第1章 護衛商の浮城

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 双子の契りに半ば無理矢理サインをさせられ執務室を辞した3人は、お互いに取り乱してしまった気まずさと、今後に対する不安とで、しばらく黙ったまま塔の螺旋階段を降りていた。  一番最初に口を開いたのはキーロだった。キーロはこの手の沈黙が何よりも苦手だ。 「……えーっと、俺はキーロ。階級は銀等。とりあえず宜しく」 「ルウ。同じく銀等だ」 「…………パチル・ゴルウェルと申します。騎士見習いです」 「名字は名乗らない方がいい」  ぼそぼそと名乗ったパチルの声を、ルウがぴしゃりと遮った。あまりにぶっきらぼうな言い草に、キーロが慌ててフォローを入れる。 「あ~、俺たち基本的に難民とかお尋ね者とか……まぁ、訳ありのやつばっかだからさ。秘密を守るために、みんな名前だけしか名乗らないのよ、偽名のやつもいるけど。坊ちゃんも素性がバレちゃ困るだろ?な?」 「騎士見習いだったことも忘れろ。今の君はただの子供だ」  そう冷たく言い捨てたルウを、キーロは珍しく思った。基本的に、ルウは依頼人にもメザリアの仲間達にも、温厚な好青年を演じている。自分以外の人間にこんな態度を取るルウを見るのは初めてだ。 「おいおい、どったのルウ。デッカいネコチャンの被り物はお留守かにゃ~?」 「1年間も四六時中一緒にいなきゃならないんだ、いちいち気にしてたら疲れる。それより、さっさとソイツの装備を揃えるぞ」  それもそうなのだが、パチルは大人の都合で親元から引き離された、可哀想な子供だ。知らない場所にいきなり連れてこられて、心細い思いもしているだろう。もう少しくらい優しく接してやってもいいじゃないか。  キーロはそう思ったが、先ほどの執務室での様子から、彼が誇り高い少年であることは十分理解していたため、口に出すのは止めておいた。下手な慰めは、彼の自尊心をさらに傷つけてしまうだろう。それに、注意したところでルウの態度が改善されるとも思えない。  この状態が一年弱も続くのかと思うと、ため息が漏れそうだったが、自分にはどうしようもない。キーロは仕方なく、先にスタスタと歩いていってしまったルウを追いかけるため、パチルに手招きした。 「付いて来なよ坊っちゃん。メザリアを案内してやる」  塔の階段を降りると広間があり、そこから正面と左右に廊下が分かれていた。右に行くと居住棟と大広間、左に行けば図書館や技術職の衛士達のための作業場がある。正面の廊下は中庭に続いていて、突っ切って行けば玄関口への近道になる。キーロは順に指差しながら、城の間取りを説明した。 「中庭を囲むように外廊下があるから、結局どっからでも外には出られるんだけどな」 「随分と古い様式のお城みたいですね」 「頭領とカノ先生が廃墟になってたどっかの古城を補修したものらしいから、まあ2、300年くらいは前の代物だろうな……。ああそうだ、俺たちには別に改まった喋り方をしてくてもいいよ。ルウも言ってたけど、お互い疲れるだろ?」 「……分かった」 「よし!そんじゃあ、いよいよ大通りを見に行こう!」  玄関の大扉を開くと、外の光が一気に差し込んできて、パチルは目を細めた。城の中は思った以上に暗かったらしい。  徐々に光に慣れてきてゆっくりと瞼を開けたパチルは、目の前に広がる景色に感嘆のため息を漏らした。 「うわぁ…………」  城の玄関口から伸びる長い一本の下り坂には、性別も、年齢も、肌の色さえてんでバラバラな数百の人々でごった返していた。よく見ると、魔獣を連れている者や、羽の生えた妖精の姿もちらほらと見える。  坂道の左右には煉瓦造りの店が所狭しと建ち並び、店先のテーブルには、剣や弓、兜、小瓶に入れられた光る砂、乾燥させた薬草など、様々な商品が並べられている。  