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秘密
「そういやさ、今日面白いとこ見ちゃって」
いつもの朝、人の少ない教室で。
4人で他愛もない雑談をしてる最中、不意に斉田がこんな話をし始めた。
「近所のおっさんの家から、小人間の死体が大量に出たらしくて、警察に連れてかれるとこを見ちゃったんだよ」
「うわ、すげえな。引く」
スマホをいじる指をせわしなく動かしたまま、青木が返す。
「ああいうのをたくさん買ってるやつってロクなのいなさそうだよな」
森谷はふん、と鼻で笑った。すかさず青木が、
「でもお前そういうの好きそう」
「いやいや、俺にああいうのは必要ないね。むしろ高野みたいなやつが意外と好きだったりするんだよなあ……高野?」
急に話をふられ、つい身じろぎした。
いつもなら適当にあしらって流せるような冗談だけど、今日はそんな風に返せず、
「ああ……うん」
と曖昧な返事をしてしまった。
「なんか今日ボーッとしてるな」
「あ……そうなんだよ、ちょっと寝不足で」
そう、寝不足。
僕は今、一つの秘密を抱えている。秘密、というよりも不安の芽、というべきか。
ボーッとしてるのも寝不足なのも、その秘密のせいである。
その秘密というのは、僕の叔父から託されたものだった。
さかのぼること数日前。叔父──健治さんが心臓発作で急死した。
健治さんは父さんの5つ下の弟で、まだ39歳だった。
僕と健治さんとの仲はけっこう良くて、健治さんはよく漫画を貸してくれたり、遊びにつれていってくれた。
父さんはいつまでも独身で実家暮らしの健治さんに対して、あきれて小言を言っていたけれど、僕は健治さんのことをそんな風に思ったことはなかった。
健治さんと、読んだ漫画の感想で盛り上がったり、色んなところに旅行に行った話をきいたりするのは僕にとっては楽しいことだった。
葬儀が終わって、遺品の整理をしにいった時のことだ。僕は健治さんに言われた、あることを思い出した。
健治さんは、夏休み中に遊びに来た僕に、こう言ったのだった。
「部屋の整理をしたんだ。欲しいものがあったら持っていっていいよ。それから」
──それから、もし僕に何かあったらこの箱と、引き出しの中のものを引き取ってほしいんだ──。
思い返してみれば、健治さんはこのころ何か虫の知らせでもあったのかもしれない。死期の近い人は急に片付けを始めるという話を聞いたことがある。
その時は、僕に何かあったら、なんて縁起でもないな、くらいにしか思っていなかったが、まさか2か月後に本当に死んでしまうなんて。
ともかくとして、僕はその箱を言われた通り引き取ることにした。
箱は大きめなクッキー缶のような、底が深く正方形に近い四角形をしていて、蓋のところには鍵がついていた。
机の引き出しからそれらしき鍵を取り出して、鍵穴にさしこむ。
鍵つきの箱なんて、健治さんは僕に一体何をくれるつもりだったんだろう。
僕は遺品整理に来たというのに妙に浮き足立ってしまって、好奇心と共に鍵を回した。 カチリ、と小さい音がなる。蓋をあけると──
目があった。
一体の人形が、違う。一体の小人間が、箱の中心に座り込んで、虚ろな目で僕を見上げていた。
その目は、底の見えない海のような青さをしていた。見上げた拍子に、背中に滑り落ちた黒髪が、白いセーラー服にまとわりつくように広がった。
人工小人間──妖精(フェアリー)とも呼ばれているらしいそれを、実際に目にするのはこれが初めてだった。
数年前から一部の大人の間で流行りだした、クローン技術だか遺伝子操作の技術だかで作られた愛玩用の人間。
表向きは独り暮らしの老人や、孤独を感じてる人の心の支えになることを目的としているらしいけど、実際はどうだか。
最近、テレビの深夜番組を見て知ったことだが、小人間は少女型が人気で、ほとんどの人が小人間用の制服と一緒に少女型を買っていくらしい。
オプションで猫耳や羽根をつける人もいるとか。
多分、小人間は大人が楽しむための、大人用の人形という立ち位置になっていて、世間も(僕を含め)なんとなくそういう認識になっているんだと思う。
それにしても、健治さんの趣味は知ってたけど、まさかこんなものまで買ってるとは思わなかった。
これを引き取る……僕に育ててほしいということか?まあ、僕以外に頼めるような相手もいないだろうし、仕方ないか。と、父さんを想像して納得する。
「ケンジ……じゃ、ない。あなた、……誰?」
突として、箱の中から声がした。小人間の声だった。
なんだ、小人間ってちゃんと喋れるんだ、と少し意外に思った。こんなに小さくて、見た目は完全に出来の良いフィギュアという感じなのに。
「えーと……僕はトウヤ。健治さんの甥、って分かんないか。で、その健治さんなんだけど──」
3日前に亡くなったんだ、と伝えると、小人間はほんの一瞬だけ目を見開いてから、目を伏せて「ふうん」とだけ返した。
