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/3. 少女
私も、会ってみよう。
夕夏に触発されて、のことだった。
久しく散らかりっぱなしの勉強机の片隅から、埃に塗れたガラケーを引っ張り出す。昔の連絡先から多少はマシに思えるかつての友だちを選んで、片端から連絡を入れていった。
ひとりだけ、まだその連絡先から変わっていないヤツがいた。
あまりすきではない男子だった。連絡先から捨てていたアドレスの男子までが、かれに付いてくることになった。県外に出ている筈だったのに、年末だから運悪く帰省しているらしかった。
駅の地下で、かれらと待ち合わせた。
「いやいや、性別まで変わってるとか思うかよ」
半笑いで、かれは言った。まん丸にした目を私から何度も逸らし、必要以上に瞬きを繰り返す。心なしか、記憶にあるかれの姿よりひしゃげていた。
片倉の細い目は、私を見ても動じないフリをしていた。
「ま、そうなんだろうなーとは。別に珍しくもないだろ、今どき」
あの頃からクセも変わってないのね。
「あ、私バレてたのか、マジかー……」
変に饒舌になって冷静ぶるところが鼻につく。「お前らは変わらないな。オレ、が、変わり過ぎか?」オレって言いにくいな、ちょっと前まで普通に使ってたのに。
「普通そこまで変わらないよ、だって前会ってから、まだ五年くらいしか経ってないんだし」
圭助は、さも当然のように言う。五年もあれば別人みたいになっててもおかしくないのに。いや、普通は、そんなに変わらないのかな。片倉なんか一切変化なし。
かれらは、何だかうっそうとした路地へ向かった。これまでは視界の端に追いやられて気にもしていなかったような薄暗さのなか、空いた居酒屋へと入った。和風なのか洋風なのかよくわからない中途半端なお店。床面積に比して多すぎる固い座席で、かれらは二人して私と机を挟んだ。
「なー。そっちの地酒だっけ、この前片倉クンが送ってくれた美味しかったよ」
「マジで? アレ、美味しかった?」
「え、美味しかったって言ってなかったっけ」
「え? そんなの言った?」「えー。この前の夏来たときに言ってたって」「わりぃ、覚えてねぇわ」「もー、しっかりしてや」
かれらの会話は、よくわからないまま。もともとあまりわかる話を共有していなかったっけ、私とかれらとは。たまたま選択肢の限られた環境で、たまたま一緒にいなきゃならなかったような、たったそれだけ、友だちになるには充分な偶然の積み重ね。
もし私が、オレ、が、最初から私だったら。かれらは不要だったろうか。口をきくこともないままだったろうか。
「文人クンは飲まないの? お酒」
注文を圭助が取り纏める。かれらは、とりあえずビール、らしい。
「飲まないよ、オレは。そんな不毛なものお断り」
「不毛ってまたぁ、毒じゃないんだから。もう二十歳なのに」
「毒だよ、あれは。身体壊す元凶だろ。だいたい、ビール一杯でどれだけカロリー摂っちまうと思ってるんだ」
「カロリーとか、何、文人クンっぽい」
「そりゃオレが本人だからだろう」
「そこらへんの言い方も文人クンだ。へー、面白い。性別が変わっても中身は変わらないねぇ」
私はこんな言い方をしていたのだろうか。かれらと話していた頃の自分のことはまるで別人の記憶で、はっきりと思い出せない。性別が変わっても中身は変わらない、だなんて。
私が食べられそうなものは殆どなかった。こんなもの食べてるのか、なんて訊くのも野暮だった。荒れた肌、服の上からでもわかるたるんだ肉。普段の生活が如実に表れている。
ビール二杯とウーロン茶で乾杯。昔の親友との再会を祝して。表情の変わりにくい片倉はともかく、圭助は目に見えて上機嫌で落ち着きがない。乾杯にあっさり応じて私にも乾杯を催促するあたり、片倉も気をよくしているのだろう。
ジョッキが空になったあたりだった。
「文人クン、要はココロが女の子ってことだよね。なら、俺らのことも……ねぇ、片倉クン」
圭助の口の周りには白い泡がついていた。直でビールの泡をつけたひとを見るのはたぶん初めて。
「けーちゃん、それは」