籠いっぱいの林檎を運ぶ少年、染めたての布を虹の橋のように並べて干す女性、ジョッキ一杯の花酒を一気に飲み干す男性。  通りのあちこちから威勢のいい声が響き、パチパチと薪が弾ける音や、砂糖とバターが焼ける甘い香りが漂ってくる。人々の頭上では、鳥形の魔獣や色とりどりの紙飛行機が飛び交っていた。 「スゲェっしょ?感動するっしょ?俺も初めて見たときは、別世界にでも迷い込んだかと思ったぜ」 「これ全部お店?」 「そ。武器屋、杖屋、靴屋に防具屋、薬屋に酒屋なんてのもある。仕事に必要なもんは、だいたいここで揃う。ちなみに金はかからん」 「どうして?」 「基本的に俺たち護衛士達の稼いだ外貨で回ってるからな。依頼人から受け取った護衛報酬は、メザリアの維持費として色々差っ引かれてから、俺たちの給料になるわけよ。まぁ、特別なオプションを付けたかったら、コッチもそれなりの品を出して交渉するけどな……。おーい!レプラコーン!」  靴屋の看板が掲げられた店の奥へキーロが呼びかけると、ぎっしりと並べられた棚の後ろから、緑色の服を着た小人のような妖精がひょっこりと顔を出した。皺くちゃの顔にはあご髭が生え、銀のボタンがついた緑色のジャケットを着ている。 「今日こそ俺のブーツの底を上げてもらうぞ。マイアンで仕入れたこの麦酒でどうだ!!」  キーロが差し出したボトルをしばし真剣に検分していたレプラコーンだったが、やがてため息をついて首を横に振った。ついでに手も振った。お話にならないね、ということらしい。 「ぐぬぬ。これでもダメか~……ってな具合だ。妖精に何か依頼したり、特殊な加護が与えられた高価な材料が必要な道具を作りたい場合には、自分で対価を用意しなくちゃならない」  キーロはしぶしぶと麦酒の瓶を鞄に戻すと、斜向かいの杖屋に向かった。ルウは既に店の中にいるようだ。  心地よいドアベルの音を響かせて店内に入ると、灰色の髪の老婆がカウンター越しに「おかえり」と手を振った。何故おかえりなのだろうとパチルが不思議に思っていると、メザリア自体が家のようなものだから、ここではみんないらっしゃいじゃなくて、おかえりと言うのだとキーロが教えた。  店の中には様々な種類の角材が並べられていた。樫、ケヤキ、ブナ、ブドウや桜といった一般的なものから、パチルが名前すら知らない紫色やオレンジ色の木まで、種類ごとに麻縄で括られケースに入れられている。  カウンターの前のガラスケースの中には、黒いベルベットに上に、まだ加工されていない宝石が乗せられていた。深い海のようなサファイア、日差しを浴びた木の葉のエメラルド、虹をミルクで包んだようなオパール、鮮やかなバラ色のガーネット。  騎士団長の息子であるとはいえ、質素な生活を送ってきたパチルには縁遠い輝きが眼に眩しい。 「今まで使っていた杖の材質は?」 「杖なんて使ったことない」  パチルがそう答えると、これだから素人は、と言いたげな顔でため息をついたルウが、自分の杖を指差しながら説明した。  黒檀で出来ているというルウの杖は、ルウの背丈と同じくらいの長さで、くるりと丸まった先端にキャンドルランタンのようなものが吊り下げられていた。ランタンには紫色の炎が灯っており、よく見ると、炎の中心にアメジストの塊が据え置かれている。 「一般的に魔術師が使う杖は、本体となる自然木と、核となる宝石によって構成されている。魔術師は木を通じて精霊や妖精達の世界に触れ、宝石によって彼らに自分の意図を伝えることが出来る。人間で例えるなら、本体の木が体で、石が心臓や脳といったところか。杖との相性は、魔術の精度に大きく影響を及ぼす。だからこそ魔術師は、自分の杖の素材を慎重に選ばなければならない」    魔術師が杖の素材を選ぶ基準は様々だ。