第1章 護衛商の浮城

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 訓練生に必要な装備を一通り揃え、大通りにある食堂で夕食を済ませた三人は、城の中にある自室に戻った。部屋の数には限りがあるため、独り身のものは基本的にはパートナーとの相部屋だと聞いていたが、いざ部屋に入ったパチルは驚いた。  部屋の中は想像以上に広く、マイアンの一般的な庶民が住む平屋と同じくらいの広さだったからだ。しかも、ベッドや本棚、テーブルなど、生活に必要な家具は全て揃っている。  キーロが自分のベッドを使うよう勧めてくれたが、これ以上2人に迷惑をかけたくなかったため、パチルはカウチを使わせてもらうことにした。  カウチとはいっても革張りの座面はふっくらと柔らかく、パチルが普段使っているベッドより格段に寝心地がよかった。そのほかの調度品も、美しい彫りが施されていたり、貴族の屋敷でしか見ないような高級木材が使われていたりして、メザリアの経済状況が豊かであることが伺える。  ルウとキーロは寝支度を整えると、明日も早いからと直ぐに寝てしまった。  カウチに寝そべったパチルは、無骨な石造りの天井を眺めながら、自分の人生の中で間違いなく一番長かったであろう、今日という日を振り返っていた。  宮廷法官であるサジェ・ノイマンが訪ねてきたとき、休暇で騎士見習いの宿舎から実家に帰っていたパチルは、母と一緒に夕食を食べている最中だった。  よほど焦っていたのか、もともと吃音であるサジェはいつも以上にどもりながら、母に一生懸命何かを話していた。その時は話の内容は分からなかったが、今思えば例の告白の件を話していたのだろう。サジェの話を聞いた母は、今まで見たことない程に動揺し、パチルに急いで外出の支度をするように言った。事情は全く分からなかったが、何か大変なことが起こったことだけは明白だった。  急いで支度を整えたパチルが戻ると、母は愛馬に跨り、パチルを後ろに乗せて夕闇の中を走りだした。家に取り残されたサジェが何事かを叫んでいたが、風鳴りがひどくて聴き取れなかった。  一体どこへ行くのか、どうしてそんなにも焦っているのか、質問したいことは山ほどあったが、パチルは何も言わなかった。母の顔が、泣きそうな程に歪んでいたからだ。  それはいつだったか、パチルが自分の父親のことについて質問した時にも見た表情だった。あれ以来、訊いてはならない質問もあるのだとパチルは子供ながらに悟った。父親がどんな人なのか、母は一言も語らなかったが、きっと緑色の瞳をした人なのだろう、とパチルは考えていた。自分の赤毛は母親にそっくりだったが、瞳だけは母の榛色とは違っていたからだ。その時は、まさか王様が自分の父親だなんて考えもしていなかったが、思い返せば、確かにダン国王陛下の瞳は深い緑色だったように思う。  パチルと母を乗せた馬は夜通し走り続け、山道を迂回する事で城門を通らずに王都から出た。そのままカナル山脈に向かう道を一気に駆け抜け、メザリアの駐屯地に到着した頃には、空が白み始めていた。 「どうかこの子を守って下さい!お願いです!」  寝ずの番をしていたメザリアの職員に門を開けてもらうと、母は開口一番にそう言った。これはただ事じゃないと察した職員達が2人を応接室に通すと、母から事情を訊き、本部である浮城と連絡を取ってくれた。魔術で本部とつながっているという鏡を渡された母は、頭領であるイサとパチルの護衛についてしばし揉めたのち、結局イサが折れる形でパチルは訓練生として迎え入れられることになった。  鏡の交信が切れる頃には、聞こえてくる言葉の断片から、パチルも自らが置かれた状況を何となく把握し始めていた。けれど、母がメザリアと約束したのはパチルのことだけだった。母は一人で王都に戻るつもりなのだ。  そんなの危険だ。母さんも一緒に行こう、そう言いかけたパチルを母は手で制した。 「いいか、パチル・ゴルウェル。お前はウィルヘルミナ王女の戴冠式が終わるまでは、絶対に王都に戻ってくるな。これは命令だ」  母は母親としてではなく、アラーナ・ゴルウェル騎士団長としてそう言った。そうすれば、パチルが何も反論出来ないと知っていての振る舞いだった。そんなのは卑怯だ、狡い大人のやり口だ。そう叫びたかったが、結局何も言葉にならなかった。高潔な母をそんなにも追い詰める何かが、パチルの身に起ころうとしていた。 「どうか、元気で……」  母はそれだけ言うと、メザリアが用意してくれた替えの黒馬に跨り、あっという間に広野の向こうへ消えた。パチルがメザリアに着くまで、追っ手を引きつける時間稼ぎを担ったのだろう。  最後の言葉は、母としての言葉だったのか、それとも騎士団長としての言葉だったのかは分からなかった。  それから先は、初めて目にするものだらけの怒涛の一日となった。頭が鷲で体が馬のヒポグリフという生き物に乗せられ、半日かけてメザリアまで飛んだ。ヒポグリフが城の中庭に着地したため、最初は大通り経由ではなく直接城の中へ案内された。年齢不詳の老紳士、イサの執務室に通され、そこでルウとキーロに出会った。  キーロは少しお節介なところがあったが、優しい青年だった。ルウは裏表の激しい人物ではあるようだが、パチルの気持ちをよく汲んで杖を選んでくれた。その際に不覚にも号泣してしまったことを思い出して、パチルは顔を赤らめた。2人は気にしていないようだったが、宮廷に使える騎士たる者、本当は人前で涙を見せてはならないのだ。  そして正直なところ、メザリアは難民で構成された用心棒の組織だと聞いていたので、ゴロツキばかりの無法地帯だと勝手に思い込んでいた。しかし実際には、王国と同じか、それ以上の統括力を持った組織であることがわかった。それに、誰も彼もが個人の事情に深く関わろうとはしない。そのドライさが、今のパチルにはありがたかった。  捕らえられたという母のこと、団長を失った騎士団のこと、自分の今後のこと。不安なことは山ほどあったが、今はここメザリアで時を待つしかなかった。  それに、母はウィルヘルミナ王女の戴冠式までは戻って来るなと言った。つまり、王女が一度即位してしまえば、パチルも母もまた王都で一緒に暮らせる可能性があるということだ。それまでは、なんとかここで生き延びなければならない。  訓練生の任務がどんなものであるのかは分からないが、キーロとルウの仕事を邪魔しないよう、明日からも気を引き締めて過ごそう。パチルはそう決意した。  明日に備えてそろそろ眠ろうと、パチルが瞼を閉じたそのとき、ルウとキーロが寝ているベッドの方から、微かに物音が聞こえた。パチルがそちらに視線を向けると、窓からの月明かりに照らされて、誰かがベッドの側に立っているのが見える。顔はよく見えないが、小柄な体格からしてキーロだろう。  キーロは自分が寝ていたベッドではなく、ルウが寝ている隣のベッドを、じっと見下ろしているようだった。 何をしているのだろう、と不思議に思ったパチルが様子を伺っていると、キーロの手に何か白く輝くものが握られているのが分かった。  それが短刀であると気づいたときには、もう遅かった。  銀の刃は月光を受けて一瞬閃いたかと思うと、眠るルウの胸元に、真っ直ぐ振り下ろされた。
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