第3章 屋上庭園の魔術師

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 イサの執務室を辞したパチルは、キーロとルウを探して城の中を歩いていた。イサからは医務室にいるだろうと言われたが、肝心の医務室が見つからない。  大広間のある棟の最上階であることは教えてもらったのだが、言われた通りに階段を上った先にあったのは、どう見ても医務室などではなく、青々とした木々や色鮮やかな花が生い茂る屋上庭園のような場所だった。 透明な屋根で覆われた庭園は太陽の光が降り注ぎ、どこからか流れてくる小川の水をキラキラと煌めかせている。その川に架かる艶やかな赤色に塗られた橋を渡ると、木々の合間に煉瓦造りの建物が見えることに気がついた。  もしやと思い近寄ってみると、開け放たれた木枠の窓から耳慣れた柔らかいテノールが聞こえてきた。 「ねぇセンセ、俺にもひと口ちょーだい?」 「患者に煙草を吸わせる医者があるか」 「患者の前で煙草吸う医者に言われたくありませ〜ん」 「ルウに嫌がられるぞ」 「うげ、なんでココでアイツの名前が出てくんのよ」  声の主は間違いなくキーロだった。もう一方の男性の声はどこかで聞いたような気がするが、一体誰の声なのかは思い出せない。ただ、会話の内容からしてメザリアの医師であるらしいことが窺えた。  パチルは小屋の表側に回り込むと、扉の横に取り付けられた真鍮のドアベルを鳴らした。玄関先の丸い屋根には少しずつ色味の異なる瓦が敷かれ、薔薇色の煉瓦で出来た壁には色とりどりのタペストリーや花籠が飾られている。  しばらくしてドアを開けたのは、目元までのボサボサ髪で顎に無精髭を生やした50代くらいの男性だった。  かっちりとした白衣を着ているところを見ると医者のようだが、丸眼鏡の奥のタレ目はぼんやりと濁っていて、どちらかと言えば病人のような顔色をしている。男は、やはりどこかで聞いた覚えのある声で言った。 「訓練生か、どっか怪我でもしたのか?」 「いいえ、突然お邪魔してすみません。キーロを探しているのですが」 「ああ、じゃあお前が噂の餓鬼か。入りな」  パチルは男の後に続いて建物の中に足を踏み入れた。内部は外から見えていたよりかなり広く、廊下で何人かの白衣を着た衛士とすれ違った。  やはりこの建物が医務室であるらしく、棚の中には大小様々な瓶に詰められた薬がぎっしりと並べられ、天井には乾燥させた薬草がいくつも吊り下げられている。病室にはそれぞれ6床ずつベッドが配置され、使用中のベッドは白いカーテンで間仕切りされていた。  一番奥の病室に通されると、一つしか埋まっていないベッドの上で、上半身裸のキーロが腹這いになって煙草を吹かしていた。紫煙をくゆらす物憂げな横顔に反して、パタパタと足を上下させる仕草は子供っぽい。  病室に入ってきたパチルと目が合うと、キーロは一瞬気恥ずかしそうな顔をして煙草を灰皿に揉み消し、ヒラヒラと手を振って起き上がった。胴体と足を火傷しているらしく、浅黒い肌に巻きつけられた真っ白い包帯が何とも痛々しい。 「よう。ルウはどうした、一人で来たのか?」 「昨日から戻ってなくて。キーロと一緒なのかと思ってたんだけど……」  パチルがそう言うと、キーロはアイツめ……と苦虫を噛み潰したような顔をした。 「一人にして悪かったな。俺もう戻れるから、一緒に頭領のとこに行こう」 「ううん、報告はさっき済ませたよ。それよりも、昨日は自分勝手なことを言ってごめんなさい。キーロは僕を庇って火傷したんだって、クリスティーヌさんから聞いた。守ってくれて、ありがとう」   パチルの言葉を聞いたキーロは目を丸くすると、頬を赤らめながらあたふたと視線を彷徨わせた。変なことを言ってしまっただろうか、とパチルが首をかしげると、キーロは隠し事がバレた子供のような、なんとも気まずそうな様子で言った。 「なんだよ、藪から棒に」 「ごめんね。