誕生日に最も力を増す木と宝石を使う者もいれば、得意な魔術と相性の良い素材を選ぶ者、色彩には固有の力を持つものがあることから、自分の瞳や髪と同じ色を選ぶ者もいる。 「古来より、髪や瞳には魔力が宿るとされているから、自分の色に合わせる者は多い。私とキーロもそれで選んだ。キーロ」 「はいよ」  キーロの杖はルウのものと比べるとかなり短く、20㎝程の長さだった。黒褐色の本体は黒胡桃の木で出来ているらしく、持ち手の底部分に埋め込まれた猫目石は、ピカピカと金色に輝くキーロの瞳によく似ている。 「一番得意な武器は?」 「サーベル」 「では杖は短い方が良いな。何か希望の素材はあるか?」 「いや……初心者にも、使いやすいやつを」 「いい心がけだ。とは言え君も自分の得意な魔術が何なのかはまだ分からないだろうし、誕生石なんて国によって解釈がまちまちだ。となると色に合わせることになるが、君は赤毛だからなあ……花梨か、もしくは……」  最初こそ矢継ぎ早に質問してきたルウだったが、途中からは完全に素材の選別作業に没入してしまったらしい。ぶつぶつと独り言を呟きながら、真剣な表情で木材を吟味している。  手持ち無沙汰になったパチルが店の隅っこに置かれたベンチに腰掛けていると、いつの間にか外に出ていたらしいキーロが何かの包み紙を持って戻ってきた。 「姐さん、ここで食ってもいい?」 「構わないよ」 「あんがと」  キーロは店主の許可を取ると、パチルの隣に腰掛け、片方の包み紙を手渡した。 「ほい。晩飯にはまだ早いからな。おやつくらい食っとけよ」  ほんのりと暖かい包み紙の中には、一口サイズに切られたキツネ色の食べ物がいくつか入っていた。肉料理のようだが、こんな色に焼けた肉を見るのは初めてだ。それとも、焼く以外の方法で調理されたものなのだろうか?  恐る恐る口に含むと、サクッと軽い食感がした後、口の中にじゅわりと肉汁が広がった。肉自体に味付けがされているのか、甘しょっぱい味に後から生姜の風味が効いてくる。肉の周りは何か別のもので出来ているらしく、軽い食感の衣に時折カリカリとした香ばしい塊が混じっている。これは……砕いた落花生、だろうか? 「美味しい……!」 「だろ?」  食べ物を口にしたことで、自分が空腹だったことにパチルはようやく気がついた。本当は朝から何も口にしていなかったのだが、緊張と疲労で感覚が麻痺していたようだ。キーロの気遣いに感謝しながら、パチルはあっという間に唐揚げを平らげた。  そんな少年の様子を微笑ましく見ていたキーロが、いい機会だしとパチルに言った。 「メザリアのことで、何か聞きたいことがあれば答えるぜ。あの状態のルウはなかなか止まらねえからな」 「じゃあ……双子の契りって、何?」 「ええ!?知らないのにサインしたのかよ、坊ちゃん」  年齢の割にしっかりした子供だと思っていたが、案外抜けているところがあるらしい。精霊や妖精との契約以上に、魔術師の用意した契約書にサインする危険をいまいち分かっていないようだ。これは魔術契約の恐ろしさを一から教えてやらないとな、とキーロは思った。 「双子の契りってのは、メザリア特有の連帯責任制度のことだ。ここの人間は訓練生を含めて全員、二人一組でチームを組むんだが、どちらか片方が掟を破れば、もう一方も罰せられることになっている。俺の相方はルウだけど、今は坊ちゃんを含めた三つ子だな」 「掟を破ると、どうなるの?」 「身体が焼ける。最悪死ぬ」  自分がとんでもないものにサインしていたことに、やっと気が付いたのだろう。せっかく良くなっていたパチルの顔色が一気に青褪めていくのを気の毒に思ったが、ここでしっかり説明しなければ自分たちの身も危険に晒される。キーロは心を鬼にして言った。 「正式な魔術契約だから、掟を破った時点で効果が現れる。まあ、要は掟を守ってさえいれば問題ないからビビんなって。