみれば当たり前のことであるのだが、いままでメザリアは風に流されて旅をしているような、もしくは自由意志で飛んでいる巨大な生き物であるかのようなイメージをもっていたパチルは、軽い衝撃を覚えた。  同時に、こんなにも巨大な岩の塊を動かせるだけの魔術を行使するイサ達兄弟に畏敬の念を抱く。 イサは赤い石をジグザグに動かしながら南に移動させると、そのまま海の上を通過して半島の先端に位置するリーマニオンの首都で指を止めた。 「各国と平和条約を結んでいるリーマニオンでは、毎年諸外国の王族や首相を招いて大規模な会談が三日間にわたり行われます。会期中は最高レベルの警備が敷かれますが、リーマニオン国内の兵士や騎士たちではとても手が足りず、警備態勢に不安を抱く国家元首も少なくありません。かと言って、自国の軍隊をぞろぞろと引き連れて他国に立ち入るわけにもいかない。そこで、我々メザリアが会期中の要人警護を毎年請け負うことになっています」  リーマニオンでの会談はパチルもよく知っていた。母が毎年少数精鋭の部下を連れて二週間ほど家を開けていたからだ。  もしかしたら、母はそこでメザリアの護衛士達の働きぶりを見て、パチルを預けることを思い至ったのかも知れない。 「会談には国家元首及び国王とその配偶者が出席するのが通例ですが、ダン国王は体調がすぐれないため、昨年からはカザリ王弟殿下が代理として出席しています。今年もおそらくそうなるでしょう。末席ではありますが、私もメザリア頭首として会談に招かれています。殿下、あるいは王妃から直接アラーナ騎士団長に関する情報を引き出せるかもしれません」 「あの……どうして、そこまでして下さるのですか?」  パチルはずっと疑問に思っていたことを口にした。  パチルもアラーナも、メザリアにとっては何の義理もない人間である。たとえ二人を助けたとしても、一個人が返せる恩などたかが知れている。むしろ、パチルを受け入れたことが知れれば王国との関係は確実に悪化するというのに、何故イサがここまで親身になってくれるのかパチルには分からなかった。  イサは唐突な問いにきょとんとしていたが、やがていつのも穏やかな笑みを浮かべて言った。 「メザリアの人間は、もう二度と生まれ故郷に帰ることも、家族に会うことも出来ません。戦争や迫害、差別によって、私達は全てを失いました。しかし、あなたのお母様はまだ助けられる。あなたに、私達と同じ思いはさせたくないんです」 「イサさん……」 「もちろん、いざとなれば私はメザリアに住む700人の命と生活を優先します。私にはその責任がありますし、全ての人々を救うには、この掌は小さすぎますからね。それでも、この手の届く全てを守ろうと足掻くことは出来ます。それが、私があなたを助ける理由です」  たとえ自身が危険にさらされても、この手の届く全てを守る。それは正しく、パチルがずっと信じていた騎士道精神そのものだった。騎士ではないはずのイサの信念は、パチルの心に巣食ったモヤを晴らし、光さす道を示してくれている気がした。  たとえ君主に裏切られようと、国を失おうと、騎士として生きていくことは出来る。この気づきは、パチルの心に新しい風を吹き起こしていった。
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