思いの外淡白な反応に拍子抜けしたことを覚えている。
「それで、健治さんに頼まれて、僕が世話することになったから」
こうして僕は小人間と暮らすことになった。といってもまだ昨日の今日の出来事である。
ただ僕は、昨日の今日であるにも関わらず、すでにもう気が滅入ってしまっていた。
引き取って育てるといっても本物の人間というわけじゃない。サイズからしてハムスターを育てるようなものだろう……と僕は楽観視していたが、そう上手くはいかなそうだ。
はっきり言って、この先上手くやっていけるか不安である。
そう思う理由は2つある。
1つは、両親や友達にバレないようにしなきゃ、という緊張感。
僕はまだ、小人間の存在を、小人間を引き取ったことを、父さんにはもちろん母さんにすら言っていない。
当たり前だ。世間の小人間に対する目はそこまで厳しくはなくとも、あまり良い印象は抱かれていない。
少なくとも、こんな中学生が飼うものじゃない、という認識は共通しているだろう。
同じような理由で友達にも言わないつもりだ。だから、今朝急に小人間の話題になったときはタイミングが良すぎて(いや、悪すぎて?)見透かされてるんじゃ、と内心とても焦った。
もしバレたら。もし僕が小人間を飼ってることが知られたらきっと引かれるに違いない。
どうか誰も小人間のことに気付きませんように……。
そんなことが脳内をずっと支配しているうちに今日最後の授業が終わった。
いつもなら友達と寄り道をしながら帰るところだけど、今日はまっすぐ帰宅する。
玄関を開けるなり、2階の自分の部屋へ飛び込んだ。
「あ、帰って来た」
机の上、蓋のあいた箱から小人間が顔を出していた。箱の壁に両腕をかけて、気だるげに寄りかかっている。
「おい!なんで蓋を開けっ放しにしてんだよ!誰かに見られたら……」
「いいじゃない。どうせこの家には昼間、誰もいないみたいだし」
小人間は悪びれる様子もなくそう言った。
確かに僕の両親は共働きで、平日の昼間、家にいることは滅多にない。でも、万が一のことを考えるとなるべく箱の中で大人しくしてほしいのに。
というか、今朝鍵をかけていこうとしたら小人間のほうから
「余計窮屈に感じるから鍵はかけないで。……大人しくしてるからいいでしょ?」と言ってきたからそうしたのに、こいつの中では無かったことになっているらしい。
「そんなことより、私、そろそろお風呂に入りたいわ。はやくマグカップの用意をして。それかお茶碗」
「あのなあ……」
この先上手くやっていけるか、不安に感じる2つ目の理由は、こいつの性格にあった。
一言で表すと、こいつはわがままだ。傍若無人で自由勝手。まさに、わがままな箱入り娘と言ったところだろうか。
昨日だって、初めて会ったばかりだというのに
「お菓子をちょうだい。……ないの?これから私を世話するのならそれくらい用意してよね」
この図々しさだ。
こいつは遠慮というものを知らないらしい。
「小人間って、風呂に入る必要あんの?外にでてるわけでもないのに」
「信じられない。外にでてなきゃ入っちゃだめってわけ?人間だって毎日入ってるくせに」
逆に怒られた。反論する気にもなれなくて、はいはい、と生返事をする。部屋を出る僕の背中に
「そうそう、お湯はあんまり熱すぎないようにして」
もう一つ、注文が投げかけられた。
それにしても、健治さんはよくこんな奴の世話ができたな……それとも実はこういうわがまま娘が好きだったのだろうか。
それとも甘やかしすぎてああなったのか。
食器棚から出したマグカップに、ポットでお湯を注ぎながら、そんなことを考えた。
お湯はこのままじゃ熱いから、注文通り、氷を2個ほどいれてやる。氷はくるくると回って、互いにぶつかり合うことなくすぐに溶けていった。
指で温度を確認してから、台所を出て部屋へ戻る。
「持ってきたけど」
「じゃあそこに。……ちょうど良い温度ね」
礼は無しか、と言いそうになるのを喉元で押し止めた。
小人間は指先で水面を軽くかき回して頷く。
それから急に水面から指を引き、赤いタイをシュルリとほどいたかと思うと、セーラー服の上を脱ぎ始めた。
呆気にとられている間に、スカートのホックに手をかけ、それもはずし始める。
「待て待て待て」
小人間は顔をあげて、小首をかしげた。パサリという音と共にスカートが足下で広がった。
「なに普通に脱ぎ始めてんだよ」
「なあに?なにも問題ないでしょ。ケンジと居たときからずっとこうしてんだけど」
「はぁ……」
思わずため息をついた。
健治さんに対するなんともいえない気持ちと、これじゃ、僕は傍からみたら人形を裸にして楽しむ変態みたいだな。という自嘲めいた気持ちからでたため息だった。
やはり小人間と人間には感覚とか感性に隔たりがあるのだろうか。
見た目は普通の人間を小さくしただけで、一見なにも(サイズ以外は)変わらないように見えるが、中身はそうじゃないのかもしれない。
