新宿有情

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新宿有情

 梅雨は初めてだと言った。  彼が生まれ、育った国では雨が殆ど降らなかったそうだ。だから、僕は彼がずぶ濡れで教室に入ってくるのをよく目にした。傘を持っていないのかと訊くと、毎回「わすれました」と一言控え目に答えた。見かねて自分の傘を貸してやると、彼は素直に受け取り、けれどそれから二日後の雨の日、授業に現れた彼はやはり濡れていた。傘はどうしたのかと訊くと、「もってきました」と答えた。そして入ってきたばかりのドアを引き返して、傘立てからダークブルーの傘を一本取り出して見せた。「これ、先生」  彼は自分の生まれ育った国にいられなくなった。詳しい事情は知らないが、夜のニュースで何度か流れたその国の内戦が、彼に日本の土を踏ませることとなった。最初彼はパスポートを持たずにこの国に来た。船から降りて、まだ陽の昇る前の横浜港の建物の陰を、誰にも見付からないように裸足で駆けたのだそうだ。それから日本で暮らす同郷の人々のコミュニティに身を寄せ、生活に見通しが立った頃に難民申請をした。申請は無事に認められ、彼は現在僕が講師を務める日本語学校の生徒となっている。初めて彼がずぶ濡れで教室に入ってきた日に聞いた話だ。授業後、そのまま教室で弁当を食べ始めた彼に声を掛けると教えてくれた。  つい十数年前まで、日本の難民政策は世界でも最も酷薄なものとして知られていた。毎年2万人近い申請者の数に比して、1%どころか0.2~0.3%、平均20人、良くて30人程度が「難民」としての資格を政府に認められるに過ぎなかった。その他数十人程度が「人道的な配慮」によって日本への滞在を認められたが、合わせても1%に当たる100人にすら満たないような状況だった。では、申請を認められなかった残りの約2万人はどうしていたかと言うと、母国に送り返されて銃殺刑や絞首刑に処され、あるいは自らの国の政府による爆撃で殺されるのでなければ、入国管理局によって身柄を拘束された上でセンターに収容されていた。生きていることそのものが罪なのだとでも言わんばかりに、日本政府は彼らから一切の人権を取り上げた上で、事実上の無期懲役刑に処した。その頃の日本では、休日の街に出ればほぼ毎週必ず民族間の憎悪を煽るヘイトスピーチに出会していたという話だ。この国に暮らす「普通の人々」が、ただ暮らしているだけで生み出されたそんな醜悪な光景を、ネットを通じて目にする度に僕の心にはさざ波が立った。もしもここが日本で、僕が日本人だったら、僕は一体どうしていただろうか。それを今でも考える。  それ自体が「人道に対する罪」であるかのような難民政策は結局のところ、斜陽の一途を辿る経済成長とその果実として皮肉にももたらされた人種の坩堝、即ち労働力人口を補う為になし崩し的に拡大を続けた移民政策の都合により撤回された。既に有数の「移民国家」となっていた日本社会の現実に照らした場合、「難民」を受け入れぬ合理的な理由が見当たらないという世論が醸成されていたこと、そして政治家からすれば「第二の天安門」として香港を武力鎮圧した中国の覇権政策に対抗する為に国際社会に自らが自由主義陣営に属することを強力にアピールせねばならないという必要から、それまでの締め付けは一体なんだったのかというくらいあっさりと難民は難民として認められるようになった。それが七年前、香港が文字通り中国の一部となった年のことだ。独立を求める人々の声が人民解放軍の装甲車に圧し潰された結果として、アジアの頭脳は再び東京に集まることとなった。日本は今や、アメリカに次ぐ世界第二位の難民申請受理件数を誇る、名実ともに移民国家だ。  僕もそうした元難民の一人だ。政治学上既に中国の一部となっていた香港で、僕は2000年に生まれ、そして二十歳の夏に難民として日本に来た。梅雨が明けた、夏の盛りの昼下がりだった。2000年以降に生まれてインターネットで育った若者として世界中限りない類例または同志の例に漏れず、僕はアニメやゲームが大好きだった。かつ、ある程度以上にそうした嗜好を深めた者の関心は必然的に日本に向くという例にも漏れず、ネットに違法アップロードされた日本製アニメを観ては日本語を独学で習得していった。