2.転機

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*** 結局、結城グループの持ち株会社である結城ホールディングスがマトバ産業の第三者割当増資を引き受ける方向で話はまとまった。つまりマトバ産業は結城の傘下に入ることでファンドからの買収を逃れるのだ。 ファンドが敵対的TOBに打って出る猶予を与えないためにも、またマトバ産業が身売りの意思表示を公にすることで、競合する新たな買収者を誘引することを避けるためにも、一連の手続きは水面下で迅速に進められた。 もちろん、結城グループも慈善事業で出資をするわけではないので、結城に有利な条件と抱き合わせである。その一つは、結城側の人間をマトバ産業の代表権のある社長に据えることだった。現社長は会長へ、会長は相談役へ。想定内であったのか、むしろ会長と相談役の椅子が残されていたことに安堵したのか、マトバ側はあっさりとそれを受け入れた。 だが、結城から送り込まれるのが若干31歳の若造だと知った的場(まとば)社長は、一瞬顔を強張らせた。舐められていると思ったのかもしれない。あるいは秀一郎が息子かわいさに買った会社をポンとくれてやったように感じたか。 まあ無理もないと思いながら(あらた)はその様子を見ていた。(あらた)が結城電産社長の息子であるのは事実だし、少し甘さを含んだ華やかなマスクが女性には受けても年配の男性からは一見軽そうに見られることも経験上知っている。 「工学部出身で会社経営の実績などない若輩者ですが、どうぞご指導のほど宜しくお願い致します」 (あらた)は丁寧に頭を下げた。 「一応、MBAは取っている。大学時代には『理系のための経営学勉強会』とかいう同好会を作ったそうだ」 秀一郎が言葉を添えると、「ほう」と的場(まとば)社長のまわりの空気が少し緩んだ。ここは父親が投げてくれたパスを有効に生かすべきだろう。 「私も海聖出身なんです。あそこには事業経営者の息子が少なからずいたでしょう?本当は理系に進みたいのに経済学部へ進めという親からのプレッシャーに悩んでいる友人も多かった。私は自分の興味を優先しましたが、経営学を学んでおいた方がいいという周りのアドバイスももっともだと感じ、せめて基礎だけでも勉強しておこうと思ったんです。でもダブルスクールは時間も費用も掛かります。そこで、仲間と一緒に勉強会を始めたんです。ほら、海聖OBには飲み代程度のボランティア価格で講師を買って出てくださる後輩思いの方が沢山おられますから。そのうち病院経営者の親を持つ医学部のやつらや、将来起業を考えている理工のやつらが口コミでどんどん集まってきてしまって。ちゃんとした組織にした方が運営が楽だと思ったんですよ」 もともとは「結城グループのリーダーになるために経済学部経営学科へ」という母親の懇願をまたもや跳ねつけた(あらた)が、ビジネススクールに通うのも母の恨み節を聞かされるのも面倒だと思いついた策だった。それが結果的にそれなりの組織になっただけだ。だが物は言いようだ。使えるものは何でも使えばいい。相手に無駄な心配をさせる必要はない。 「ふむ。新君はなかなかバイタリティーがあるね」 「勿論、定期的に勉強会の打ち上げの方もしっかりやりましたので、他学部だけでなく他大学にも随分友人ができました。講師役を買ってでてくださった先輩方やメンバー達とは今でも交流があります」 悪戯っぽく笑ってみせると、“打ち上げ”が“飲み会”だと察したらしい的場社長は表情を緩めた。 「もしかして、君は海聖で運準(うんじゅん)をやったのかな?」 運準とは、『運動会準備委員会』の略称だ。全てが学生の手で運営される海聖学園の運動会は豪快な男子校らしさが溢れていて、超有名進学校の意外な一面という意味も込めて毎年メディアが取材にやって来るほどの名物行事だ。海聖学園の生徒たちは皆、並々ならぬ情熱を運動会に注ぎ込む。準備委員会のメンバーになるにも、自薦他薦の乱立する候補者のなかから選ばれなければならない。そうして選ばれた運準メンバーは2,100名もの学生を統率して一大イベントを成功させるため多大な労力と時間を費やす代わりに、学内で一目置かれる存在となる。 「ええ。2副をやりました」 「ほう、それは頼もしいな。委員長は運準の顔だが、その代の成否は2副に掛かっていると言われたものだ」 感心するように大きく頷いた的場社長は、もう先程の憤慨の気配は纏っていなかった。運動会の話は海聖OBと打ち解けるにはもってこいの話題だが、今回も効果覿面(こうかてきめん)だったようだ。  「(あらた)君。我々には君のような人材が必要なのかもしれない。この場だから恥を忍んで打ち明けるが、実は我が社は改革待ったなしの状態にあるんだ」 極秘扱いの会談なので、ここには的場(まとば)社長とその秘書、結城側は秀一郎と(あらた)、持ち株会社である結城ホールディングスの担当者しかいない。 「これはひとえに社長である私の力不足のせいなのだが」 小さく溜息をつき、的場社長は話し始めた。
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