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第一章
誰よりも早く食事を終わらせないといけない。
毎日、そうだ。
主は私がゆっくりくつろぐことを快く思っていない。私がここに来た5歳の時からそうだった。
それまでは私は孤児院でイジメられていた。主はそれを見兼ねて私を引き取ったらしい。
そんなの大嘘だ!!
客商売だから、人目に付きやすい私を売り物にしていたのだ。
その証拠に私が来た直後、『農夫の宿』が『バルブロ助手店』に変わっていた。
私は<バルブロ>と呼ばれる人間とトカゲのハーフだ。ハーフは見栄えするが、人種差別が絶えない。
主、虎井哲雄(トライテツオ)も例外ではなかった。私に対する態度は人間とは程遠い。
とにかく早く食べないとまた腐ったシチューを床にばら撒かれて、犬のように床を舐めつつ掃除させられる。ただでさえ腹を壊すのに床にへばりついた鼠の糞を食べさせられるのには辟易としていた。
そんな主でも本だけは与えてくれた。
大体が純愛小説で都会で暮らす娘さんのお下がりだったけど、そのお陰で私は何を言われようと耐えることが出来た。
主は知っている。生き甲斐を無くした生き物を嬲るよりも少しの希望でも掴んでいる生き物を嬲った方が楽しいのだ。
私は馬鹿にされ、弄ばれている。
<バルブロ>だから?子供に石を投げ付けられても仕方ない?
私の鱗で覆われた顎を汗が滴る。最近、日に日に暑さが増している。
そんなことどうでもいい。早く--早く食べないと。
ふいに握っていたスプーンがあらぬ方向に飛んでいった。力を込め過ぎてコントロールを失ったのだ。
狙ったかのように常連客のワーストワンの男、でっぷりと太った鯉柄(コイガラ)の脳天にぶち当たる。
私は腸が抜け落ちる感触を覚え、恐怖に打ち震えた。
鯉柄の声がバーの中、ガンガン響いた。唾が飛び散る。
「何やっとんじゃ!!!トカゲ女が!!」
間髪入れず、必死に謝る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、嗚呼、神様…ッ!本当にごめんなさい!!」
ボサボサ頭を金色に染めた小柄な虎井が頭を下げた私の首をグイッと引き寄せる。
「アル・カ=ルル、どうしてくれるんだ?」
悪意に満ちた顔で私にニヤニヤ笑いかけ、鯉柄に媚った様子で言った。
「お客様、この娘、好きに使って下さい」
鯉柄の視線は私の下半身に興味深そうに注がれる。怖気に背筋が寒くなった。
「来い!!トカゲ女」
私には選択肢が1つしかなかった。
観念して巨体の鯉柄の隣に座る。覚悟はしていたが、腹パンの痛烈さは遥かに予想を越えていた。
先程、食べた腐ったシチューが口元から溢れ出ていき、私は涙を堪えた。
「仕事を増やしやがって!!<バルブロ>の癖に」
主が悪態を吐きつつ、大急ぎで鯉柄にかかった吐瀉物を拭う。
こうなるぐらいなら、鼠の糞を食べた方がマシだった。お腹と背中がくっつきそうなぐらい腹を空かしている。
このままだと飢え死にする。それでも悲しむ人はいないのだ。
私はお腹の虫が暴れる感触を味わいながら、「ごめんなさい」を繰り返し、バーの奥に引っ込んだ。
案の定、主、虎井は咎めなかった。
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