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あんまり無我夢中だったから、そこから先はよく覚えていない。
唯一記憶にあるのは、わたしにすがりつこうとした男の手が、不可抗力とは言え胸を触り、思わず彼の顔面に頭突きを食らわしたことくらい。
気がつけば2人とも砂浜に寝転び、荒い呼吸を弾ませて空を見上げていた。
どれくらいそうしていただろうか。
カモメが一羽、青いスクリーンを横切ったところで、先に上体を起こしたのはわたしだった。
彼は未だ肩で息をしたまま、眩しそうに腕で目を覆っている。
改めて近くで見ると、わたしよりもだいぶ長身のようだ。
決してムキムキではないものの、黒に赤ラインが入った海パンの上では、腹筋がほどよく割れている。
何かしらのスポーツをやってるのかもしれないけど、水泳のほうはからっきし。
そんな奴が、よくぞまあボードを抱えてあんな沖まで行ったもんだ。
幸か不幸か、運良く回収できたサーフボードも、砂に紛れて転がっていた。
わたしは大きく吐き出した息に勢いを乗せ、改めて彼を戒めたのだった。
「初心者が、いきなりあんな沖へ行ったら危ないです。
それにこのボード、初心者にはだいぶ丈が短いですよね。
出来れば最初は、ロングボードから始めたほうが覚えやすいですよ」
彼は何も答えず、ただ息を荒げるだけ。
「見た感じ、あなたはまだテイクオフの段階じゃないですね。
まずは陸でパドリングの練習とか、ボードに腹這いになってスープに流される感覚から掴んだほうがいいです」
なおも無言な彼に、これ以上構ってやる気にもなれなくて、わたしは立ち上がった。
なんて無愛想な奴。
それともまだ気持ちが動転していて、言葉が出てこないのだろうか。
それじゃあ、と言いかけた “そ” の部分で、その時初めて聞いた彼の声が、わたしの足を止めたのだった。
「パド……リング……?
スープをテイクアウトして……どうするって?」
「テイクアウトじゃなくて、テイクオフ。
波の上でボードの上に立ち上がることを言います。それも知らないで、サーフィンしてたんですか?」
ますます呆れるわたしの足元で、彼の腕が、覆っていた顔からゆっくりとどけられていく。
切れ長の鋭い目と、筋の通った形の良い鼻。
シャープな顎のラインの中には、冷えきってちょっと青ざめた唇がある。
イケメンと言えばイケメンだけど、でもなんか怖そうな印象。
今さっき無様に溺れていたくせに、彼は命の恩人であるわたしを、睨みつけるような目で言うのだ。
「お前は……サーフィンできんのか?」
「まぁ……ちょっとは」
一応これでも、この辺じゃあ名を売ったサーファーの娘だ。
それなりの一通りは、幼稚園くらいからお父さんに教わってきた。
砂まみれの金髪を、太陽の光に反射させ、男はじっとわたしを見据えている。
随分な真顔で見つめてくるから、わたしが少し後退りした時。
彼の口から、突然不可解な言葉が飛び出してきたんだ。
「なぁ、世界は、変わったか?」
「……は?」
「波に乗って、世界を見る目は変わったか、と聞いている」
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