最終話:答え合わせ

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最終話:答え合わせ

 更衣室で白衣を脱いでクリーニングボックスに放り込む。そしてロッカーに入れておいた私服を着た。 「相原さん、明日は何か予定があるんですか?」  隣りで着替えていた山田さんが話しかける。山田さんは私と同年代の主婦なのだけど、先日長女に子どもが生まれたといって写真を見せてくれた。  同年代の人に孫ができたと聞くとなんとも微妙な気持ちになる。 「明日は図書館に行く予定なんです」 「ああ、例のヤツ? うちの孫ももう少し大きくなったら連れていこうかなぁ」 「はい、ぜひ」  笑顔で挨拶を交わして職場を出た。  私はグーっと背筋を伸ばして西に傾いた太陽を眺める。  バッグからスマホを取り出して確認すると壮ちゃんからメッセージが入っていた。 『彼がひどいんだよ!』  と言う言葉からはじまるパートナーとの痴話げんかの愚痴という名目の惚気が続いていた。  壮ちゃんからは今でもこうして定期的に惚気メッセージが届く。本人は惚気じゃないと言うけれど、傍から見れば惚気以外のなにものでもない。 『はいはい』  とだけ返事を入れて随分年季が入ってしまったシルバーの軽自動車に乗り込む。  私がこの町に移り住んでからもう三年になる。旅の最後に訪れたこの海辺の町が気に入って住み着いてしまったのだ。  四十半ばの女が一人でフラりと現れたものだから、狭い町ではあらぬ噂がたったようだ。だけど私はそれを気にせず腰を落ち着けてしまった。  私はこの町の暮らしを気に入っている。  海が近くて景色はいいし、家賃は安いし物価も安い。釣りに行ったご近所さんが魚をお裾分けしてくれるし、工場では缶潰れなどのエラー品を分けてもらえるから食糧に困ることもない。  あくせく働いていた頃が嘘のようにのんびりと暮らせている。  それに、図書館の司書の仕事からは離れたけれど、月に二度、土曜日の午前中に町の図書館で絵本の読み聞かせのボランティアもしていた。  おかげで子どももいないのにママ友がたくさんいる。  こちらに来てすぐに山田さんと知り合い、その山田さんの紹介で今の職場である缶詰工場の社員になれた。山田さんは『都』が住んでいた長屋の田原の奥さんに少し雰囲気が似ている気がした。だからあれほどすんなりと打ち解けられたのかもしれない。  缶詰工場の仕事は単調な作業の繰り返しではあるのだけど集中力が必要だった。任される作業工程によってやることは様々だけど、食卓に安全でおいしい缶詰を届けるための作業であるとことだけは変わらない。  そして缶詰工場の仕事をやってみて、ひとつのことに集中して手を動かす作業が向いているのだと知った。ほんの少しの工夫で効率や作業のしやすさが変わる。そうした工夫を見つけるのが楽しかった。  そしてそんな私の仕事ぶりを見ている人がいたようで、今では担当している製造ラインの班長も任されている。  本が好きでいまだに図書館と縁を持っていること。前世での知り合いと似ている山田さんと仲良くなれたこと。そして工場の作業に馴染めていること。  そうした一つひとつが『都』の影響だと感じる。以前はそれが辛かったけれど、今は自然と『都』の存在を受け入れられるようになっていた。  『都』の足跡をたどる旅をしてから、『都』の夢を見ることが少なくなっている。まだときどき見ることもあるけれど、古いアルバムを眺めているような感覚だった。  幼いころの経験が無意識に今の自分を築いているのと同じように、『都』として得た経験が今の私を築いている。  素直にそう思えるようになった。  土曜日は快晴たった。まだ春も早い時期だけどポカポカと温かい。  私はお弁当を作ってトートバッグの中に入れてから図書館へと向かった。  絵本の読み聞かせのボランティアは二年程前から続けている。図書館に通っているうちに司書と仲良くなり、何か手伝えることはないかと話したことからスタートした。  この町の図書館に足を運んで私はひと目で気に入った。広くもないし蔵書が豊富なわけでもない。だけど町の人たちに愛されている『本を楽しむための場所』という雰囲気に満ちていた。  司書たちも町の人に本を楽しんでもらうための工夫を積極的にしていた。