/2. 家族

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 外は薄暗いまま、朝はまだ来ていなかった。  何だよ、あれ。  ぐしゃぐしゃのシーツは気持ち悪い。それはそれは物凄く気持ち悪い。でもむしろそれに纏わりつかれたい。眠った気はしない。髪をかき上げた。  ――でも、そうなのか、私は。  寝ころんだまま、壁を軽く殴った。  ユウの夢だった。どこかのホテルだった。東京だと、何故かしら、確信があった。会ったのが東京だったからだろう。 「こうしたかったんでしょ」  ユウは厭にか細い声で囁いた。私は私の惨状を知って、氷の塊を投げつけられた気分になった。  ユウは、彼は、ユウの顔をしているのに、彼ではなくなっていた。今でも私はこんな身体でぐずっているのに、ユウも私も、すっかり女なのだった。  どうしようもないくらい、私たちは女だった。  暑いせいだ。それであんな夢を見たんだ。ふざけんな。マグカップめ。あのひとがマグカップを砕いたせいだ。  ……何でだよ。けれど仕方ない。男は気持ち悪いのだから。隣にいようだなんて、手を繋ごうなんてすら、気持ち悪い。でも、最悪なことに、私は――私は。  叫ぼうにも、声が無い。声にならない息の塊を吐き出し続けている。両手で頭を押さえつけ、大きく口を開けて。  何でだよ。  壁を小突いていた指の関節が擦り剥けている。汗で柔らかくなった肌に傷がついている。  洗面所へと階段を降りた。  最悪なことに――不快な臭いがしている。この家で唯一無二の皮脂の臭い。よりにもよって風呂場には明かりが点いていた。  さっさと手を洗って寝なおそう。そう思ってトイレから出れば、無遠慮に風呂場の戸が開けられる。 「ああ……よう」  明瞭さなんてものがすっぽ抜けた挨拶だった。横目でしか私は見ない。父が、タオルでせわしなく身体を拭いていた。  それだけだった。父は私のすぐ目の前を押し退けるかのようにして通って着替えを手にしている。ここにいてはこのひとの邪魔になるのだろうし、私はさっさと部屋に引きあげる。  潜り直したベッドで眠ろうとする。けれど頭は冴えすぎていて、眠れないことは解りきっている。父の乱暴な足音が階下で響いていた。  髪の長くなった私を見ても、あのひとは何も言ってこない。これまで何一つとして口を挟んでくることもなかった。果たして何を考えているのかわからないし、この家であのひとを理解しているひとはいない。朝三時に帰って朝五時にはいなくなる。お正月にすら顔を合わせない――さっき会ったはずなのに、顔かたちを思い出せないあのひとは、最早父とすら思えない。ただわかるのは、ああは成りたくないことだけ。あんな臭い、あんなたるんだ身体には成りたくない。あんな無神経には成りたくない。  夢でみた場所はどこだったのか。本当に東京? けれどあんなに赤い部屋に泊まった記憶はない。もちろんあんなことは私になかった。ユウの寝顔は覚えているけれど、私はひたすら、停止した思考で演じていただけだった。憎いとすら思った。別れてもう半年は経った。ネットだけの付き合いで止めていれば良かった。会おうなんてしない方がずっと良かった。  会ってしまったから、私は。  ――ユウのことは好きだよ。でも、ユウの好きと私の好きは相容れないのよ。私はあなたを、あなたと同じように好くことができない。私はあなたと付き合えない。  文字だけで伝えたあのとき、画面の向こうでユウがどんな顔をしていたか、そんなことも知らない。ありったけ泣き喚いていたのかもしれない。私と同じように。あの子は私と似ているから。  単純なこと。あの子と寝て、それで私は思い知った。キスは気持ち悪いだけだった。熱は、このシーツの方がまだ快く思えるくらいべたついていた。何をされても、私は酷く冷めきっていた。思考は明後日に向いていて、それではユウを、私は騙すしかなくて、ユウのことは大事で、それで。  瞼の裏から熱が零れる。私を変えたのはユウで、ユウに好かれたのも私だ。好いているから、大切だから、私はユウと別れるしかなかったのに。だのに、そんなこと関係なしに。  ユウには伝えない。夢のことなんかじゃなく、マグカップのことも。会話もなくなっているのに、こんなことだけ伝えてどうするんだ。  眠れないまま瞼を閉じて、身体は動かない。息苦しさが渇きになって痛みに変わって、それでようやく胸のあたりで死人のように組んだ指が動いた。  部屋はもう明るくなっていた。
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