/1. 友だち

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 自己紹介も兼ねて、自然と身の上話になった。住んでいる町が隣り合っていることを知って、私は余計に驚かされた。それは夕夏も同じで、「まさか、そんな近くに同じひとがいるなんてね」と目を丸くしていた。掛かっている病院も同じだった。  共通点が多いと、話のとっかかりは見つけやすい。 「あの先生、不愛想じゃない?」  ジェンダークリニックのオジサン先生の話になったとき、夕夏は声を潜めて言った。 「夕夏ちゃんもそう思う? 冷たいし話聞いてくれないよね」 「そうそう、思う思う。あっさり診断くれるのは良いけどさ」 「でも、婦人科の先生は好きだなあ……伊藤先生だっけ」 「優しいもんねぇ、あの先生こそカウンセリング向きな感じある。変わってくれれば良かったのに。あのひとは、女神さまっぽいよ」  本当ね。口元に手を当てて私は笑う。浮世離れしていそうなこのひとも冗談混じりの悪口を言って、明るくころころと表情を変える。  学校の話にもなった。女扱いされるためにはどうすれば良いの、と尋ねると夕夏は「そのままで充分女の子だよ」なんて驚いていた。  夕夏は――嫌味なまでに、可愛くてキレイだった。  ――そうだ。いっそ――。悪魔的な囁きが聞こえた。  ひと息ついた後に、夕夏ちゃんってメイクも決まってるよね、と話を振る。羨ましいな、と付け加えればあっさりと流れはつくられた。 「彩ちゃんはお化粧しないの?」 「あんまり……本当は、したいんだけど」 「え、何々。すれば良いのに」 「家のひとに止められちゃってて。まだ早い、って。これでも一応はメイク道具揃えたのに、普段は使っちゃ駄目だって」 「何それ意味わかんない。ホル注はオッケーで化粧は駄目? もうカミングアウトはしてるんでしょ?」  うん、化粧も、スカートとかも止められてるの。もちろん、カムはしたし、理解してくれてるから治療はできてるんだけど、そういうものは許可を取らなきゃいけなくて。そのあたりは我慢してる。  ちょっと大袈裟な、本当のこと。私ひとりの意見では覆せない妙な圧力を、他人の意見を借りて押し退けてもらう。こんなに綺麗に変われるかもしれないこと、その事実を知らせることで。 「女の子なんだし、何でやっちゃいけないのさ。肌も顔もこんな綺麗だし、もっともっと可愛くなれる。そんなに素質あるのに、私だったら勿体無い、何でメイクしないのって思う」  ちょっと声を大きくした後、夕夏はかぶりを振ってトーンダウンした。家族に思うところがあるのは、私と夕夏に限らず、私たちの凡そに共有されていると思う。 「制限とかされてるって……母親って強敵よね。ゆくゆくは正式に女の子になるのにさぁ……」  そうだね、大変。私は相槌を打ちながら、このひとのことを母に告げようと心に決めた。元の身体がどうあっても、すっかり変わることができる。自然な女性になれるのだ。私はその生き証人と出会えた。夕夏は味方してくれる。  とっかかりは逃すまい。女の子になるための知識と技術を、このひとは習得している。こんなに綺麗にはなれなくても。少しは変われるチャンスが目の前にある。生まれつきには敵わなくても。  足の指が、ぐ、と収縮した。夕夏と話すのは楽しい。でも夕夏を前にすれば、悔しくて苛立たずにはいられない。同じ境遇を共有できることは嬉しくて、巨大な断崖のような差が――意識したくもない――劣等感を突きつけられる。  何でだよ。何で。  宛てもない無言の悪態が頭の中で渦巻いていた。  スタバを後にして、寒々とした夜道で別れるとき、夕夏は私を軽くハグすると、また会おうね、必ずだよ、と言い聞かせてくれた。澄んだ声は淡く甘い香りを纏っていた。 「彩ちゃんも、もっと自信もって。好きな服を着て、お化粧もして、もっと自己主張して良いの。絶対可愛いんだから」  そうだね、もっと可愛くしなきゃ。伽藍洞な言葉は、いつもより少しだけ高めだ。 「絶対可愛い女の子にしか見えないんだから。もっと背筋伸ばして」  そんな言葉を残して、颯爽と立ち去っていったのだった。  果たして彼女が私と同い年のひとなのか、最後まで信じられなかった。綺麗過ぎた。自然過ぎた。男として産まれて女として生きているイメージと、夕夏の姿はまるで一致しない。  ロングコートのポケットに手を突っ込んで、イヤホンで世界に蓋をする。とびきり甲高いシャウトを大音量で頭にぶち込んだ。ホルモン注射した右肩が寒さに疼いた。自転車を立ちこぎする女子高生とすれ違う。もしかするとあんな姿もあったのかな、と私はかつての私を悔いた。
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