だけど手が回らずに泣く泣く諦めていることもあるようだった。だから私が絵本の読み聞かせに手を挙げたのだ。  ボランティアでは様々な絵本の読み聞かせをするのだけど、子どもたちの評判がいいのはオバケが出てくるようなちょっと怖い話だ。私の臨場感あふれる読み口に、子どもたちはキャーキャーと叫んで大喜びする。  だけどママさんたちには不評だった。どうやら夜になると絵本のことを思い出して、夜トイレに行けなくなるらしい。  まるで『尚子』のようだと思って笑ってしまったけれど、忙しいママさんたちにとっては大変なことだと思うので、怖い話の絵本を読む頻度を下げている。  図書館に着くと、まず司書と打ち合わせをして今日の読む絵本を三冊ピックアップした。  そしてその三冊を抱えてキッズスペースに行くと、気の早い子どもたちがすでに私の登場を待っていた。そんな子どもたちの様子に私も気合いが入る。  絵本の読み聞かせをはじめると、他の遊びをしていた子どもも少しずつ私の前に集まってきた。食い入るように絵本を見つめ、話に合わせて驚いたり笑ったりするのを眺めるのは楽しい。  楽し過ぎるから怖い話では怖がらせ過ぎてしまうのだ。  そうして今日も滞りなく絵本の読み聞かせを終えた。三冊目を読み終えてキッズスペースを去るときには、子どもたちから盛大なカーテンコールまでもらってしまった。 「終わりました」  私はカウンターで作業をしている司書に声を掛けた。 「お疲れ様でした。今日もありがとうございました」 「はい」  私が笑顔で答えると、顔なじみの司書は口もとに手を当ててクスクスと笑う。 「今日も子どもたち盛り上がってましたね。ここまで絶叫がきこえましたよ」 「あー、すみません」  私は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。読み聞かせた三冊のうちの一冊に少しだけ怖い要素が入っていた。抑えようと思ったのだけど、今日の子どもたちは特にノリが良かったために、私も興が乗ってしまってついつい極限まで怖がらせてしまった。 「よかったらランチをご一緒しませんか?」  司書が時計をチラリと見て言う。 「あ、いえ。今日はお弁当を作って来たんです。天気もいいから、高台の公園でピクニック気分を味わおうかなと思って」 「それはいいですね。ピクニック楽しんでください」  私は笑顔で手を振って図書館を後にした。  山の中腹にある公園は海が一望できる絶景ポイントだ。ただし、近隣の住民は自宅から海が臨めるのでわざわざ景色を楽しみにくることはほとんどない。そのため人の少ない穴場スポットだった。  それでも少しは人がいるだろうと思っていたのだけれど、今日はひとりの姿も見えない。  私はベンチに座って絶景を独り占めした。どこまでも続く青い海は次第に空との境目が曖昧になっていく。  海の青はよく見ると一色じゃなくて複雑な色が混ざり合っていた。  私はトートバッグからお弁当を取り出して膝の上に置く。  なんだかとても健全だ。何年か前まで薄暗いホテルでセックス三昧だったなんて嘘のようだ。 「あー、そういえばずっとセックスしてないなぁ」  このままセックスをせずに人生を終えるのだとしたら、最後のセックスの相手は大内さんということになる。それも悪くないなと思った。 「へぇ、してないんですね」 「ひゃっ」  突然背後から声がして私は飛び上がるほど驚いた。危うく膝の上のお弁当箱を落としそうになったけれどなんとか両手で抑えて無事だった。  まずいことを聞かれてしまったと思いながら振り向いて、私はさらに驚く。 「どうしてここに?」 「答え合わせに来ました」  少し大人っぽくなった大内さんが白い歯を見せて笑っていた。  どんな顔をすればいいのか分からなくて固まっていると、大内さんは当たり前のように私の隣に座る。 「おー、いい景色!」 「え? あ、はい」 「そんなにビクビクしないでくださいよ。噛みついたりしませんから」 「はぁ」  それから大内さんは少し体をかがめて私の顔を覗き込む。 「あのエロいお姉さんが今はセックスしてないんですね」 「エロいお姉さんって」 「だってそうでしょう? 私もまさか気を失うまでされるとは思いませんでしたよ」 「あー、その節は本当に申し訳なく……」  私は目をそらしながらモゴモゴと謝罪した。