水に住む家。

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 紀の運転する車は乗り心地が良く静かに動き始めた。  持ち物一つにしてもなにもかもいいものを厳選しているという感じがする。  さすがに着物だと運転しづらいのか、ワイシャツにチノパンという普通の格好をしているだけなのにとってもかっこよく見える。  これで独身なんてもったいない、と思ったことを口にすると紀は困ったように眉を下げ「ぼくにはひおがいますから」と答えた。  それはなんだかよくわかる気がした。  人間じゃないのに、心を強く惹かれてしまう。この子と一緒にいきていけたら、と幼い紀少年が思ってしまったのも仕方ないだろう。ひおという存在は強く人を引き付ける。  最初の案内どおり、ひおのいたという海には一時間ほどで到着した。 「海!」  めったに見ることのない景色についはしゃぐ三井を横に、紀はじっと海の彼方へと視線を送っていた。その横顔がほんの少しだけ硬い。 「紀さん?」 「はい」 「…大丈夫ですか?」  心配になって声をかけると表情をやわらげ「大丈夫ですよ」と答えた。 「久しぶりに来たので、ちょっと懐かしくて」 「そうですか」 「ひおも、つれてきてあげればよかったかな」 「…そうですね」  とはいえ、人魚は水がないと生きていられない。車の中に大きな水槽を持ち込むことは難しいし、なにより誰かに見られたら大変だ。大騒ぎになってしまう。 「もうすこし先に行ったところにぼくが預けられていた家があります。行ってみますか?」 「はい」  もう一度車に乗り込み10分ほどでそこへは到着した。  が、その景色を見た三井は衝撃を受け、固まったまま立ち尽くした。  そこはすっかり朽ち果て、雑草がはこびり蔦が絡まって人の立ち入りを強く拒んでいるかのようだっ た。人が住まなくなってかなりの年月が経っているだろう風景に三井の頭の中に何かが蘇っていく。 「…あれ、ここ…」 「もう使われなくなってかなりたちます。入ってみますか?」 「…はい…」  きっとこの先へは立ち入らないほうがいいと本能が叫んでいた。きっと取り返しがつかないことにな る。そんな予感がする。  知らないほうがいい。ひおに会えたことだけに満足して帰ればよかったのだ。  だけど抗えない何かに手を引かれるように三井は紀の後についてその家の中へと足を踏み入れた。  朽ち果てた家の中にはまだいくつかの調度品が残り、楽しかった時間を眠らせている。 「ここ、最後はペンションだったんですよ」 「ペンション、ですか」 「はい」  慣れた足取りで海に向かって解放されている窓に紀は近づいていく。外に広がるテラスには階段がついていて、このまま海に出ていくことができるようだった。 「ぼくの部屋はこの上だったんです。今は危なくてもう登れませんけど、同じように海に向かって開けていた。そこから見る景色がとっても好きでした」  知っている、と三井は思った。  ここを知っている。そして。  幼い紀がぼんやりと窓から海を眺めている姿を想像した。だけど三井の記憶の中にいるのは大人の姿の紀だ。そう思い当たって、三井は頭を抱えた。  今こうして目の前にいる紀は三井とそんなに年が変わらないはずだ。なのに、蘇る記憶の先にいるのは今と同じ歳の紀だったような気がする。  あの、幼い日。ひおに出会ったあの日。  もしかして、三井が訪れていたのはここだったのではないか。  そして___。
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