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キーロが引き下がったのを見て、パチルはルウから変身薬を受け取った。
密閉されていた栓を引き抜くと、腐った井戸水のような臭いが鼻を刺した。ドロドロと粘度のある液体からは、薄っすらと白い煙のようなものが立ち昇っている。
どう見ても毒薬のような見た目に怖気付きそうになったパチルだったが、見守っていたルウが静かに頷いたのを見て覚悟を決めた。パチルは生唾を飲み込むと、右手できつく鼻をつまみ、瓶の中身を一気に呷った。
ビリビリと痺れるような得体の知れない感覚が舌の上に広がり、食道に流れ込む。胃が異物を拒絶するように痙攣して、口の中に酸っぱいものがこみ上げる。思わずえづきそうになるのを、両手で口を押さえて堪えた。
なんとか変身薬を飲み干すやいなや、今度は視界にパチパチと星が飛び、頭皮がじんわりと熱を帯び始めた。熱は徐々に酷くなっていき、頭が焼けているのではないかと錯覚するほどまでになっていった。激しく明滅していた視界は真っ黒になり、自分が今目を開けているのか閉じているのかすらわからない。
「ぅ"、あ……ッ!」
「パチル!」
床に蹲ったパチルの背中を、誰かが優しくさすった。見えないけれど声で分かる。キーロだ。こんな場面だというのに、名前で呼んでくれたことが単純に嬉しくて、パチルは口の端を上げた。
すると、痛いほどの熱を発していた頭から、みるみるうちに熱が引いていった。暗かった視界にも光が戻り始め、目の前に紫色の丸が二つ見えた。霞が晴れたころには、それが屈んで覗き込んでいるルウの目だということに気がついた。
ようやくクリアになった視界の先で、ルウが満足気に笑う。
「成功だな」
パチルはキョロキョロと視線を動かして自分の手や身体を見下ろすが、特に変化は見られない。顔にだけ変化を及ぼす魔術薬だったらしい。
パチルはルウから手鏡を受け取ると、心臓がドキドキと脈打つのを感じながら、そっと鏡面を覗き込んだ。
そこには、漆黒の黒髪と金色の瞳を持つ少年が呆けた顔で映っていた。
パチルが頬に手を当てると、鏡の中の少年も同じように手を動かす。
「これ……僕?」
「ああ、髪と目の色をいじらせてもらった。顔は変えていない」
言われてみれば確かに、燃えるような赤毛と深緑の目が無いだけで、顔の造形そのものは変わっていない。
よく母に似ていると言われてきたアーモンド型の目も、短い眉も、尖り気味な上唇も、見慣れた自分のものに違いなかったが、あまりの不思議さにパチルしばらく鏡を見つめたまま自分の髪をツンツンと引っ張っていた。
「いざとなったらどちらかの兄弟だと言い張れる方が便利だからな。髪は私、瞳はキーロと同じ色にしておいた。黒髪も金眼もマイアンでは珍しいから、顔が似ていなくても多少は誤魔化せるだろう」
「俺とお前じゃ効果が確認しにくいって、そういうことか…………」
特大のため息を吐き出したキーロが、パチルの顔のあちこちを摘んでは、気分は悪くないか?痛いところはないか?と問いかける。
あれだけ苦しかった吐き気はもうすっかり治り、目も問題なく見えていた。
何だかんだ言いつつ心配だったのか、さっきまで離れた所に立っていた医者もいつの間にかパチルのすぐ隣にいた。パチルに異常がないことが分かると、苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
三人が安堵のため息を漏らす中、一人だけ当然のように涼しい顔をしていたルウの肩を医者がぽんぽんと叩く。
「しっかしルウ、お前の魔術はどんどん人間離れしていくなぁ……」
「顔の骨格そのものを変えるとなれば流石にこうはいきませんよ。それに、頭領とカノ先生の魔術に比べたらまだまだです」
「カノ先生?」
どこかで聞いた名前にパチルが反応すると、そういえば名乗ってなかったかと医者が丸眼鏡を外した。ボサボサの髪を手櫛で整え、露わになった顔に、パチルはあっと声を上げた。
ほんの少し変わるだけで、人間は本当に別人になれるらしい。
そこにいたのは、今朝方執務室で朝食を共にしたメザリアの頭領、イサと全く同じ顔をもつ男だった。
「俺はカノ。見ての通り医者だが、役職的には衛士長ってことになってる。塔のてっぺんにいる狸じじいは、俺の弟だ」
イサと瓜二つの顔をしたもう一人のメザリア創始者は、“らしからぬ”表情でニヤッと笑ってみせた。
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