水に住む家。

　細くけぶる雨が肩先を濡らしていた。

　傘をさしていてもあまり役には立たなそうな細かい雨粒が視界を遮る。今朝たまたまつけたテレビではキャスターが興奮気味に「今年は異常気象ですよ！」と身を乗り出して訴えていた。かれこれ１カ月近くジメジメと湿った天気が続いている。明るい太陽はしばらくお目にかかっていない。
　かすむ道の先、ふと道端に咲く椿の赤が視線を捉えた。
　そこに消えかかった表札をみつけ、目的の場所についたらしい、と三井は木戸をくぐる。

　軒下に入り傘を閉じ呼び鈴を探したがどこにもない。仕方なく曇りガラスのはめられた木枠をほとほとと叩いた。こんな古風な家屋を見るのは初めてだと返事を待ちながら辺りを見回す。
　手入れの行き届いた庭にある大きな木がむせ返るように香る。湿り気が生き物そのものの匂いを強くするのだろう。晴れた日に縁側に座りながら仰ぎ見たらさぞかし気持ちがよさそうだ。
　もう一度玄関の引き戸に視線を戻したが、返事はない。今日訪れることは前もって告げていたので留守と言うことはないだろう。聞えなかったのかとドアに手をかけると、思いがけずそれは静かに動いた。

「ごめんください」
　磨かれた御影石の三和土はきれいに掃き清められ、その先に続く廊下も飴色に磨き上げられている。どうやらここの家主は隅々まで掃除を怠らないのだな、と感心するように眺めた。だがおかしなことにひとけがないうえ、なにやらなまぐさいにおいが鼻先をかすめる。ちり一つなく磨き上げられた空間に似つかわしくないにおいに三井は首を傾げた。

　ふと、ぴちょんと何かがはねる音がした。
「お待たせいたしました」
　突然目の前に現れた人影に三井は思わず声を上げた。
「わ！」
「この雨の音で気がつきませんで…失礼いたしました」
　見るときっちりと着物を着こんだ背の高い男がそこに立っていた。年のころは３０代後半くらいだろうか。屋内の薄暗さのせいか、影がかかった顔からは表情が伺えない。

「三井様ですか？」
「あ、そうです。すみません、勝手に玄関を…」
「いいえ。大変お待たせしてしまいまして…濡れてしまいましたね。今、タオルをお持ちしますので、どうぞ、中へ」
　案内されるままに家の中に足を踏み入れ男の後をついていく。しっとりとして光沢のある廊下に２人分の足音が吸い込まれていく。
「毎日雨が続きますね」
「そうですね。雨はお嫌いですか？…こちらへどうぞ」

　廊下の先、真っ白で汚れ一つない障子を開けるとそこは思いがけず天井が高く洋風にしつらえられた大きな部屋だった。ぬめるような色合いで座り心地のよさそうなソファを勧められ腰を落とす。ゆったりと体を包み込むようにそれは三井を受け止めた。