未知

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未知

あれからずっと、僕は小人間が言ったことの意味を考えていた。 元飼い主の死と、元飼い主がつまらなかったことは別の問題、ということ。 僕にはいまいちどういうことか分からない。 だって、毎日顔を合わせている人、それも自分の世話をしてくれる人が死んだら悲しいものじゃないのか。 もし僕の両親や友達が死んだとしても、あんな風に薄情なものの言い方はできない。 世話をしてもらっておいて、馬鹿にするような、そんなことは。 ……でも、しばらく小人間を世話しているうちに、気がついた。 小人間の世界は自分のよりもずっとずっと狭かったのだ。 朝が来たら起きて、食べ物が与えられるのを待つ。昼はずっと箱の中。夜になったら風呂に入り、与えられる食べ物を食べて、眠りにつく。 そして、また朝が来たら起きて、与えられたものを食べて、寝て…… 延々と、繰り返し、繰り返し。 そう、こいつは一人では生きていけない。誰かの手を借りなければ生活できない。それはそうだろう。だってそういう風に作られているのだから。 人は寂しさを埋めるもの、あるいは癒しを小人間に求めて、そのために小人間の世話をする。ペットとなんら変わりない、人の心を満たすための愛玩人間。 でもそれはあいつが望んだことなのか? 人の手を借りて、人に保護してもらって、自分一人で出掛けることもできない。 僕は違う。両親の庇護のもとに育てられ生きてきた──この点は形は違えど小人間と変わらないが、僕は好きなときに好きなものを食べ、自由に外出をすることができる。退屈な時でも何かしらの娯楽があるから暇潰しには困らない。 でも小人間は、小人間としてこの世に生を受けた時点で、人の手が届く範囲でしか生きられないのだ。 「世話をしてもらっておいて」と僕は思ったが、それは違うんじゃないか。だってそれは人が小人間を飼う上での義務のようなものだから。 あいつにとって健治さんは自分の世話をする人であったが、それは小人間にとっては当然のことなのだ。 小人間があの時言ったことをもう1つ思い出す。 「外に連れ出してくれなかった」 退屈な日々、同じような毎日の繰り返し。 自分の世話をしてくれた人というより、むしろ自分を狭い場所に閉じ込める悪いやつ、くらいには思っていたのかもしれない。 あいつは生意気で、わがままで、愛想なんてまるでなくて、外見の良さ以外に取り柄がない。でも、そんなこととは別にして、なんだかかわいそうだ。そう思ってしまった。 今思い返すと、健治さんのことを悪く言われたからといって、むきになりすぎたような気がする。 実を言うと、あの時の言葉を少しだけ後悔しているのだ。少し言い過ぎだったな、と。 あいつがあんな態度であんなことを言い出すから仕方がない、自分が言ったことは何も間違っちゃいない、そう考えていた。そう考えるようにしていた。が、どうにも胸の奥の小さなひっかかりが取れず、小人間の世話をするたびに、後ろめたさがそのひっかかりをさらに奥へと押しやる。 だからと言って自分から謝るのも、もとはといえばあいつが言い出したことなんだから、癪だ。つまらない意地だと分かっている。ただ、やっぱり自分から謝るのは、あいつの調子に狂わされているような心地がして、虫が好かないのだ。 あの日から、あいつとは会話という会話をしていない。最初のうちは、あんな風に口を開けば悪態ばっかりのやつは静かにしていてくれるほうがずっといいと思っていたが、次第に気まずさの方が大きくなっていった。 僕の方が気にしすぎているだけなのかもしれないけれど、もともとツンと取り澄ましたような態度だったが、それがさらに棘のあるものになったような気がして、なんだか落ち着かない。この状況、どうにかならないものか……。 そんなことを考えていた放課後。僕はいつもの友達3人にラーメンでも食べに行こうと誘われた。その時、僕の中で何かが繋がった。 「ごめん、ちょっと用事あるんだ。今日はやめとく」 「んー、じゃ、また今度な」 斉田がひらひらと手をふる。僕は3人と別れて帰路を急いだ。 小人間を、外に連れていけばいいんじゃないか? 僕はそんなことをひらめいたのだ。 あいつは外に出たがってた。明日は土曜日で学校は休み。僕はあいつを外に連れ出す。あいつは退屈じゃなくなって気を良くする。 そしたら、あのギクシャクした空気が少しはましになって、この前のことは僕から謝らずとも自然に解決する……。 なんだ、簡単なことじゃないか。 家に着くと、僕は2階の部屋にあがり、小人間のいる机の方へ歩み寄った。箱をのぞくと、小人間はこちらに背を向けるかたちで椅子に腰掛け、専用のおもちゃで大きな(といっても人間の爪くらいの)シャボン玉を作る遊びをしていた。 遊んではいるけれど、やっぱりその顔は退屈そうに沈んでいる。まるで工場の機械みたいに、腕を動かしてシャボン玉を作って、壊れたらまた作ってを繰り返している。 小人間は僕が帰って来たことに気付き、シャボン玉を作る手を止めないまま一瞥した後、ふんと鼻をならした。 そんな小人間に向かって一言。 「……なあ、お前。外にでかけてみないか?」 