最終話 《夏空の向こう側へ》

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. ※ ※ ※ ※ ※ ※ ここは確か、カラオケボックスがあった場所だ。 高校の卒業式の後、梨奈達と行って、何回も延長して騒ぎまくったカラオケボックス。 いつの間にかなくなって、建設会社の事務所みたいなのが建ってるけど、周りの景色がなんとなくその時の雰囲気を思い出させる。 ここの養老院は、一度ボランティア部の活動で訪れたことがある。 お年寄りのお世話をちょっとだけして、レクリエーションでハンカチを使ったゲームをしたんだ。 あの時大笑いしていたお爺ちゃん、さずがに今はもういないんだろうな…… ほら、心臓破りの坂が見えてきた。 最後のマラソン大会は、わたしなりにかなり本気で頑張ったんだ。 だって、この先に広がる海をめがけて、思いっきり走っていくなんて、もう人生最後かもしれないと思ったから。 引きずるキャリーケースは相当重く、なおかつパンパンに張った大きなボストンバッグも肩から下げている。 さすがに30手前で、しかもこんな大荷物をかかえてダッシュは無理だろうけど、それでも遠く広がる青い輝きを見た途端、どこか童心に返るよう。 『ようこそ 人魚伝承の町 須羽浜へ』 町の看板である立体の人魚は、そんな言葉を掲げて相変わらずの定位置に立っていた。 しばらく見ないうちにますますくすんでいるのかと思ったら、ちゃっかり新しいペンキで塗り直されているじゃないか。 たぶん地元の青年団あたりが、寂れゆくこの町を何とかして踏みとどめたい気持ちなんだろう。 渦見さん、まだ商店街の組合長として、町起こしに奮闘してるのかな? デフォルメされたマメポンのイラストより、ちょっとだけ等身にリアリティがあるけど、可愛さでいったらマメポンの方がずっと上だった。 マメポン── ひょんなことから、懐かしい響きを思い出してしまった。 二度とは戻らない、わたしの遠いひと夏の思い出だ。 誠斗がハワイへ行ってからも、わたし達はLINEのやり取りを続けていたんだ。 初めは頻繁に、それこそ今思うと顔から火が出るような文章の踏襲で。 わたしが仕事に追われるうち、誠斗がサーフィンに入れ込んでいくうち、だんだんと時々に頻度は減ってきて。 夏の太陽が秋へ向かってゆっくりと光を弱めていくみたいに、少しずつフェードアウトしてきて── そのうちわたしにも、生まれて初めてカレシが出来た。 2つ年上の無口で優しい人だったけど、結局ダメになったのは、あの人のどこかに誠斗の面影を求めてしまったからかもしれない。 それだけあの夏は、わたしにとって素敵すぎたんだろう。 今ではあれは、真夏の熱に浮かされた夢か幻だったんじゃないかと思うことさえある。 でもこの町に帰って来て、微かに漂う磯の香りを嗅いでいると、ぼやけていた記憶がみるみる色を成してくるんだ。 春のフィルターを脱ぎ去り、一気に光量の増した青空。 光を透かしていた若草が、成熟した濃さを見せながら、ガードレールを覆いつつある。 今年も夏が、やって来る。 .
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