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ルウを探して工房がある棟までやってきたが、工房だけでも20以上部屋が存在するため、ルウがどの部屋を使っているのか分からない。
パチルは廊下を見渡すと、柱の出っ張りに腰を下ろしている妖精を見つけた。すっかり使い慣れたサティーネの杖を取り出し、覚えたての妖精語で話しかける。杖の底に埋め込まれた水晶が控えめに瞬き、鮮血の赤色を照らす。
『ねぇ、君。この辺で菫色の瞳の、背の高い魔術師を見なかった?』
『……鬼火の魔術師、あっちへ行った。月の匂いのする扉。偽りの愛が灯る部屋』
小さな鉤爪がついた指で、妖精は奥の扉を指差した。
ルウのノートで妖精語を学んでから、パチルの見えている世界は一変した。今まで薄っすらとしか見えていなかった妖精や、小さな魔獣の存在にも敏感に気づくようになり、その声もはっきりと聞き取れるようになってきた。
ただ、声は聞こえても、妖精は詩のような回りくどい言い方を好むものが多かったので、結局会話が成り立たないこともままあるのだが……。
今回の妖精は親切にも扉を指し示してくれたので、ポエムの意味に悩まされずに済みそうだ。パチルは妖精に礼を言うと、一番奥の工房に向かった。
「ルウ?開けるよ」
工房のドアを開けると、むわりと甘臭い空気が部屋の外に漏れでてきた。思わず袖で口元を覆いながら中に入ると、厳重にマスクをしたルウが、ピペットで謎の液体を瓶に注ぎ込んでいた。ルウは瓶にコルクで栓をすると、こもった空気を換気するため全ての窓を開け放つ。
「凄いにおいだね。今度は何を作ってたの?」
「媚薬と潤滑剤、あとは強壮剤だ。あまり吸わない方がいい」
「びっ……!?」
パチルは頬が真っ赤に染まるのを感じた。実際見たことはなくとも、お年頃の男子ばかりの騎士学校で生活していたのだ。先輩たちの猥談のネタに度々上るせいで、媚薬も潤滑剤も、使用用途ぐらいは知っている。
なんでそんなもの調合してるの?誰が使うの?疑問がパチルの頭の中を高速で駆け巡ったが、結局何も言えずに口をパクパクさせた。そんなパチルを、ルウが冷ややかな目で見下ろす。
「なにを想像しているのかは敢えて聞かないが、これは売り物だ」
「……うりもの」
そう言われてみると、机に並べられた魔術薬は全ていつもの無機質な瓶ではなく、宝石のように美しくカットされた小瓶に入れられていた。中身もとろりとした光沢のある真珠色や、薔薇の花弁のような薄紅色で、魔術薬特有のおどろおどろしさは感じられない見た目になっている。瓶のネックに巻かれた一見意味のないレースのリボンも、商品として売るための装飾であるなら納得だ。
しかし、こんなに大量の媚薬を一体誰に売るのだろう。パチルは不思議に思いながらも、革の鞄に魔術薬を詰めるルウを手伝った。無言で媚薬を詰めている状況がなんとなく気まずくて、パチルは言わなくてもいい無駄口を叩いてしまう。
「これも、変身薬みたいに苦いのかな?なんて……はは……」
「夢魔の血液と薔薇の蜜を余分に配合しているから、甘く感じるはずだ。あまり苦いと、キスが不味くなる」
「そっ、そうなんだ……」
気恥ずかしさから冗談交じりに口にした質問だったが、余計に気まずい思いをしただけだった。
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