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勇壮なBGMが流れている。ドアを閉める。私のキャラは遮蔽をとって隠れたまま無傷。左上のログには大量の討伐ログ。アカネが黙々と戦い続けた証。戦闘音から察するに、そう遠くない。
何で、うちの文人がこんなにならんと駄目なん。――私は何を、間違った。間違った? うちの文人が――。
息を吸うことも、吐くことも、辛かった。どうすればいいのか、どうしたら息苦しさがなくなってくれるのか。
マウスを握る。『Aya:ごめん、お待たせ』
遮蔽にしていた窓際から離れて、隣のビル壁へ窓ガラスごとワイヤーを打ち込んだ。『Akane:おk』アカネの返事に余裕があるはずもなくて。
飛翔、落下、ワイヤー、跳躍、落下。武装切り替え。遠距離用の大型ライフルから接近戦用のSMGへ。すぐにブレードへ切り替えられるよう、跳躍中に装備欄を開いて操作。射撃。機械仕掛けの小鳥たちへ。リロード、すぐに射撃。へばった四足にはグレネード。画面外になってキルログが出る。赤いドレスの女の子のすぐ傍を飛んで、人型のエネミーの頭部へ射撃。
エネミーの攻撃を躱す気にもならない。すぐに『Aya:撃破されました/残り2』と出て、私は自分の足で床を蹴っている。ちくしょう、ざけんな。
ステージをクリアするまで、アカネに任せっぱなしだった。操作しようにも、画面が滲んでまともに見えなかった。拭っても、止まらなかった。私のキャラクタが、ぼやけて光る画面の中に立っていた。
『Akane:どしたー? なにかあったの?』
戦闘していたマップから切り替わって、だだっぴろいロビーのようなところに帰った。
『Aya:ちょっと下がヤバかった』
『Akane:下?』
『Aya:私のコップが割られてた』『Aya:元カレのくれたやつ』
『Akane:え』
『Aya:割ってくれて清々した』
『Akane:どしたの? 割られた?』
『Aya:気にくわないんよ』
間があった。
『Aya:私が男と付き合ったのが気に入らないん。あの人、私がこうしてるのも認めてないし』『Aya:おばあちゃんね』
『Akane:こうしてるって、治療のこと?』
『Aya:そそ』『Aya:口もきいてないし、もう無理。怖い』
『Akane:えー……そうなんだ』『Akane:酷いね』
キーボードの上に水滴が落ちた。
『Aya:死にそう。殺されそう』
唇を噛んだ。ざけんなよ。ふざけんな。じゃあ何に? 何が。わかんないよ。ざけんなよ。悔しいよ。何でこんな目に遭わなきゃいけないんだよ。私も、あのひとも、何を考えているのかわからない。
緋色の欠片が瞼の裏でぼやけた。金色のAが残像のように焼付いたままだった。あのマグカップは、もうこの世のどこにもあり得ない。壊されてしまって戻ってこない。どんな思いで、ユウがあれを私に贈ったとか思ってんだよ、ちくしょう。
掃除機の音がしていた。
『Akane:あやちゃん』『Akane:あやちゃんがだれと付き合おうと、それはあやちゃんの自由だよ。家族であってもそこを否定することはできないし、他人の大事なものを壊すことは許されないです』
私が、画面の向こうで抱きしめられていた。何度もアカネは抱きしめてくれて撫でてくれていた。
ユウに知らせたらきっと怒る。怒った挙句、もしかしたら東京から押しかけてくるなんて言いそうだ。あの子は私のことをまだ好いているから。あまつさえ、一緒に家出しようとか言いかねない。
キーボードを打とうとした。ごめんね、アカネ。こんな話聞いてくれて。指は動かなかったし、キーボードはぼやけて判然としなかった。『Aya:待って』それだけ、打てた。画面を見るのも辛くなって頭を垂れた。殺した声が喉から漏れた。泣きなくないのに涙が床を打った。マウスの横に置かれたスマホを握った。ユウに……ユウ。でも、そんな都合の良い。ふざけんなよ。こっちから振っておいて、こうなったら縋るのかよ。向こうが苦しんでも何にも感じなかったクセに、何都合よくこっちだけ吐き出そうとしてるんだよ。破綻させたのはお前だろ。男なんて好きにもなれないのはお前だろ。全部自分のせいのクセに、何でそんな。
何で、私が付き合ったことも他人に否定されなきゃなんないんだよ。
スマホが落下して、マウスも滑り落ちた。向こう側の少女たちを見ることも、元カレにぶちまけることもできない。
この腕も、脚も、身体中、思考も脳味噌も、全部ぶっ壊してしまいたいくらいに、不快感がべっとりとのしかかっている。
……頭を上げれば、アカネのキャラクターには離席のマークがついている。首筋が痛かった。知らないうちに、日付を跨いでいた。
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