02 滑り込みセーフ

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02 滑り込みセーフ

「えー、そうなんですかぁ」  由香ちゃんの声は語尾が伸び、更に跳ね上がる。別に驚いているわけではなく、彼女は常にこういう話し方なのだ。  彼女が手に持っていた苺のヨーグルトと大豆のなんとやらいう健康食品みたいなもの、それにチョコレートをぼんやり見ながら頷いた。どうしてダイエット中なのにチョコレートを食べるのか。高木の内心を読んだかのように、由香ちゃんは言う。 「あ、これ、糖質ゼロですからぁ、タカキさん!」  毎度のことだが、由香ちゃんが発音する自分の苗字は何故かカタカナに聞こえる。 「でも偶然ですねえ、同じアパートに同じビルの人がいるなんて」  先にレジを済ませた由香ちゃんは、そう言い残してコンビニの出口に向かう。昼休みに入ったばかりの十二時六分、コンビニは大盛況だ。  今は太った親父がペットボトルのお茶を買っている一番端のレジ。さっきまで、あそこには件の電車の男が立っていた。  若い男については若い女に聞くに限る。その考えは当たっていたようで、業務課の由香ちゃんはその男のことを知っていた。 「うちの会社の一階下にあるトウワなんとかっていう会社の営業さんです。コガさん、って言ったかなあ」  なんでそんなことを知っているのか聞いてみたら、何でも由香ちゃんの友達が派遣社員でそのなんとかいう会社にいるらしい。世の中は狭い。そして女の噂話は光の速さだ。  学生アルバイトらしきレジの女の子におにぎりとサラダを差し出し尻ポケットから財布を引っ張り出しながら、今朝の男の顔を思い出す。  誰だって言われても。同じ車両に乗ってるだけの、赤の他人だけど。  些かむっとしてそう返した高木を男は上から下まで無遠慮に眺めた。周囲は当然素知らぬ顔で、どうせ人違いか、そうでなくとも大したことではないのだろうと目を逸らす。 「……あ、そう。どーも」  それだけ言って前を向くと、男は早速高木への興味を失ったらしかった。ガラスの向こうを流れる景色を漫然と眺めながら、欠伸を噛み殺して瞬きする。窓ガラスに映ったその顔を見るともなしに見ていたら、一瞬視線が高木を捉えて眇められた。  明日から、一本遅い電車にするか。  コンビニを出ながらそう思う。高木は別に気まずいわけではないが、気にされても嫌だった。  そう思ったはずなのに、翌朝、高木の頭からそのことはすっかり抜けていた。急がなくてもいいはずなのに無意識に足を速めて電車に向かう。習慣だけが高木を走らせた。ドアが閉まる寸前に乗り込んで、そういえば一本遅らせるはずだったと初めて気づく。 「……滑り込みセーフ」  すぐ横で低く掠れた声がした。  ドアの脇のスペースに立った男は高木を見上げ、口元を歪めて僅かに笑った。
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