終わりは始まり 5(終幕)

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終わりは始まり 5(終幕)

 突然聞こえた声の方を辿ると、黒猫が目の前にいた。いつのまにか沖田さんのベッドの端に、ちょこんと座っていてる。わたしはぎょっとして声をあげそうになったが、猫があまりにしおらしい。思わず声を飲み込んだ。 「もう、とっくに亡くなっていた」  猫は寂しそうに、耳をぺたんこにしてため息をついた。頭を垂れて、足元をじっと見ている。 「行くのが、遅かった」 「熊吉……」  沖田さんは悲しそうに目を伏せた。猫がどれほど後悔したかと思うとやりきれない。 「我輩は、化け猫になった時に寿命が遥かに延びた。人よりもな。それで、時間の流れを読み間違えたのだ」  黒猫は項垂れている。後悔の念に苛まれるように、暗く沈むような雰囲気だ。 「あなたが熊吉だったのね」 「さよう。すっかり名乗りそびれたからな」 「ああ……そうだったわね」  構わないと猫がしっぽを揺らした。あの時は沖田さんが居なくなって、わたしも半ばパニックだった。 「お嬢さんは、あまり似ていない。来てすぐに違うとわかった」  猫は項垂れていた頭を起こし、わたしの方へ向き直る。  「けれど、我輩は沖田くんをお嬢さんに送り込んだ事を、間違えたとは思っていないぞ」 「……ありがとう」  胸を張った猫に、わたしは微笑んだ。 「人違いとわかったからな。本当は何もせずに帰ろうかとも思っていた。しかし、お嬢さんがあまりにも寂しそうでな。つい手を出してしまった」  黒猫はそう言うと、すっと立ち上がった。そして何やら意味深な、且つ真剣な眼差しを沖田さんに送った。それを受けた彼も、極真面目な顔付きになる。 「承知」  沖田さんの短い返事に、黒猫は満足そうな表情をした。わたしが何の事だかわからないうちに、猫はひらりとその身を躍動させた。 「我輩はもう行く。達者でな」  そう言うや否や、黒猫は消え去ってしまった。 「消えちゃった……」 「ええ……」  跡形も無くなった猫は、あの壊れかけた首輪ごと居なくなってしまった。あのふてぶてしい猫にはもう会えないのだろうか。図々しいとイライラしていたくらいなのに、居なくなると急に寂しくなってきた。 「しかしあの熊吉が、まさか本当に猫又になっていたとはなあ」  沖田さんは懐かしそうに笑った。世の中どこに縁が繋がっているかわからないものだと、沖田さんは感嘆するように息を吐く。 「本当。世間は狭いわ」  沖田さんの顔色が良い。それだけでもわたしは嬉しかった。 「ところで、みのりさん。私、もう猫にならないような気がします。完全に人に戻れたんですよ、きっと」 「どうしてわかるの? 」  沖田さんは確信に満ちた顔で話した。 「何となく、そういう感じがするんです。昔、完全に人だった頃の感覚が戻ったようなんですよ。それに、これは夢で熊吉が言っていた事ですが……今後、私が誰かを手に掛ける事があれば、次は容赦なく完全な猫にする、と」  先程の目配せも、と沖田さんは柔らかく微笑んだ。わたしも嬉しくて、霧が晴れたように心がぱっと明るくなった。 「じゃあ、そこに気を付ければ……!」 「ええ。恐らく、一生人間のままで過ごせるでしょう。本当に、彼に感謝しなければ」 「良かったね、沖田さん。沖田さんなら大丈夫よ。あんなこと、何度もあっちゃたまらないわ」  わたしは沖田さんの手をきゅっと握った。彼もそれに応えるように、握り返してくれた。 「努力します。私だってこのままがいい。それよりも。ありがとう、みのりさん。ずっと看ていてくれていたのでしょう」  沖田さんはもう一方の手で、再度わたしの頬を撫でて微笑んだ。 「愛しています。みのりさん。私には、あなたしかいない」  わたしはまた泣いた。声をあげて、子供のように。これ以上の幸せなんて、きっと他にない。いつの間にか、沖田さんはかけがえのない人になっていた。  それからの沖田さんはみるみる回復した。医師や看護師も驚く程、あっという間に退院できてしまった。つい最近まで意識がなく、生死をさ迷っていたなんて信じられないくらいだった。  そして、戸籍問題も片付いた。幾度もの手続きの末、無事に就籍届を出すことができた。  ただ、流石に「沖田総司」では有名すぎる。それでは何かと支障が出るだろうと思い、彼の本名である「藤原房良(ふじわらのかねよし)」と混ぜて、「藤原総司」として届けることにした。  現代に沖田さんの写真が残っていないのが幸いだった。まさか誰も本人だとは思うまい。  ちなみに、保険証も作れた。これで医療費の全額負担も免れられる。  藤原さん、もとい沖田さんは手始めに夜間中学に通いながら仕事を探した。そして、幸運にも我が家から2駅先に剣道道場を見つけた。その道場では助手として手伝える事にもなった。  一度こっそり見に行ったが、沖田さんは教えるのが上手だった。けれど、乗ってくると少々やり過ぎるらしい。それでも剣の腕前は折り紙付きだ。いずれ自分の道場を持つのだと張り切っている。新しい目標も出来て、まずまず順調だ。  黒猫は現れない。沖田さんも、ずっと人間のままだ。  それから更に1年が過ぎた。  肩に淡い秋の陽を感じ、ぽかぽかとして気持ちがいい。わたしは沖田さんと2人で、わたしの実家の目の前にいた。  沖田さんはカチコチに緊張している。着慣れないスーツ姿でさらに窮屈そうだ。わたしたちは2人して玄関先でそわそわしている。 「総司さん、大丈夫? 入る前から疲れてない? 」 「大丈夫。それよりも、きちんとご挨拶しなければ」  そうは言うものの、総司さんの顔は引きつり強張っている。 「そんなに緊張しなくてもいいのに」 「そいつは仕方ないさ。何たって、みのりのご両親なんだから。近藤先生、土方さん、おミツ姉さん。私の一世一代の大勝負です。どうか草葉の陰から見守っていてください」   よし、と気合いを入れる総司さんを見ながら、わたしは草葉の陰から彼を見守る3人を想像してしまった。 「草葉の陰……」 「だって、みんなとっくに死んでいるんだから」 「今度、お墓参りしようか。近藤さんのは知らないけど、土方さんのは墓碑くらいあったと思うの。そうそう、総司さんとお義姉さんのお墓もちゃんと残っているのよ? 」  そう言うと、総司さんの顔がますます引きつった。緊張を解すつもりが、却って逆効果だっだろうか。 「いや、私のは止そう……。もう当分、死にたくない」  総司さんは何かを振り払うように、ぶんぶんと首を横に振った。  総司さんが玄関チャイムを押す。家の中で母が返事をして、バタバタと玄関に向かって来るのが聞こえてきた。  両親には総司さんが幕末から来たことをまだ教えていない。彼があの沖田総司だと言ったとしても、信じてもらえるかどうかは分からない。また一波乱起きるかもしれない。けれど、総司さんの人柄を分かって貰えればきっと大丈夫だろう。  さわやかな風に吹かれるような気持ちで、わたしは総司さんを見上げた。彼も顔をこちらに向けて、微笑み返してくれる。彼の後ろには、晴れて澄み切った秋の空がどこまでも広がっていた。  後で聞いた話だが、母が玄関を開けた時に、わたし達の後ろに黒い猫が座っていたらしい。猫はしっぽを大きく一振りすると、直ぐにいなくなってしまったそうだ。                         完
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