檻の中①

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檻の中①

 私は一体、何をしでかしてしまったのだろう。  王宮の地下にある牢獄の中で、宮廷法官のサジェ・ノイマンはもう何度目になるかわからないため息を吐いた。  始まりは、ダン国王陛下の告白だった。パチルが陛下の子供であると知った時、サジェは驚きこそしたが、どちらかと言えば陛下と騎士団長の奇妙な距離感への納得の気持ちの方が強かった。二人の親しさはまるで家族のようであり、実の弟であるカザリ王弟殿下が「僕よりも兄妹らしい」とぼやく程だった。  サジェがアラーナと知り合ったのはパチルが産まれた後だったため、それ以前のアラーナのことはあまり知らない。  しかし、彼女が昔から男勝りで自立心が強く、見合いの類は全て断っていることは宮廷内では周知の事実だった。そんな彼女が未婚のまま母になったと聞いた時には、彼女を知る者は皆腰を抜かすほど驚たそうだ。  当時既に宮廷騎士団のエースだったアラーナは、突然長期の休暇を申請したかと思うと何処かに消え、しばらくすると彼女によく似た赤毛の赤ん坊を連れて戻ってきたらしい。当然下世話な噂をする者も居たが、彼女があまりにも何事も無かったかのように振舞い、産後とは思えない働きぶりを見せたため、悪い噂はすぐに立ち消えていった。  最もそれは、ダン陛下のご結婚というさらに大きな話題が持ち上がったのも影響しているのだが……。  『騎士団長の息子は、私の子である』消えそうな声でそう言ったきり、眠るように意識を失った陛下が本当は何を伝えたかったのかは不明だが、今まで隠してきた自分の過去をあの場で告白したからには、あの母子について言いたいことがあったに違いない。  それに宮廷法官としても、新たな王位継承者の存在を無視するわけにはいかない。陛下は何よりも、法による政治を重んじていたお方だ。  ゴルウェル家を訪ねて事情を話すと、アラーナは何故か酷く動揺した様子でパチルに外出の支度を命じた。そして、状況が理解出来ずにポカンとしているサジェを置いて、馬に乗って出ていってしまったのだ。  あまりのことに呆然と立ち竦んでいたサジェだったが、しばらくすると、王宮に続く大通りの方から馬の蹄の音が近づいて来た。てっきり騎士団長が帰って来たのかと思い振り返ったサジェだったが、そこに居たのは松明を掲げ険しい顔をした宮廷騎士達だった。 「サジェ・ノイマンだな?」 「は、はははい。そっ、そうです」 「貴様に反逆共謀罪の疑いがかけられている。一緒に来てもらおうか」 「……っ、は、反逆!?な、なんのこ、ことです!?」  身に覚えがない。何かの間違いだと必死に訴えたが、騎士達は誰もサジェの言葉に耳を傾けようとしなかった。騎士達はサジェの丸々と太った体に縄をかけ、まるで積み荷のように馬の背に乗せて連行した。そうして、あれよあれよという間に王宮の地下牢に閉じ込められ、今に至る。  自分が何らかの理由で冤罪をかけられていることは分かったが、何故反逆共謀罪などという物騒極まりない疑いをかけられたのかは不明だ。  サジェは思想家のサロンどころか、政治的な駆け引きをする社交界にすら顔を出したことがなかった。吃音を気にしていたことも理由ではあるのだが、そもそも興味が湧かなかったのだ。そんな自分に反逆を疑われる余地などありはしない。とにかく尋問部の者が到着し次第、このとんでもない誤解を解かなければ。  サジェがそう決めたとき、地下牢の入り口から、数人の騎士達が入ってくるのが見えた。騎士達に拘束された人物の顔を見た瞬間、サジェは思わず叫んだ。 「ア、アラーナき、きき騎士団長!?な、ななぜ貴女がこっ、ここに!?」  そこに居たのは、昨晩パチルと共に何処かへ飛んで行ってしまったアラーナ・ゴルウェル騎士団長その人だった。アラーナはサジェの言葉など聞こえなかったかのように、どこか遠くの方を見つめていた。 「団長……私は、貴女が反逆を企てるなんて考えられません。これはきっと、何かの間違いです……」  アラーナを連れてきた騎士の一人、ミリアム・コーネインが悲痛に満ちた表情で言った。ミリアムはアラーナに憧れて宮廷騎士団に入団した史上2番目の女性騎士であり、アラーナに心酔し、崇拝と言っていい程の感情を寄せていることで知られている人物だった。  武術の実力は同世代の騎士達より頭一つ飛び抜けているため、次期団長候補と目されている。 「どうか、どうか何か仰って下さい団長。これは冤罪だと、そう一言仰って下されば、私達は……!」 「私は罪人とお喋りに興じるよう教育した覚えはないぞ、コーネイン」 「団長……」  ミリアムの必死の訴えを、アラーナはすっぱりと切り捨てた。  これに慌てたのはサジェだ。二人の話を聞く限り、アラーナが反逆の主犯でサジェがその共謀犯であると疑われているらしい。 「……ま、まま待って下さい!わ、わたっしも、きき騎士団長も、……っ、は、反逆なんて……。だ、誰がそんな!」 「黙れノイマン!全て貴様の差し金であることは分かっているんだ!」 「ヒェッ!?な、なななんで、そ、そうなるんですかっ!?」  アラーナが発言した時とは対応が雲泥の差である。