/1. 友だち

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 どこから探るかを決めかねて視線が泳いだ。このひとにとって、何が地雷なのか。どこに触れてはならないのか。私たちはひどく繊細で敏感――かもしれないし、そうではないかもしれない。けれど、そうであるかもしれないことを、私たちは我が身で知っている。不用意な質問は、即、関係を終わらせる。  少なくとも、私は自分を神経質な奴だと思う。男扱いはまっぴらごめんだし、無神経な言葉には無言で返す。そして大抵、そんな奴らとは二度と口をきかない。 「……可愛い」  顎に手を当てて、夕夏が呟いていた。 「え?」 「彩ちゃん、可愛い。正直びっくりした。聞いた話じゃ、トランスを初めたばっかりの子っぽかったから」  ――どういう意味だよ、と睨みたくなる。 「会ってみてびっくり、完全に女の子じゃん。ホントに注射始めて一年なの?」 「まあ、一応は」 「声も綺麗だし。ごめんね、私、もっと男の子なの想像してた」  随分と直截な言いようだった。けれど、そこに悪意は含まれていない気がした。大きな目が私を捉えていたし、顔に嘲笑の色は浮かんでいなかった。でも、もっと男な私なんて想像もしたくない。このひとは一体どんな想像をしていたのか。  いや、止めよう、そんな気分の悪い想像は。 「もし、何も知らされずに会ってたら、私、普通に彩ちゃんのことを女の子だと思ってたな」 「そんな、ことないよ。私って……」  思わず表情が緩んでしまう。この言葉に、弱い。自覚はある。 「夕夏ちゃんの方が可愛い」  女子トークにおける有名な法則。お互いに、取り敢えず褒める。実際どうなのかは体験したことがないからわからないけれど、女子たちの表裏のギャップならそれなりに学習している。だからこれは、その手の会話なのだろう。  けれど快い。会話がこう始まる方が、私の性には合っている。 「いやいや、それはないって」  夕夏は両手を前で軽く振った。形式的な謙遜。でも、夕夏の方が可愛いのは客観的な事実だ。 「夕夏ちゃんこそ、その、元々は、なんて私、今も全然思えなくって……」 「んん、どういうこと?」 「元々、性別がー、って」 「あ、なるほど。うん、手術はもう済ませてあるけど、戸籍はまだ男のままになってる。MtFだよ、私」  避けていた単語が、あっさり口にされる。 「全然そんなふうに見えない」 「そお? マジ?」 「本当だよ。今も、女性としてしか認識できない。自分と同じなんだって想像つかないよ」 「えー、嬉しいそれ。そっかあ、そう見られてるなら嬉しいなあ」  最後の方は私ではなくて、どこか空気に混ぜ込むような言い方だった。 「……気になるんですか? その、どう見られてるのかって」 「そりゃあもちろん気になってる」  夕夏はちょっとばかり大袈裟に頷いた。 「気にしなくって良さそうなのに。絶対わからない……」 「うーん、どうだろう。でも背は高いし女子にしては骨格ゴツイし、わかる人にはわかるだろうし、バレちゃってるのかなって思っちゃう。私って一七〇あるから」  身長ね、と付け加えると、夕夏は蛍光色のドリンクをストローで少しだけ飲んだ。控えめな仕草だった。 「私も一七五ある。背が高いのって気にしてるけど、夕夏ちゃんはそんな気にならなかった」 「ホントに? 彩ちゃんも背が高いなーって思ってはいたけど」 「むしろ華奢だなって。背が高いからどうこうじゃなくて、スタイル良いなあって思う」  とにかく褒めるらしい女子トークの形式に倣って、私は夕夏を褒める。最初に相手を肯定するのが暗黙の了解。  けれどお世辞ではなかった。本音から思ったままを褒めているだけ。褒めたいかどうかは別として。  本当にそうだからこそ、あえて確認なんてしたくない。  夕夏は少しはにかんだ。 「そう見えてるなら嬉しいな。気になるからには頑張って痩せたりしてるし」  愛想笑いのような、そんなぎこちない笑みを浮かべた私たちは、会話のゆきさきを探す。頼んだコーヒーはまだ熱くて飲めなかった。ウインドウ越しに外を眺めていても通りを車が行き交うだけで、私たちが黙っていても店の中はティーンエイジャーたちで賑やかだ。今まで来たことがないから新鮮なだけで、たぶんこの場所は毎日、こんな感じなんだろう。 「そうだ」今し方思いついたかのように夕夏が言った。「連絡先、交換しない?」ブラウンの小さなバックから、ラメのケースで飾られたスマートフォンが取り出される。断る理由もなくて、私もそれに従った。数少ない連絡先に夕夏が登録される。LINEのアカウント名はユウ。……妙に縁のある響きらしい。 「ねえねえ彩ちゃん、良かったら友だちになってくれないかな。私、近場で同じようなMtFさんと知り合うのは初めてなんだ。だから、お互い仲良くできないかなって」  MtFさん。あんまり好きになれない呼ばれ方。  ここでノーと突きつければどうなるのか。このコーヒーに溶かされた砂糖のように、微かな悪意が思考に混じった。  混じったものの、コーヒーと一緒に呑み込んだ。  私は曖昧な微笑でうなずいた。夕夏は私の手を握った。華奢で骨ばっていて、真っ白な手。綺麗。 「こちらこそ、よろしくお願いします。夕夏ちゃん」  私はその手を軽く握り返す。女子にしては大きめな手と手がテーブルの上に重なった。でも、触れてもこの手が男のものだと思えない。
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