今すぐにでも逃げ出してしまいたい。 「目が覚めたらいなくなってるし、お金も置いていっちゃうし」 「お金は……プロとしてどうかと思いまして……」 「まぁあのときのことはもういいんです。私が挑発したんですから」  どう考えても海が一望できる爽やかな公園でする話ではないと思う。 「えっと、あの、どうしてここがわかった、ん、ですか?」  質問する私の顔を見て、大内さんが笑いを堪えながら「どうして敬語になってるんですか?」と言った。 「相馬さんがここにいることは、図書館で司書さんから聞きました」 「はぁ、なるほど……」  そう返事をしたけれど、私が聞きたかったのは公園に来られた理由ではない。どうやって私がこの町にいることを知ったのかということだ。私がこの町に住んでいることは限られた人にしか教えていない。大学の図書館の同僚にも伝えてなかった。 「相馬さんは絶対にまた司書をしてると思ってたのに。どうして司書をしてないんですか?」 「え、だってあなたが……」 「私が司書を辞めろって言ったからですか?」  返事ができなかった。そうだとも言えるしそうでないとも言える。多分、そういう時期だったのだと思う。 「えっと、それで答え合わせって?」  私は誤魔化すように別の話題を振った。 「せっかくだからお弁当を食べながら話しましょうよ。私も買ってきました」  そう言うと大内さんはコンビニの袋からお弁当を取り出して膝の上に置く。私もそれに習ってお弁当を広げた。 「へー、お弁当なんて作れるんですね」  私の手元を覗き込んで大内さんが言う。 「たいしたものじゃないけどね……」  人に見せるつもりなんてなかったから夕食の残りを詰め込んだ質素なお弁当だった。だけど大内さんがうらやましそうな顔で私のお弁当を見つめている。 「相馬さん、交換してくれませんか?」 「え、ヤダ」  思わず即答してしまった。本当に残り物を詰めただけのお弁当なのだ。どう見ても大内さんが買ってきた焼肉弁当に見合うとは思えない。 「そうですか……」  大内さんはわかりやすく落ち込んで見せた。そういう芝居がかった仕草は狡いと思った。狡いと思ったのだけど突っぱねられなかった。 「……味は保証しないわよ」 「いいんですか!」  今度は目をキラキラさせて私を見た。  大内さんは自分のお弁当を私との間に置いて、サッと私のお弁当をさらっていく。そうして里芋の煮物をパクっと口の中に放り込むと目を細めてかみしめた。 「おいひい」 「たいしたものじゃないのに……」  なんだかとても恥ずかしい。こうなるとわかっていればもっとちゃんとしたお弁当を作ったのに、と思いつつ私は大内さんが買ってきた焼肉弁当に箸をつけた。  お弁当を食べながら横目で大内さんを見ると、食べるのに夢中で話を忘れているようだった。 「それで、答え合わせってなんなの?」 「ああ、そっか。そうですね……じゃあひとつ目。私が中学のときに出会った司書さんって相馬さんですよね。正解ですか?」 「……正解。でもどうしてわかったの?」 「偶然です。相馬さんが消えてから絶対どこかの図書館で司書をしてると思って手あたり次第に図書館を巡ってたんです。そうしたら当時を知ってる司書さんに会いました」 「へぇ、誰だろう……」  私は当時の同僚の顔を思い浮かべる。 「私って、あの頃から変わってないですか? 一発で言い当てられました」 「あー、私も大学の図書館で会ったときにすぐにわかったから」 「それなら教えてくださいよ。私、馬鹿みたいじゃないですか」  大内さんが大げさに口を尖らせるから思わず笑ってしまった。 「大内さん、気付いていなかったし、美しい思い出は美しいままがいいでしょう」 「本人に向かって「あのときの司書さんが~」なんて話してた私、超恥ずかしいですよ」 「ごめんごめん。でもあの話を聞けて私はうれしかったよ。もしも私だって教えてたら話してくれなかったでしょう?」 「まぁ、それはそうでしょうけど……」 「答え合わせって、そのこと?」 「他にもまだあります。これは……答え合わせというか、訂正ですね。前、猫の名前を誰が付けたのかって聞いたじゃないですか」 「ああ、ミーちゃん?」 「はい。あれ、母親に確認したら私でした。三歳くらいだったから覚えてなかったけど」 「へー、そうなんだ」  相づちを打ったけれど、大内さんは不満気な視線を私に送った。 