己を犠牲にしてまで世界を救う魔法少女の戦いに涙しては、巨大なハンマーで敵を打ち砕くロボットの姿に胸を熱くさせた。特にお気に入りは90年代の古いアニメで、逃げちゃダメだ、と繰り返して自分を鼓舞するロボットアニメの主人公の台詞は、いつしか僕自身の口癖となっていた。大学では国際政治を専攻し、いつか自分の知性が微力でも香港や中国、日本を含むアジアの、ひいては世界の平和と発展に寄与する日のことを夢見ていた。  東京がオリンピックの熱に沸いていた2020年7月の夜、僕の夢はすっかり醒まされてしまった。大学を卒業したら、どこかのタイミングで日本に渡ろうと思っていた。もちろん正規のパスポートで。まさか自分が難民の身分を日本政府に申請する身になろうとは、それまで考えたこともなかった。人民解放軍の戦車に目の前で人が踏み潰されていく様子を、僕は映画を観るように呆然と眺めていた。你在做什么!(何してるの!) との声で我に返るや、腕を掴まれるままに駆け出した。そのまま一気に港まで走って、ボートに乗り込んだ時にはもう僕の腕を掴んでくれた女性の姿はどこにもなかった。けれど幻じゃない。この世界のどこかに、僕の命を助けてくれた人がいたのだ。 「先生?」 「ああ、ごめんなさい。えっと、"は"と"が"の使い分けですね。これはすごく難しいです」  生徒に声を掛けられて我に返る。あの時もこんな風にぼーっとしていただろうか。いや、少なくともこの教室で生徒は僕を踏み潰したり、銃で撃ったりはしない。その安心感に甘えたのかも知れない。いけない、職責を果たさないと。  これはボールです。これがボールです。違いはわかりますか、わかりません。そんなやり取りをしながら、ふと窓際の席に目を向けると、今日も彼の髪は艶やかに濡れていた。雨の所為で軽くウェーブの掛かった長髪が動いて、彼と目が合う。何も慌てることなどない筈なのに、なぜだか僕は慌てて視線を教科書に戻し、それから廊下側に座るヒジャブを被った生徒を指して「続けて言いましょう、"ここは教室です"」と言った。  家に着いて、僕は久し振りに酒を飲んだ。新宿は少し香港に似ている。もちろん公衆トイレにシャワーは付いていないし、タコツボのようなアパートもない。けれどこの雑踏の中を歩いていると、僕は少しだけ僕に戻れた気がした。  部屋で飲んだのは初めてかも知れない。香港人としては珍しく元から殆ど飲む方ではなかったから、酒の銘柄など全然わからない。とりあえず借りてるアパートの前のコンビニでビールを買って帰った。プルタブを引いた途端に泡が溢れ出してきて、僕は背伸びしたティーンの学生のように慌てて缶に口付けた。口中が苦味で満たされるにつれ、むしろ思考は冴えてきた。もしかして僕は、恋をしているのだろうか。突如として、頭の中にそんな想念が浮かぶ。自分でもひどく混乱しているように思うけれど、これが恋なのだろうか、という自問を止めることができない。誰に? それはもちろん、ずぶ濡れで教室に入ってくる彼にだ。  僕は恋をしたことがない、のだと思う。思春期に周りの友達が次々と誰かとカップルを成立させていくのを後目に、僕自身には特にそういった欲望が芽生えた気がせず、従って僕の日常は僕の好きなアニメの世界とは正反対の味気ないものだった。けれど、必ずしも現実までドラマティックである必要はない。むしろ淡々とした日々の生活があればこそ、物語の世界に夢中になれるのではないか。そうだ、たとえば道を歩いている自分の歩幅に合わせて戦車の大砲が旋回するのを見せ付けられるような刺激に溢れた日常では、物語を楽しむどころか僕は確実に発狂してしまうだろう。だから僕は日本の暮らしの、この退屈を心から愛している。  愛していた筈だった。にも関わらず、僕は遂に未知なる冒険へと足を踏み入れてしまったのかも知れない。それも僕の意志とは全く無関係に。そうか、人を好きになるというのは、身体が動かなくなってしまうようなものなのだ。それは、自分の意志によってはどうすることもできず、何の拒否権もなく、気付いた時にはそのようになっているというだけのことなのだ。  目が覚めた途端、首に刺激が走った。