「だって気になるじゃん――なあ? 俺らのことどういう目で見てたのかーとかさ? 女子に興味ないとか言ってたしさ?」
「あー、言ってた言ってた」
淀んだ言い方だった。
「……前は彼氏いたりしたけど」
期待に応えてあげますよ。
「きゃー、やだ、ワタシ、狙われてるわ!」
ふざけた圭助が野太い声で悲鳴をあげて、両腕を胸の前で交差させる。真面目そうに振舞っていながら、心根は滑稽だ。
けれど私も、片倉も、それに反応しなかった。運ばれてきた刺身を取り分ける。
「なんだよー。二人とも寂しいぞ」
「なあ片倉、大阪の生活ってどうなんだ。騒がしくて派手派手しいんだろう」
「んー、そうでもない、かな。たぶん思ってるより田舎、ってか地味。ここらとあんま変わんない。こっちは、な、住んでるとこによるんだろうけど」
「片倉クンとこはねー。この前行ったら山ん中でびっくりしたくらい。車に枝が擦れてやー」
「だから言ったじゃねーか、あん車で来るなって」
「だってや、せっかく買ったんだしや、運転して行きたいやん?」
かれらは熱心に車を語りだす。ブランドなのか部品なのか、それとも別の用語なのか、聞き覚えがあるようなそうでもないような単語が混じった会話。まだこいつらは車なんか好きなのか。
私はその間ずっと、黙して刺身のつまをつついていた。口を挟んだところで、知らない単語をいちいち解説してもらわないと私とかれらの会話は成立しないのだ。だいたい興味もないし。
ここにいても、もう意味はなさそうだった。キリの良いところでウーロン茶を飲み干した。
「悪いけど、オレは帰った方が良いのか」
「何でだよー。今日のメインは文人クンじゃん」
「けーちゃんとはよく飲むからな、橋本とは、な、これが初めてだし」
「面白いから良いの良いの」
圭助のそれは、最早、珍獣か酒の肴扱いだった。私は面白くねえんだよ。出かかった本音を氷水で誤魔化した。
どうしてこんな男どもと付き合いがあったのか。何を間違って、私たちは友だちになったのだろう。
とりとめのない話は、片倉の大学生活へと向かった。かれは気取った感じに白ワインを頼み、チーズをつまんでいた。それが片倉にとっての当たり前のように、不自然な馴染み方をしていた。
かれは、こちらが訊いてもいないことを話し始める。
「こっちはさぁ、工業だから女子いないわけよ。いることはいるんだけど、可愛くないってか、なあ。なのにがっつり囲いができるし、余計気持ち悪いんよ」
あー、そうね、そうそう。私は同意する。同意してあげる。話せ話せ。その気取った外面の裏側を晒せ。
「でも片倉クン、彼女と遊園地だっけ、行ってたじゃん」
「あ? ああ、あれとはもう別れた。だってメンドクセェじゃん。ひとりにいちいちかかずらってたらさ、もうアイツらキリがないって」
「可愛かったのにもったいない」
「いや、マジでうぜぇから。もうマジで。付き合うとかもう」
――異次元の会話だ、これ。
「けーちゃんだって俺のこと言えんやん?」
「えー、あれは別よ。たまたまちょーっと合コンでさ、知り合ってさ」
……リゾットが傾いてる。おかしいな、地震?
「女なんてどこにでもいるんだしさー……」
素面なのに、勝手に世界が揺らいでいる。油っぽいだけかと思ってたけど、案外これ美味しいじゃん。全部もらっちゃおうかな、かれらは食べないみたいだし。
「だいたいお金高すぎるじゃん。アレは」
「え、何で知ってるん、けーちゃん」
「え、そりゃあ……そりゃあねぇ、一回くらいねぇ」
八時を回って、かれらは二軒目をもとめて店を出る。はしご、ってやつか。素面だと冴えてしまって面白くもないものなのね。
「またなー! また会おうなー!」
黒いコートに片手を突っ込む。見送ってくれた大通りで振り上げた右手は、行方も定まらずくらくらと振られた後、強く、痛いくらいに強くイヤホンを耳にぶち込んだ。
28時の光――……
今日の28時には、私はかれらと同じ二一歳に成る。成ってしまう。
遠くから手を振るかれらの満面の笑みは、ショーウィンドウに飾られた聖夜の名残でえげつなく彩られていた。
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