「それだけですか?」 「それだけって?」  すると大内さんは大げさにため息をついて「その回答では丸をあげられません」と首を横に振った。 「仕方ないな、じゃあ次。相馬さんはずっと昔から本が好きだったでしょう?」 「え、うん。正解だけど……」 「すごくすごく昔から好きでしょう?」 「うん……」  素直に答えたのに、大内さんはさらに大きなため息をつく。 「一体なんなの?」  なぜ大内さんがそんな不満気な顔をするのか理解できない。私がジッと大内さんを見ていると、食べかけのお弁当に再び手を付け始めた。  大内さんの言う「答え合わせ」がすべて終わったのかと思い、私も食事を再開した。 「これ」  大内さんはお弁当の中に入っていたおにぎりを摘まみ上げて言った。 「三角のおにぎりを握れるように練習したんですよね? これは正解でしょう?」 「え? 違う……私は、練習してない……」  私は息が止まるほど驚いていた。嘘はついていない。確かに私は三角のおにぎりを握る練習をしていない。  不正解だったにも関わらず、大内さんはうれしそうな笑みを浮かべて三角のおにぎりを大きな口で頬張った。  そうしてお弁当をすべて食べ終えると蓋を閉じて「ごちそうさまでした」と手を合わせる。  私の手元にある焼肉弁当はまだ半分ほど残っていたけれど、蓋を閉じて横に置いた。  大内さんは空になった弁当箱を私に返すと、ジッと私を見つめたまま話しはじめた。 「では答え合わせの続きです。この町に来たのは、ここが『尚子』の故郷だからですよね?」  大内さんの言葉に私は耳を疑った。 「相馬さんがエロいお姉さんになったのは『尚子』と『都』のせいですよね? あの二人、研究熱心だったから」  そうして大内さんはケラケラと笑うと「私も頑張らなきゃ」とつぶやく。 「あとはそうだな……いつかおにぎり屋さんを開こうと思ってますよね? でも一人で開いても意味がないかもなんて思ってるでしょう?」 「そんなはずない……」  私は必死で否定しようとした。そんなことがあるはずない。信じられない。だけど大内さんの言葉から導き出せる答えはひとつしか思い浮かばない。  そして大内さんは決定的な言葉を口にする。 「相馬さんはずっと昔……生まれる前は『山野辺都』で『ミィ』って呼ばれてましたよね? どうです? 正解ですか?」 「せ、正解……。ナオ、なの?」  まだ信じられないという気持ちもあったけれど、否定する材料が全く見当たらない。 「正解です」  すると大内さんがショルダーバッグの中からハンカチを取り出して差し出した。意味が分からず首をひねると大内さんは小さく笑う。 「泣いてますよ」 「え?」  指先を頬に当てると確かに涙で濡れていた。  泣くつもりなんてなかった。それなのに泣いていると自覚した途端涙が次々と溢れてくる。  この涙が私のものなのか『都』のものなのかわからない。悲しくて泣いているのかうれしくて泣いているのかもわからない。  大内さんはハンカチで私の涙を拭ってくれた。 「いっぱい待たせてごめんね」  そうして大内さんは私をそっと抱きしめた。早く止めようと思っているのに涙が止まらない。  私の涙が止まるまで、大内さんはずっと背中を叩いてくれていた。  どれくらいの時間そうしていたのか、ようやく涙が止まって大内さんから体を離す。この年になって人前で泣くことになるなんて思わなかった。 「ねぇ、どうして私が『都』だったって気付いたのか、聞いてもいい?」 「相馬さんがたくさんヒントをくれたからですよ」  私はヒントなんて出した覚えはない。そもそも大内さんが『尚子』だなんて知らなかったのだ。 「ヒントなんて出してないわ」 「ほら、ウチの猫の名前に興味を示したでしょう? それにデリヘルの源氏名が『ミヤコ』だったし。あとはあの日、私のことを『ナオ』って呼んだからかな」 「それだけのことで? 大内さんの名前は菜穂美だから、「ナオ」って呼んでもおかしくないじゃない」 「まぁそうなんですけどね」  大内さんは立ち上がると公園から見渡せる海と町をゆっくりと眺めていく。 「前世の夢、たまには見ていたんですけど、あんまり気にしてなかったんですよ。だけどあの日『ナオ』って呼ばれてから急にはっきりと見るようになって……。