驚いて反射的に数度瞬きをすると、カーテン越しの薄明かりに照らされた室内が青白く浮かんできた。壁に背を預けたまま僕は眠ってしまっていたらしい。夢を見ていた気がする。あるいは今も見ているのかも知れない。その夢の中で僕は僕以外の何かになって、けれど「これは僕じゃない」と認識できる程度には僕だった。それはつまりこの現実と、一体何が違うのだろう。  床では缶の中で炭酸の抜けたビールがぬるくなっていた。僕は立ち上がって中身をシンクに流し、缶を潰してビニール袋に入れた。  その日も雨で、例によって彼はびしょ濡れで教室に入ってきた。丁度、貸した傘を差さずに彼が僕に返した日から一週間後の授業だった。生徒の一人がハンカチを差し出すと、彼はありがとうと言ってそれを受け取って髪を拭いた。 「ねぇ、何でいつも濡れて来るの?」  授業が終わってから、僕は思い切って訊いてみた。 「私の国では雨がふりません。だからあびたいです。いま、よく雨がふります」 「ああ、だから傘貸しても差さなかったのか。つゆ、って言うんだよ、今は。よく雨が降るんだ」  僕は先週と同じ、ダークブルーの傘を差して来た。 「国に帰りたいと思う? その、平和になったら」  僕の不躾な質問に彼は即答した。しまった、と思った時にはもう言葉は口から出ていた。 「帰りたいです、恋人がいます」  そうか、それは、帰りたいよな。 「いつか帰れたらいいね。僕も香港が恋しい」 「香港も行きたいです」 「うん、いつか案内したいよ。帰ろうか、もう授業はないんでしょ?」  教室を出て、エレベーターホールに向かう。時刻は午後三時前で、雨足は強くも弱くもなく、朝からもう何時間も一定のビートを刻んでいる。 「先生は、いつおしえてますか」 「いつからってこと? そうだね、もう五年くらいかな」 「日本語、どうやって勉強しましたか」 「アニメが好きだったんだよ。香港でそれを毎日観てた。日本で何か好きなものはある? 映画とか、アニメとか。音楽でもいい。そういうのがあれば勉強になる」 「ぜんぜんしりません」  エレベーターを待ちながらの他愛無い会話は、彼と僕がたまたまここで出会えたという以上の奇跡はもう起こらないのだと暗示するかのように噛み合わないまま終わった。まあでも、他人同士の会話なんてこんなものだよなと僕は僕の心をはぐらかしながら、窓際へと歩み寄る彼に無意識に視線を同期させる。  窓から見下ろす新宿の街は、雨に煙って明度を一段落としていた。窓というフィルターを一枚通して眺めると、雨がこの街の喧騒を調和させているように見えた。本当はそれぞれに全然別の場所から来て、全く異なる人生を生きる無数の人々や違う目的を持つ都市の構成物が、まるで一枚の絵を形作る為に必然的にそこにいるのだという風に見えてくる。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、少なくともその絵の中には、僕の居場所もあるんじゃないか。そんな無意識の期待は、エレベーターの到着を告げるベルの音に掻き消された。 「駅までさ、入りなよ。もう十分濡れただろ」  満員のエレベーターを真っ先に降りて、自動ドアを出た時に僕は言った。ありがとうございます、と言って彼は僕の広げた傘に入る。そのまま二人で駅まで歩いた。地下鉄の入口で僕は傘を彼に押し付ける。 「この傘あげるから。ちゃんと使いなって。風邪引くなよ、それじゃまた来週」  傘を受け取って階段を降りて行く途中で彼は振り返って、やにわに目が合ってしまった。たじろぐ僕に構わず先生、と彼は言った。こんど好きなアニメおしえてください。ああ、わかったよと笑って手を振った。再び前を向いた彼の背中を見送って、僕は雨が均した新宿の雑踏へと一歩を踏み出す。今、僕は誰かの絵の中に収まっているだろうか。誰でもいいからこの世界に誰か、今僕がここにいることを描いてくれる人はいるのだろうか。そんなことを考えながら僕は、今や僕にとって日常そのものとなってしまった景色の中をアパートまで歩いて帰った。雨に濡れて、すっかり僕のものではなくなってしまった心をぶら下げて。
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