檻の中③

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 しかしダンは、アラーナを変わり者扱いすることはなかった。緑色の目をキラキラさせながら、感心したように頷いている。 「自分で進みたい道を決めて、それを実現するなんて、誰にでも出来ることじゃないから」  それが一番すごいと思っていたのだと、ダンは屈託なく笑った。  女だてらに騎士を志すとは蛮勇だと、まるで性別が越えられない壁であるかのようにされたことなら何度もある。けれど、こんな風に自分の決意に敬意を称されたのは、アラーナにとって生まれて初めてのことだった。 「……陛下のお役目こそ、誰にでも務まるものではありません」  一国の重みを背負うのだ。並大抵の覚悟ではその重責に押し潰されてしまうだろう。  けれど若き王は、ゆっくりと首を横に振った。 「そんなことないよ。たまたま王家の長男として生まれちゃったから、王になるだけ。本当は私より、弟のカザリの方が国王に向いてるって、みんなが思ってる。もちろん口にはしないけれどね」 「…………」 「病弱な私と違ってカザリは健康だし、努力家で頭も良い。それなのに、ただ先に生まれたというだけで私が王になる。私は生まれてから今まで、何一つ自分で決めたことがないんだ」  乾いた笑いが虚しく森に響いた。 「陛下はもう、ご自分で一つお決めになっているではありませんか。葬列から抜けたのは、ご自身の判断でしょう」 「…………こんなの、ただ逃げただけだよ。聖堂で継承の儀を行なって、王になるのが怖くなった。私は国の恥さらしだ」 「恐れながら申し上げます」  真横に膝をついたアラーナに驚くように、蝶々が一斉に羽ばたく。きらきらと鮮やかな黄色が、一瞬にして視界を彩った。 「逃げることは、必ずしも悪いことではありません。戦略的撤退という言葉がある通り、戦況の不必要な悪化や消耗を避け、最終的な勝利のために一旦退却することは、立派な戦略の一つです」  ダンの目が大きく見開かれる。  その視線を真っ直ぐに受け止めて、アラーナは言った。 「先ほどの鏡写しの魔術、お見事でございました。あれほどの魔術の腕をお持ちならば、今日でなくとも陛下は逃げ(おお)せることが出来たはずです。捕まらないよう、この川を渡ることだって出来た。しかしそれをなさらなかったのは、陛下がまだ、最終的な勝利を諦めていないからだと推察します」 「最終的な、勝利……」 「王になる覚悟を決めるために時間が欲しかったのなら、それは決して、敗走などではありません」  生きるために逃げる。諦めないために逃げる。それらは断じて恥ずべき行為などではない。それは、騎士であっても王であっても変わらない真理だとアラーナは思っていた。  今は届かないその先に、いつか進むための戦略なのだと。  何かを堪えるように唇を噛み締めていたダンが、か細い声で問いかけた。 「君にもある?何かから逃げたこと」 「いいえ。大概の人間よりも、私の方が強いので」  一瞬静まり返った森は、彼の弾けるような笑いで再び音を取り戻した。 「くっ、あはははっ……そこはっ、嘘でもあるって言ってよ!……ふ、ふふ、君ってとっても正直な人だなあ。それに、ものすごく頼もしい」  アラーナとしては別に面白いことを言ったつもりはなかった。誇張でも何でもなく、本当に級友や教官に打ち合いで負けたことが無いから言ったのだが、ダンが笑ってくれたことは純粋に嬉しかった。  笑えるということは、先へ進む力があるということだ。この人はまだ、自分の未来を諦めてはいない。 「ですから陛下、ご安心ください。私は騎士になり、必ずや貴方と、貴方が治めるこの国をお守りします。貴方が逃げるときも、進むときも、私は共にあります。だから、」  そこで切られた言葉の意図を、ダンは正しく受け取った。 「うん、戻るよ。今度はちゃんと、自分で決めて戻る」  服についた草切れを払って立ち上がる。  アラーナが差し伸べた右手を、ダンは力強く握った。 「本当は知っているんだけれど、君の口から名前を聞いても良いかい?私の騎士」  前王が(かく)れ、王国が生まれ変わった日。  若き王と騎士見習いの少女は、共に同じ道を歩み始めた。
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