水に住む家。

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「ひおが」と言いかけた三井を大きな波が襲った。波の合間に大きな尾びれが舞い光を反射する。派手な水音を立て水が天井まで届いた。  綺麗。  と思った瞬間には水の中にいた。耳の奥にブクブクと自分の吐く呼吸の音がしていた。体が急激に沈んでいく。さっきまで見ていた世界と違う。泡がのぼっていくのがきらめいて頭上に光る。  ふいに手を引かれた。冷たく細い指がしっかりと三井の腕を掴んでいる。  視線を向けると優しく聖母のような笑みを浮かべたひおが三井の名を呼んだ。 「そうだよ、ひお。ぼくだよ」  ひおの澄んだ声が繰り返し名を呼ぶ。  そうだよ、もっとぼくの名前を呼んで。ずっときみに呼ばれたかった、ぼくのことを見つけて欲しかった。  ひおに手を引かれ、ぐんぐんと底へと沈んでいく。呼吸のことをわすれたかのように継げない息も苦しいと思わない。 遠く頭の上に光が反射する。水を覗き込む紀の顔が揺れている。あれは今までいた生者の居場所。そしてここは。 「聞こえますか?」と紀の声が届いた。 「なん百年かに一回、ひおも生まれ変わらなければならない。そう、今みたいに…わかりますか?三井さん。食事と共にあなたにひおの血を分けました。ひおにもあなたの血をわけました。もう契約は結ばれていたのです」  小指に残った歯形。あれはひおのものだったのか。  ゆらゆら。  ゆらゆら。  ひおに繋がれた指先がどんどん熱くなっていくのがわかった。ひおの噛んだ場所がズキズキと脈動し、命の鼓動を伝えていた。息はもうずっとしていない。だけど苦しくはない。  呼吸を必要としていないのに、三井はいま水の中深くにいて、しっかりした意識を持ち、紀の話を聞き届けることができている。 「三井さん、ぼくとあなたはひおに選ばれたんです」と紀は話し続けた。 「ぼくはひおと生きるために。そしてあなたは」  「ああ」と三井は声を出した。  ずっと知っていたような気がした。忘れていたわけじゃなく、必要な時まで記憶の底で眠っていただけだ。 「次の人魚は、ぼく…」  三井は間近にあるひおの瞳を見つめながら答えた。丸いビー玉のようなひおの瞳は真っ暗で闇の色そのものだった。吸い込まれていく、と三井は思った。  ひおとひとつになっていく。繋いだ指と指が。見つめ合う瞳と瞳が。触れ合う腕も、絡まる脚も、すべてひおになっていく。もうひとりぼっちじゃない。 「ひお」と名前を呼んだ。そしてそれに答えた。  ピシャ、と水を跳ねる音がして体が自由になっていくのがわかる。ぐんぐんと光が近づき地上へと上がっていく。 ___ああ。なんて眩しい。
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