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「──護衛商の浮城、“メザリア(Mezalia)”と」
「でもそりゃあ、おとぎ話だろ?七つの国の頭文字をとってメザリア。んなの誰だって知ってらぁ。ホントのところどうなんだか、常連のよしみでちょっとぐれぇ教えてくれよぅ、キーロ」
「教えられるわけないだろ。一応、企業秘密だぜ、企業秘密」
キーロと呼ばれた青年がそう言うと、彼を囲んで草地に腰を下ろしていた行商人達は、大げさにがっかりして見せた。中にはゴロゴロと地面を転がり始める者もいる。
キーロはその様子に苦笑いしながらも、まあ無理もないかと固く閉ざされた王都の城門を見やった。
先ほどまで護衛していた幌付き荷車は門の前で止められ、門番達に中身を改められている最中だ。王都へ入るために必要なお馴染みの積荷検査だったが、これがどうにも終わらない。もう30分以上も門前で待機させられていた。
荷を引いていたラマ達はもしゃもしゃと草を食みながら束の間の休憩を楽しんでいるが、ここまでキーロを乗せてきたヒポグリフは暇すぎて居眠りを始めていた。自慢の鷹の目は完全に閉じてしまっている。
「ちぇっ、つまんねぇなあ。積荷の検査も一向に終わらねぇしよぉ。退屈で黴が生えちまうよ」
「確かに、国内の関所にしては念入りだな……」
商人達の駄弁りに混ざらず、少し離れた場所で周囲を見回していたルウが怪訝そうに呟いた。
身の丈ほどある魔術杖を担いだルウは、さも真面目に周囲を警戒しているように見せかけているが、こんな開けた場所で奇襲も何もない。本当は商人達のダル絡みに巻き込まれたくないだけだということを、相棒のキーロだけが察していた。
国境の関所とは違い、国内の都市を囲む城門の入門検査は簡単な荷物検査と身元確認で済む場合が殆どだ。特にここマイアン王国は治安が良いため、今回のように荷馬車の中を全てあらためさせられるのは初めてだった。
「まさかオッサン、ヤベえもんでも積んでたのか?」
「馬鹿なことを言うんじゃねえよ。俺たちゃカタギの商人、みんな真面目にケチな商売してんだよ」
「ダグのオッサンがケチなのは、俺達が一番よく知ってるぞ。毎度報酬を値切ってきやがるんだから」
金色の猫目を意地悪く細めたキーロが言うと、行商人達は豪快に笑いながら口々に「違えねえや」と言った。揶揄いの的にされた商隊長のダグレフがわざとらしく目を逸らすと、それがさらに商人達の笑いを誘う。
安く仕入れて高く売る。旅の経費はなるべく削減しなきゃならない行商人達は、護衛報酬の交渉では手こずらせられる相手だったが、彼らの明るい性格と、旅仲間に適度な距離を置く性質をキーロはそれなりに気に入っていた。相棒のルウが嫌がらなければ、隊商護衛を専門にしたいぐらいだ。
しばらく何やかんやと騒いでいた商人達だったが、ふと、ダグが声を落として囁いた。
「真面目な話、どうもザルド帝国の動きがキナ臭えって噂だ。王女様の戴冠式が来年に決まって、お目出てえ時期だってのに、嫌な話さ」
「……ふーん」
恐らくそれは逆だ。王女様の戴冠式が迫っているから、王国も隣国である帝国もピリピリしているのだ。
そう思ったが、キーロもルウも口には出さなかった。こういう話題は、よその国の人間、ましてや帰る国すら持たないキーロ達が立ち入るべきじゃない。
「お待たせいたしました。積荷の確認が取れたため、ダグレフ・キャラバン隊の入門を許可します」
門番が駆け寄ってきて、ようやく王都に入れることを告げる。
先ほどまでのダラけ具合が嘘のようにテキパキと準備を整え始める商人達を尻目に、キーロも黒いマントについた砂埃を払い、居眠り中のヒポグリフを起こして跨った。キャラバンが王都に入るのを見送ったら、護衛の任務は完了だ。
「開門ー!!!」
威勢のいい号令とともに、重たい鋼鉄の扉が開かれる。
いつだったかダグが、この瞬間に吹く風が一番好きだと言っていたのをキーロは思い出した。町に住む人々の活気で染まった風に吹かれていると、この国に生まれて良かった、と心の底から感じられるんだそうだ。
故郷の景色すら思い出せないキーロには実感が持てない感覚ではあったが、そのときのダグの表情があまりにも幸せそうだったから、きっと素敵な感情なのだろうと、少しだけ羨ましかった。
「それでは、私たちはここで失礼いたします」
「あれ、お前ら今回は寄ってかねえのかい?一杯ぐれぇ付き合えよ」
「せっかくのお誘いですが、生憎次の仕事が入っておりまして」
ルウが端正な顔に爽やかな笑みを浮かべてしゃあしゃあと嘘をつく。内心、飲み会なんて冗談じゃないと思っているのだろうが、それをおくびにも出さないところは流石だった。
キーロはダグ達との飲み会に正直心を惹かれたが、ルウの機嫌を損ねると城に帰ってからが厄介だ。ここは適当に話を合わせることにする。
「そうそう。俺たち売れっ子なんだから」
「んじゃあ、しゃあねえな。俺たちゃ王都での商売が済んだら、次は帝国に行くんだ。うまく儲けたら、また帰りは頼むぜ!」
「おうよ!」
ダグ達に別れを告げ城門に背を向けると、今しがた旅してきた一本道と、遥か向こうに霞む、雄大なカナル山脈が見える。
その手前、広がる草原の上を低く流れる層雲の合間に“それ”を見付けたキーロは、いたずらを思いついた子供のような顔をして、再び閉まり始めた城門に向き直った。
「おーい、ダグのオッサン!さっきのおとぎ話、ひとつだけ本当のことを教えてやんよー!!」
背後からの大声に、城門をくぐり抜けたばかりのキャラバン隊や門番たちが何事かと振り向く。
その目が見開かれ、顔が驚愕で引きつっていくのを見て、キーロはニンマリと笑った。
「あれが俺たちの“小さな”浮城、メザリアだ!」
キーロが指差し、門番や行商人達があんぐりと口を開けて見つめる先──。
そこには、雲の向こうからゆっくりと地上に近づいてくる巨大な影があった。
影は徐々にハッキリと形を結び、やがて霧雲の間からゴツゴツとした岩肌が顔をのぞかせた。
村一つ分はありそうなその大岩は太陽の光を受け、所々露出した水晶がキラキラと輝いている。影はさらに降下を続け、広大な草地が、その上に築かれた町が、砦が、最後に美しくも堅牢な城と、高く聳え立つ塔が姿を表す。
遠い昔のおとぎ話の世界から、なにかの間違いで抜け出してきてしまったかのような景色が、そこにはあった。
「あれが……浮城……」
やっと絞り出したかのような声でそう呟いたのは、誰だっただろうか。行商人も、門番も、通りすがりの王都の民も、誰もが息を飲んで、神秘の城を目に焼き付けていた。
「またゴヒーキに!」
ガコン!と大きな音を立てて、ダグ達を飲み込んだ城門に手を振り、首にぶら下げていた風除けのゴーグルを装着する。
しっかりと握った手綱を大きく振るうと、キーロとルウを乗せた二頭のヒポグリフは今度こそ大空に向かって羽ばたいた。
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