2.転機

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マトバ産業の創業者は、自分の後釜として長男を社長に据え、自身は会長となって経営の第一線から退いた。だが10年前、その社長が交通事故で亡くなってしまう。 「私は5人きょうだいの末っ子次男でね。それまで好きにさせてもらっていて、経営のことなど何も知らない英文学の研究者だったんだ。それを突然兄の後を継げと言われてね。当然、私には無理だし会社のためにもならないと固辞をした。でも自分の後継ぎとして大事に大事に育ててきた長男を失った父のあまりの憔悴ぶりを見ていられなくなってしまって。自分がもう一度社長に戻って直々に私を育てるからという父の懇願に根負けして首を縦にふってしまったんだよ」 自嘲めいた笑みを浮かべて、的場社長は続ける。 「それが失敗だったのだろう。勿論、私も懸命に取り組んできたつもりだが、私には企業トップとして大事なものが欠けていた。強いリーダーシップ、求心力が足りなかった。父は自分の目の黒いうちにと4年前に私をなんとか社長の椅子に座らせたが、そのあたりから社内の派閥争いが目に見えて激しくなってしまってね。取締役会でもなかなか話が纏まらず事案の決定に時間がかかることもしばしばだ。まあ、古参の者たちからしたら畑違いの私が後からきて社長に収まったのが面白いわけがないだろうし、私の気の弱さも彼らに隙を与えてしまっているのだろう」 確かに的場社長は線が細く物腰もどこかおっとりとして、今でも英文学の学者ですと優美なティーカップで紅茶を飲んでいる方がしっくりくるような雰囲気がある。 「秘書から聞くところによると、派閥への社員の取り込みや互いの腹の探り合いにずいぶんと無駄な労力が使われているようでね」 隣に座る秘書の方へ目をやると、30代前半と思われる女性は困ったような表情を浮かべて社長の言葉に頷いている。 結城の方だって、祖父の打ち出した後継者レースのせいで親族間で軋轢(あつれき)が生まれている。つい先日も、レースの先頭を独走態勢の秀一郎とその長男を貶めるべく、(あらた)のでっち上げ記事を従兄が裏で手を引いて書かせていたのだから似たようなものだ。だが周りを巻き込んで対立する派閥抗争は、より厄介なのかもしれない。 「だから、なんのしがらみも無い若いリーダーに思い切った舵取りをしてもらった方が、きっとマトバのためだ。君はなかなかいい眼をしているし、さすが結城君の息子だ、大物の予感がするよ。初めは抵抗があるかもしれないが、私もできる限りの協力はしよう。期待しているよ。いや、新君、どうかマトバをよろしく頼みます」 父親と同じ歳の的場社長に深々と頭を下げられ、(あらた)も慌てて頭を下げ返した。
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