ミリアムは美しい栗色の髪を怒りに逆立てながら言った。 「では何故、昨晩団長のご自宅の前に居たのだ!!私もまだお邪魔させてもらったことないのに!!!」  質問を質問で返された上に、後半は完全に私怨が入っている。  流石にここで陛下の告白の内容を話すわけにはいかないが、黙っていたら自分もアラーナも更に疑われることになってしまう。 「わ、わわ私は、ただ……」  仕方なく、王の秘密に触れない範囲だけ話そうと決めたサジェが口を開いた瞬間──アラーナが、視界から消えた。  いや、消えたように見えたのは、アラーナが勢いよくしゃがみこんだからだった。アラーナは縄の端を持っていた騎士に足払いをかけると、彼が倒れた勢いを利用して床を転がり、縄を引き離してしまった。捕らえようと向かってくる騎士達を蹴撃で難なくいなし、そのまま地下牢の入り口へと走る。  あわや逃げ果せると見られたそのとき、ミリアムがアラーナの背後から体当たりをし、二人は折り重なるように倒れた。アラーナを取り押さえながら、ミリアムが部下達を叱責する。 「何をしている!早く手伝え!!」 「は、はいっ!」  アラーナは再び引き立てたれ、サジェの隣の牢獄に入れられると、胴を縛っていた縄を解かれた。拘束が手首を縛る縄だけになったにも拘わらず、今しがたの大立ち回りなど幻だったかのように大人しくしている。 「我々騎士団は皆、貴女が王国に仇なすなんて何かの間違いだと信じていたのに、この期に及んで逃亡を図るなんて……。見損ないました」 「………………」 「貴女はもう、この国の騎士ではない。ただの……反逆者だ」  ミリアムになんと謗られようと、アラーナは顔色ひとつ変えなかった。むしろ、彼女を批難したミリアムの方が泣き出しそうな顔をしている。  ミリアムはまだ何か言いたげにしていたが、結局そのまま騎士達を引き連れて地下牢を出ていった。  サジェは何とかアラーナと話がしたかったが、見張り役の兵がいる間は大っぴらに話すことが出来ない。どうしたものかと唸っていると、目の前を親指ほどの小さな妖精が飛んでいるのが見えた。トンボの羽が生えた少女の姿。空気を操る妖精、エーリエルだ。  生齧りの魔術の知識だが、試さないよりはマシだ。そう考えたサジェは、エーリエルに取引を持ちかけた。 『き、き騎士団長……っ、き、聞こえますか……?』 『…………遠耳の魔術か、貴殿も意外と諦めが悪いな』  サジェが小声で囁くと、アラーナの呆れたような笑い声が聞こえた。よかった、術は成功しているようだ。  ポケットに入っていたお菓子と引き換えに、アラーナとサジェの間だけ音を伝わりやすくしてくれたエーリエルは、サジェの膝の上に座ってもぐもぐとクッキーを食べている。本当はパチルへのお土産として買ってきていたものだったが、思わぬところで役に立った。 『っに、逃げようとし、したのは……あな、貴女には、こここのじょ、状況のげ、原因にこ、っ心当たりがあるからですね』  パチルを連れて逃げたことに加えて、先ほどのアラーナの振る舞いは、どう考えても不自然だった。騎士達は側から見てもアラーナを拘束することに消極的な態度だったし、本気で逃げようとしたならば、もっと早い段階で逃げられたはずだ。  しかしそれも、ミリアムの意識をサジェから逸らそうとしての行動と取れば合点がいく。つまり、アラーナは一連の騒動の原因が王の告白にあり、何故かそれを隠したがっているということになる。 アラーナは何も答えなかったが、サジェは質問を重ねた。 『っソ、ソルフェ様が、か、関わってらっしゃるとお、お考えですか?』 『……本当に聡い方だ。仰る通りです。私は王宮を護る騎士の身でありながら、今までずっと、王妃を欺き続けていたのです。裏切り者の私は、反逆者として捕らえられ、裁かれるのが道理でしょう。私に出来ることは、せめてウィルヘルミナ王女が恙無く即位できるように……』 「っそれは違います!!」 思わず大きい声が出てしまった。ギロリと見張り兵に睨まれ、ぺこぺこと頭を下げる。特に怪しまれなかったところを見ると、彼には魔術の心得がないらしい。警備の面からすれば問題だが、今回は助かった。 『ソルフェ様なんです……あ、貴女とパチル君を、王宮に……陛下のお側に呼ぶようにとお、仰ったのは』 『……何ですって』 壁越しに、アラーナが大きく身動いだ気配がした。やはり誤解していたらしい。サジェは、涙を堪えながら国王の告白を聴いていたソルフェ王妃の姿を思い出し、自分の言葉の足りなさを恥じた。 『ソルフェ様は、こ、こんなことをするお方ではありません。そそ、それは貴女が、い、一番ご存知のはずでしょう』 『……では、何故……』 『な、何者かが、うう裏で……っ糸を引いているに、ち、違いありません』 『その、何者かというのは……?』  今度はサジェが答えに詰まる番だった。パチルを排し、アラーナとサジェの口封じをしたところで、ウィルへルミナ王女が王位継承順第一位であることには変わりない。そのことによって徳をする者など、誰もいないように思えたからだ。少なくとも、表面上は。
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