裏切ったり、脱走したり、仲間を故意に攻撃したりしなけりゃ大丈夫だ」  最後は安心させるために言ったのだが、あまり効果はなかったらしい。再び俯いてしまったパチルに、他に質問はあるか?と半ば無理矢理話題を変えた。 「ここの人たちは、みんな魔術師?」 「いんや、大体の奴らはかじった程度だ。簡単な強化と治癒くらいは使えないと訓練課程を終了できないから、みんな杖は持ってるけどな。ルウみたいに専門に扱う奴は珍しいよ」  しばしば混同されるが、魔術と魔法は実のところ全く別のものである。  精霊や妖精、一部の魔獣が自分の魔力で何らかの現象を発現させるのが魔法であり、人間には再現できない奇跡のことを指す。  それに対して魔術は、魔力を持つ生き物達との交渉によって奇跡の恩恵を借り受けるための手段であり、言わば非常に高度な言語学のようなものである。魔術師はあらゆる魔法生物の性質や言葉、文化に精通していなければならず、それゆえ魔術師は高等教育が受けられる程の裕福な家庭の出であることが多かった。  実際パチルも、国立騎士学校で基本的な魔術こそ教わったが、それ以上のことは出来ない。杖や魔術の危険性について知らないのも無理からぬことだった。 「うん、やはり本体はサティーネで、核には無難に水晶を使おう。どれくらいで完成しますか?」 「3日あれば十分さね」 「流石に早いですね。よろしくお願いします。パチル、こちらへ」  二人が話し込んでいるうちに、ルウが素材の選別を終えたらしい。パチルを呼ぶルウの手には、透明な水晶の塊と、鮮血のように赤い角材が握られていた。 「本当は瞳に合わせた緑色の石にしたかったんだが、あれらは気難しいものが多いからな……初心者向けの水晶にした。水晶は浄化の石と言われているが、良し悪しを問わずパワーを吸い取ってしまうことから、本来は無効化の石というのが正しい表現だ。ここに来たばかりの者は誰しも大きな不安を抱えているから、訓練生には好まれる。それに、メザリアにとっては特別な石だ」  確かに、執務室で渡されたレコードキーパーといい、城を浮かせているという大水晶といい、メザリアにとっての水晶は、象徴的な意味を持つのだろう。  ルウの解説を聞きながらも、パチルは禍々しいほどの赤色に輝くサティーネから目が離せなくなっていた。そんな様子に気がついたのか、ルウがパチルにサティーネを手渡す。 「サティーネは、その鮮烈な見た目から、別名血色の木とも呼ばれている」 「血の色……」 「赤は特別な力をもつ色だ。血の色でもある赤は野蛮だと忌み嫌う者もいるが、私はそうは思わない。赤は炎と勇気、そして勝利を象徴する色だ。君もそう思うだろう?」  その時パチルの脳裏に浮かんだのは、燃え盛る炎のように真っ赤な髪をなびかせる母の姿だった。  誰よりも高潔で、誰よりも勇敢。剣を携え、鎧を纏い、白馬に乗って広野を駆け抜ける母は、パチルや全ての騎士達の憧れであり、目指すべき目標でもあった。どんな困難にぶつかったときだって、その赤い後ろ姿を道標にして、必死に走り続けてきた。  パチルにとっての赤色は、いつだって勇気と闘志の象徴だった。 「杖は、持ち主の行く道を照らす光にもなるという。その赤色はきっと、君の未来を照らす松明の炎となるだろう」  その言葉を聞いた瞬間、パチルの中で何かが決壊した。今までこらえていた不安や、王妃や騎士達に対する怒り、母に守られることしか出来なかった無力な自分への悔しさが沸き起こってきて、涙となって溢れ出した。  サティーネを抱えてわんわんと泣きじゃくるパチルの頭を、ルウの大きな手が不器用に撫で、キーロが肩を支えてやった。  二人はパチルの涙が止まるまで、何も言わずそばに寄り添っていた。
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