本当は昨日謝らないといけなかったんだけど、あの後すぐに帰ることになっちゃったから」 「そういう話じゃなくて、その……。お前さ……なんでそう素直なの?」 「素直……?自分の間違いに気づけたなら反省するべきだし、相手を傷つけてしまったなら謝るべきでしょう?」 「いや、そうかも知れないけどさ……。く〜、大人としての威厳が!!」  清々しいまでに真っ直ぐなパチルの目を見ていられなくなったキーロが唸りながらベットに倒れ伏すと、後ろで見ていた医師がケラケラと愉快そうに笑った。 「ハハッ、いい歳して餓鬼に諭されてやがる」 「先生はちょっと黙ってて!……なあ、お前、何か変わった?潔さに磨きがかかってない?」 「そうかな?だとしたらキーロのおかげだね」 「あ。無理。惨敗だわこりゃ」  シーツにくるまったキーロが芋虫のように身体を縮める。ベッドサイドに近寄ったパチルが覗き込むと、ピカピカ光る金色の瞳が、シーツの隙間から恨みがましげに見上げてきた。 「ちょっとは大人の顔を立ててよ騎士サマ」 「騎士じゃなくて騎士見習いだよ」 「肩書きじゃなくて心意気の話さ。……本当は、俺から謝ろうと思ってたんだ。お前にあんな説教ができるほど、俺はお前のことを知らないのに、きつい言い方したし。それに、勝手に距離を置いてたし」 「距離って、僕のことをずっと“坊ちゃん”って呼んでたこと?」  坊ちゃん呼びについては、最初こそ戦力外扱いを受けているようで嫌だったが、キーロが他の仲間に対しても名前で呼ぶことは滅多にないと気がついてからは、もともと年下の子を坊ちゃんと呼ぶ人なのかな、とあまり気にしなくなっていた。改めて距離をとっていたと言われても、特に傷付くわけでもない。 それに、相手の事をよく知らないのはお互い様だった。どうせ一時的な付き合いだからと、必要以上に踏み込むことを避けていた自分にパチルも気が付いていた。そして、そのせいでキーロ達の抱える事情を想像することすら出来なかった己の愚かさにも。 「僕も、メザリアの人達のことを表面だけ見て、理解しようとしていなかった。僕とは違う人達だって、僕だけが大変なんだって思い込んで。勝手に期待して、勝手に失望して……でもそれじゃあ、ダメだって気付いたんだ」 それは、母のことに関しても言えることだった。母のように強い人になりたいと願いながら、その庇護の上に胡座をかいて、この状況も母がなんとかしてくれると心の何処かで思っていた。頼り、甘え、母の弱さも想いも、想像しようとすらしなかった。 キーロに怒鳴られなければ、一生そのことに気がつけなかったかもしれない。 「だから、もっとキーロ達のことが知りたい」 「俺たちのこと?」 「あ、無理に訊いたりはしないよ!ただ、年齢とか、好きな食べ物とか……教えても良いと思えることからでいいから、キーロのこともっと知りたい」 「…………せんせー。もしかして俺、口説かれてんのかな」 「俺に訊くな」 男らしい太眉を下げたキーロが、口角をむにむにさせながら何とも形容しがたい表情を浮かべた。 やはり自分のような子供にそこまで踏み込まれるのは嫌だっただろうか?と心配になったパチルだったが、もぞもぞとシーツから這い出てきたキーロから拒絶の雰囲気は感じられなかった。 パチルがほっと胸を撫で下ろしていると、昨日から何処かへ消えていたルウがふらりと病室に姿を現した。少し疲れた様子のルウは目の下に薄っすらと隈ができていて、もともとの美貌が更に凄味を増していた。 医師に会釈をして入室したルウは、ベッドサイドテーブルに置かれた灰皿を見て一瞬眉を顰めたが、特に何も言わなかった。 「一緒だったのか、探した」 「お前なぁ、いくら城の中とは言え、子供を一人にするヤツがあるか」 「すまない。コレを調合していたら、夜が明けていたのに気がつかなかった」 キーロに窘められたルウは、手に持っていたガラスの小瓶を振ってみせた。瓶の中には、ドロリとした黒い液体が入っている。 「何だそれ、魔術薬?」 「ああ。