言うが早いか、小人間は立ち上がり、首がとれそうなほどの勢いで振り向いた。信じられない、と言いたげな顔つきでぱちぱちと瞬きをしてこちらを見上げる。 ひときわ大きなシャボン玉が、ぱちんと弾けた。 次の日の10時頃。親には図書館で勉強をしてくると伝えて家を出た。玄関先で空を仰ぐと、頭上には透き通るような快晴。雲一つ見当たらない空は、水をたっぷり含んだ刷毛でのばしたような青色が一面に広がっている。 秋の乾いた風が清々しく鼻を通り抜ける。踏み出した足元で、落ち葉が軽快な音を鳴らした。 向かう先は公園である。家を出て少し歩いたところにある、この地域でも有数の広い公園だ。本当はバスで行ったほうが速いし楽だけど、小人間がいることを考えて歩いて行くことにした。 昨日のことを思い出す。 「外にでかけてみないか」たったそれだけの言葉だったが、小人間にはかなり効いたらしい。あいつの顔からはそれまでの退屈が嘘のように吹き飛ばされ、喜びや驚きでこれまでに見たことないくらい顔を輝かせていた。 「外へ!?本当に?」 小人間はビー玉のような青い瞳をまん丸にして、無邪気すぎて痛いほどの視線を僕に投げかけた。漫画だったらここで無数の星がキラキラ飛び散っていることだろう。 正直ここまで食い付きがいいとは思わなかったから、若干気圧されつつも頷いた。 「でも、急にどうして……そんなことはいいの。何を着ていこう……。ああ、でも外に着ていけそうなのはこれだけだわ……」 と、何やら呟きながら制服のすそをつまんで一回転し、そのままベッドに倒れこんだ。 そして、また満足げに頬を緩ませた。 なんというか、見ていて面白いくらいの浮かれようだった。小人間でもこんな風に感情を顔に表すことがあるんだ……そんなことを思った。 あいつの世話をはじめてから半月ほどたったが、あんな表情は見たことがなかった。これからもそう見られるものではないんじゃないかとすら思う。 「息苦しいわね……。ねえ、まだ着かないわけ?」 上着の胸ポケットからくぐもった声がきこえた。僕は小声で返す。 「仕方ないだろ。もうちょっと我慢してろ」 小人間には、公園につくまでの間は上着のふたつきの胸ポケットに入るように、昨日のうちに言った。いつもの調子ならここであれこれ文句を言いそうだけど、昨日は外に出れる楽しみのほうが勝ったのか、すんなりと聞き入れた。 なぜ胸ポケットから出さないのかというと人目に付かないようにするためだからなんだけど、今歩いている通りは普段から人通りが少なく、今もすれ違う人はほとんどいない。 僕は胸ポケットのふたを開けて、中で体を丸めて座る小人間に話しかけた。 「あんまり人いないから、ちょっとだけなら出てもいいけど」 しばらく胸ポケットがもぞもぞ動いたと思うと、ふたが直角に持ち上がった。どうやら小人間がポケットから頭をだしたようだ。 「あれはなに?」 「あれって?」 「上にある線にいる、変な音を出してるもの」 上にある線……とは電線のことだろうか。なら変な音をだしているものというのは鳥のことだろう。 「あれは鳥っていう動物だ。種類は知らない」 「家にいるときに聞こえてたあの音、あいつらが出してたのね」 小人間は続ける。 「じゃあさっきからしてる爽やかで甘い匂いはなに?」 「金木犀だな。ほら、この花の匂いだ」 道に植樹された金木犀に橙色の小さな花がぽつぽつと咲き始めていた。僕は近づいて指をさす。近くに寄ると金木犀の、胸をすくような、しかしどことなく寂寥を感じさせるようや甘やかな香りがいっそう肺にしみるようだった。 「一つとってちょうだい」 「気に入ったのか?」 指先で摘んだ金木犀の花は、気を付けないと散り散りになってしまいそうなほど小さい。僕はポケットのふたを上げ、小人間の手のひらに花を置いた。 しばらく歩いていると、ポケットからまた声がした。 「ねえ、紐に繋がれてる白い綿はなに?動いているようだけど」 前方で白い犬と飼い主が歩いているのが見える。なるほど、小人間が言うように綿のようにもこもこしている。……そういえば、小人間にはどれくらいの知識があるんだろうか。少なくとも動物や花のことは知らなそうだけど。 「犬っていう動物だ。ああやって散歩してるんだ」 すれ違い様の、犬の飼い主の怪訝そうな視線がチクチク刺さった。傍から見れば一人言をつぶやく変人だからしょうがないかもしれないけれど、少しきまりが悪い。 僕は咳払いをした。そろそろ交差点にでて、人通りの多い道にさしかかるころだ。 「おい、そろそろ元に戻れよ」 「もう?まだ見ていたかったけど」 と言いつつも素直にポケットの中にひっこみ、上がっていたふたがするすると閉じる。 目的の公園まではこの交差点を突っ切ってあとはずっと道に沿って歩くだけだ。 そういえば、こんな風に公園に行くのはずいぶんと久しぶりな気がする。いつからか遊びといえばゲームが中心になり、中学に入ってからは塾に通い始めたこともあって、外へ遊びに行く時間はほとんどなくなっていた。 たまにはこういう、空の下で気分転換っていうのもいいかもしれないな。そう考えているうちに目的地にたどり着いた。
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