3.懐かしい名前

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マトバ産業は財務内容こそ健全だったものの、蓋を開けてみれば派閥問題を別にしても、いくつか問題を抱えていた。 まず資本に対する収益率(ROE)が低い。確かに世界シェア7割というのは驚異的な数字ではある。しかし、建設機械の油圧回路用のフィルターというニッチ製品であるが故に、その市場が大手の目に留まらずに来たというラッキーな面もあるのではないか。 また建機用フィルター1本に会社の売り上げの大部分を依存している現状も好ましいとはいえない。原材料が高騰したり販売価格が下落すれば、それだけ受ける影響も甚大なものとなる。その上、その頼みの主力商品の売り上げが近年じりじりと落ちてきている。 建機用以外にも、産業用フィルターの製造や新商品の開発も手掛けてはいるが収益の柱の一つと呼べるほどには育っていない。 企業体質の古さも気になった。就任前に数名の幹部と打ち合わせで顔を合わせる機会があったが、皆一様に保守的で恐ろしく頭が固い。高杉の言葉を借りれば「時代は令和だというのに昭和臭がプンプンしている」 企業の上層部がこれなら、社内も推して量るべし。 「マトバでは、やることがたくさんありそうだ」 打ち合わせを終えた(あらた)の無意識の呟きに高杉が反応する。 「きっと今見えていること以上にたくさん問題があるんでしょうね。で、結城先輩はなんでそんなに楽しそうなんですか?」 「そりゃそうだろう。山は険しく高いほど踏破(とうは)の達成感と爽快感は大きいだろ?お前、俺が社長の椅子にふんぞり返るために結城電産を出てきたとでも思ってる?」 「まさか。今回、結城さんに声を掛けられて恩返しするチャンスだと思いましたが、引き受けた理由はそれだけじゃありません。きっと結城さんと一緒に面白い景色が見られると思ったからOKしたんです。だから僕も今、すごくワクワクしてますよ」 「それを聞いて安心した。何度も言うが俺はお前に恩を売ったつもりはない。俺は信用のおける有能な人間を傍におきたくてお前を呼んだんだ。今までのキャリアを捨てて俺の我儘に付き合ってくれるお前にはこっちが感謝している。俺は大雑把で楽天的すぎるところがあるからな、お前のフォローを頼りにしてるぞ」 そう言って高杉の肩に手を置くと、高杉は頬を上気させて「はい」と力強く頷いた。 高さの比較だけなら、結城電産の方がずっと高く大きな山だろう。だが父の秀一郎が「マトバはガバナンスに問題あり」と知っていながら(あらた)にやってみるかと問うたのにはきっと理由がある。(あらた)はそれを、結城電産にいたままでは得ることができない経験を積めるはずだという親心ではないかと思っている。 勿論、(あらた)も親の期待に応えるために決断したわけではない。たとえ企業体が小さくとも経営側に回りトップを経験するなど誰にでも巡ってくるチャンスではない。それをみすみす見逃すのは愚かだと思ったのだ。
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