容姿を変える薬だ」 「ルウさんや……そんなもんに頼らずとも、お前は充分モテてるぞ。クソ腹立たしいくらいに」 「何の話をしているんだ、君は。これはパチルのために調合した薬だ」 「僕に?」 ルウは懐から手配書を取り出すと、もう見たくもないだろうが、と前置きをしてパチルに手渡した。指名手配犯の文字の下には、ご丁寧に着彩までされたパチルの顔が描かれている。パチルの1番の特長である燃えるような赤毛と大きな緑目には、特に強調して色が付けられていた。 「これだけ精巧に描かれては、君を連れてマイアンの任務に出ることは不可能だ。しかし裏を返せば、ほんの少し見た目が変わるだけで誰も君をパチル・ゴルウェルだと認識出来なくなるとも言える」 「なるほど、魔術で変身して任務に就こうってわけか」 ルウの言葉を聞いたパチルは驚いた。手配書が任務に支障をきたす可能性については勿論分かっていたが、てっきり次のリーマニオンに到着するまで城で待機させられると思っていたのだ。 「でも変身薬ってどれくらい呪効が続くもんなの?せいぜい数時間だろ?」 「私を誰だと思っている。下界の粗悪な魔術薬と違って、一度飲めば解呪剤を飲まない限り呪効が続くように改良済みだ」 「へぇ、いつの間に開発してたんだそんなもん」 「構想は以前から温めていたが、実際に完成したのは今朝だ。先程モルモットでの実証実験を済ませた」 「待て待て危ねぇわ!新薬つっても限度があんだろ!!」 ルウの頭をパシリと叩いたキーロが、せめて自分か俺で試してから使えと一喝する。それに対してルウが、君と私では効果が確認しにくいと反発したが、キーロは全く聞く耳を持たない。二人の会話は全くの平行線を辿っていた。 一般的に流通している魔術薬は、古くから数々の魔術師達が研究を重ねて効果が認められているものであり、新しく開発された薬が市井に出回ることはほとんどない。時折、滋養強壮剤と称して新しい魔術薬を売る商人もいるが、大概は嘘っぱちの薬草ジュースか、恐ろしい中毒性のある悪質な“魔薬”だった。 いくらルウが魔術の専門家であるとは言え、半日で作り上げられた魔術薬を口にするのは常識的に考えて危険だ。効果が無いならともかく、強い副作用が出るかもしれない。 しかし、なんらかの対策を取らなければ二人の任務に同行できなくなるのもまた事実であった。 「僕、飲むよ」 しばしの逡巡の後、パチルがそう言うと、キーロが信じられないという顔でパチルを見た。 「あのなぁ、こんなこと言いたかねぇけど、ルウの魔術だって絶対はあり得ない。メザリアに来る前は、俺も散々コイツに……」 「あの頃とは事情が違う。ここに来てからは、一度も不確かなものは投与していないはずだ」 以前から会話の端々で察してはいたが、二人はメザリアに来る前から付き合いがあるらしい。キーロはおそらく、未熟だった頃のルウの魔術で痛い目を見たことがあるのだろう。キーロの言い分はもっともだった。 けれど、双子の契りがある限り、ルウもパチルと同じくリスクを背負うのだ。その上で自信をもって変身薬を差し出したルウを、パチルは信じてみたかった。 「それでも飲むよ。だって、大丈夫なんでしょ、ルウ?」 「当然だ。副作用なんて出してみろ、私の首が焼け落ちる」 「ッ〜〜!先生もなんとか言ってやって下さいよ!!」 壁にもたれて傍観を続けていた医師はキーロに呼ばれると、面倒くさそうにため息を吐いて頭をガリガリと掻いた。 「医者としては止めるべきところだが…………今のところ、ウチにルウ以上の精度で魔術薬を作れるヤツは居ねえ。そいつが平気だっつーなら、信用するしかないんじゃねーの?それに、代わりの誰かが被験者になるのもおかしな話だろ」 「それなら……」 俺が、と続けようとしたキーロの唇が、口惜しそうに歪んだ。“代わりの誰か”の中に自分も入っていることに、つい今しがた気が付いたかのような表情だった。
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