第1話 《謎の下手くそサーファー》

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. ……ザザー…… ……ザザー…… と、沈黙した大気の中を、幾重かの浪音が通り過ぎて行った。 目を丸くして見つめる先には、鋭い目つきでこちらを睨む、おかしな男。 わたしがしばらくポカンとしてると、そのうち彼から “チッ”と舌打ちの音が聞こえた。 それを合図みたいにして、彼はのそりと立ち上がると、金髪についた砂を乱暴に払い始めた。 てか、命の恩人に対して、舌打ちはないだろう。 カチンときたわたしをよそに、彼はかったるそうにサーフボードを拾い上げる。 そしてそのまま、ありがとうの1つもなく、黙って砂浜を離れていきやがるのだ。 なんて奴だ! お前なんて、もう二度と浜に来るな! 遠ざかる逆三角形の背中に向かって、小さく砂を蹴り上げてやった。 今さらだけど、自分の白いTシャツが濡れて貼り付き、胸に水色と白のボーダーラインがくっきり透けているのに気づく。 見られたと思うとなおさらムカついてきて、憤りを遠心力に乗せたターンで、「ふんっ!」と後ろを向いた。 何が、“世界を見る目は変わったか?”だ。 あながち有り得ないことじゃないけれど、それは伝説級のサーファーなんかが残した言葉。 サーフィンは極めれば極めるほど、単なるスポーツの領域を脱した精神性に目覚めてくると言う。 それは、この星の脈拍たる波とシンクロしていくことで、自分も大自然の一部として星へと溶け込み、宇宙の摂理が見えてくるとかなんとか── お父さんの膝の上に抱かれて、お伽噺のように聞かされた話だった。 生きていく上での世界感が変わる、という意味では、確かに彼の言葉は間違いじゃない。 でもそれは、わたし達みたいな凡人にとっては、遠い遠い夢物語。 もしかしたらお父さんも、サーフィンを通じて大宇宙の摂理に触れていたんだろうか? 懐かしい面影がどこかに眠っているだろう海に、わたしは心の中でそっと問いかけてみる。 水平線の彼方から何らかの意思を届けるような波が、ゆっくりと押し寄せてきて── やがて、囁くような飛沫の音だけを残し、砂浜に消えていった。 改めてお父さんへの恋しさが募った時、無意識に振り返っていたのは何故だろう? 砂浜を越えた防波堤への階段に、小さくなったあの男の背中を見つけると、人知れず溢したわたしの吐息が、潮風にさらわれていった。 .
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