というかそもそも、その名の通り人工なんだから中身まで自然な人間のようになるとは思わないほうがいいのかもしれない。
そんなことを考えている間にふと、明日提出の宿題があることを思い出した。今のうちに片付けてしまおう。
僕はそれまでの思考から一旦離れて、机にノートを広げた。
小人間はその隣で大人しくマグカップの湯船に浸かっている。
眠たそうな目で膝をかかえてる姿は、こうして見るとかわいげがあった。
あどけなさの残る顔も、艶のある黒髪も、滑らかな肩の線も、腕の良い職人が端正込めて作り上げたような繊細さで、
黙っていれぱ美少女とはこういうことかと、ぼんやりとそう思った。
しばらく見ていると視線に気付いたのか、目があった。青いビー玉のような丸い目を歪めてこっちを睨んでる。
「なにジロジロ見てるの?」
「さっき人前で平気で脱いでたくせに、何を……」
「それとこれとは別よ!」
そう言い放つやいなや、そっぽを向いてしまった。
躊躇なく人前で脱いでたくせに、なんとも理不尽だ。……いや、ジロジロ見られたら小人間でも良い気はしないか。
気を取り直して、僕はまたノートに向かった。
宿題が終わるころには、小人間はすでにマグカップの風呂からあがり、ワンピース型の白い寝間着姿で箱の中のベッドに寝そべっていた。
改めて全体を見ると、箱の中は大分簡素な内装だと感じる。
小人間が暮らしているこの箱は、小人間専用の家として売られているものの中でも安価なものらしい。
家具はベッドと机とクローゼットと洗面台くらいしか置いていない。
もっと豪華な家がよかった、と小人間が昨日ぼやいていたことを思い出した。
僕が机の上のノートや文房具を片付け始めたのを見計らって、小人間が口を開く。
「ねえ、チョコレートが食べたいのだけど」
「はいはい」
チョコレートを台所へ取りに、席をたつ。ついでに、マグカップも持っていって洗い流した。
部屋に戻って、米粒大のチョコレートを一粒渡すと、小人間はそれを片手で掴むように受け取った。
人間になおすと恵方巻のような、ふ菓子のような大きさであろうチョコレートをゆっくりかじり始める。
二口三口食べたところで、小人間はぽつりとつぶやいた。
「退屈」
また一口、かじる。
「あの面白味のないところからここにきて、何か新しいことがあるか期待してたけど……今のところ無さそうね。ああ、退屈。」
聞こえよがしに、少し張り上げたような声で小人間はそう言った。
今のは少し、カチンときた。
食べ物を与えて、風呂の用意もして、粗雑な扱いはしていないのに、ずいぶん偉そうなものの言い方だ。
それに、健治さんのことだって、あの面白味のない人、なんて言う。
ああ健治さん、僕はこんなわがまま女に振り回される趣味はないよ……それに健治さんのことだって、少しも悲しんじゃいないみたいだ。
まだ2日目だが、こんなやつの世話を、これからやっていける気がしないと、
なんてものを託してくれたんだ……と思わずにはいられなかった。
「あのなあ。お前さ、あの面白味のないとか言って、前の飼い主が死んだっていうのに悲しくないわけ?恩とかそういうのとかもさあ……育てられてる身のくせに。小人間にはそういうの、ないのかよ」
言うつもりはなかったのに、ついこんな言葉をが口をついて出てきた。
「失礼な人!私だって悲しいって感情はあるわよ」
小人間はこんな風に返されるとは思ってもいなかったのか、半分食べかけのチョコレートを取り落とし、怒りで目をつりあげた。
──と思いきやそれは一瞬のことで、怒りの色はみるみる静まっていき、それは悲しみのような、諦めのようなものに変わっていった。
小人間は目を伏せてそっとつぶやいた。
「私にはあいつしか居なかったから。
あの人以外の人間を、私は知らなかった。
あの人が、顔を見せなくなって、やっと蓋があいたと思ったら、知らない人間の顔があって。
ああ、もう一生顔をあわせることはないんだわって……」
僕はあの箱を開けたときのことを思い出していた。
す落ちてしまいそうな、深く冷たい海の青。
「でも、それとこれとは別だから」
伏せていた目を上げて、こちらをまっすぐ見据えた。
それから、言葉をつづける。
「確かに私はあいつに世話されてたし、その事に関して感謝の気持ちがないわけじゃないわ。でも、あいつは私を外には連れていってくれなかった。……そういうことよ」
小人間は、ベッドに落とした食べかけのチョコレートを拾うと、手で払ってからまた食べ始めた。
しばらくすると、「洗面台の水がもう無いのだけど」という声がした。
どうやら、歯を磨こうとしたものの、箱に備え付けの洗面台のタンクが空で、水が流れないらしかった。
「分かった」
僕はまた台所へ行って、コップに少しの水を入れた。
そして、もう一つのコップに自分用にも水を入れて──一息に飲み干した。
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