なんていうのか……自分の中にいる『尚子』が騒ぎ出したんですよね」 「私のせい?」 「まぁ、きっかけは。だけど遅かれ早かれ思い出していたんじゃないかな。しばらくは混乱していたんですけど、それが落ち着いたとき、どうしても相馬さんを探さなきゃって思ったんですよね。……きっと『尚子』は気付いていたんだと思います」  それから大内さんはゆっくりと振り返って真っすぐに私を見た。 「図書館で相馬さんの行方を尋ねたら古い地図を熱心に見ていたって聞いて、同じものを見せてもらったんです。その地図を見て確信しました。『尚子』と『都』の思い出の場所でしたからね」 「そう、なんだ……。だけど、あのとき探していた地図にこの町はなかったはずよ。どうして辿り着けたの?」 「ああ、それは私にも予想外でした。『都』の故郷までは行ったんですけどね。一度も来たことのないここに来るなんて思ってなかったから」 「それならどうして?」 「カンニングです。壮太さんに教えてもらいました」 「壮ちゃん?」 「相馬さんを探し疲れてミックスバーに行ったときに壮太さんと会いまして」 「ミックスバー……」 「こんなところに恋敵がいるぞ! って喧嘩を吹っ掛けたんです」 「え?」 「相馬さんが見つからないから私も荒れてたんですよ。でも壮太さんっていい人ですね。私のことを覚えていて事情を教えてくれました」 「壮ちゃんからそんな話聞いてないんだけど」 「逃げられるといけないので口止めしました」 「私も壮ちゃんに口止めしてたのに」 「住所をずばり教えてもらったわけじゃないですよ。ヒントをもらっただけです。そのヒントを聞いてたら、『尚子』の地元に似てるなと思ってダメ元で来たんです」  大内さんに『尚子』の記憶があるのなら、少しのヒントでもここに辿り着けるだろう。 「どうしてこの場所に来たんですか? 『都』は一度もこの場所に来たことないですよね」 「もしかしたら『ナオ』のお墓があるかなと思って……。それに一度『ナオ』が生まれ育った場所を見てみたかったし」 「それでこの場所はどうですか?」 「すごくいい町だと思う」  大内さんは自分が褒められたような顔をした。 「あとで『尚子』の思い出の場所に行きますか? 随分変わってるけど、多分案内できると思います」 「行ってみたい」  『都』は『尚子』からこの町の話をあまり聞いていなかった。親に勘当されてしまっていたから、故郷の話を聞きづらかったのだ。だからこの町に住んでいるけれど『尚子』に関係する場所がどこにあるのかは知らなかった。 「わかりました。じゃぁその前に答え合わせの続きをしておきましょうか」 「まだあるの?」 「あと少しです。というか、ここからが本題です」  私が首をひねると大内さんは少しだけ笑みを浮かべた。そしてすぐに表情を引き締めて話しはじめる。 「私は相馬さんのことが好きなんですけど、相馬さんも私のことが好きですよね?」 「えっと……それは……勘違いだと、思う」 「私たちにある前世の記憶のせいだと思ってるんですよね?」  私は頷く。 「そうかもしれません。だけど私は『尚子』の記憶を取り戻す前の中学生のころから相馬さんのことが好きでしたよ。それに相馬さんは私が『尚子』だったって気付いてなかったのに私を好きだったでしょう?」  大内さんは自信あり気に微笑んだ。 「それは、……そう、だけど……」 「だけど、二十五歳も年齢が離れてるから付き合えないと思ってるんですよね?」  私は目を逸らした。  その通りだ。『尚子』と『都』のことが無かったとしても、私は大内さんの想いに答えられないし、私は大内さんを求められない。 「わかりました。相馬さんが本当にそう思っているなら、もう私は相馬さんの前には現れません」  胸の奥が苦しくなった。だけどそれでいいのだと思う。いつかまた大切な人を残して悲しませてしまうくらいなら、はじめないほうがいい。 「ミィは反省してないの?」  大内さんの口調が変わって心臓が跳ね上がる。 「ミィは体が辛いのに我慢しすぎたから病気がひどくなっちゃったんだよ。それなのに、また我慢するの?」 「それ、狡いよ……」  『ナオ』の口調でそれを言うのは狡い。 「それに私、言ったよ。「ミィを絶対に離さないけど、それでもいい?」って」  その言葉は記憶に残っていた。『尚子』の結婚が白紙に戻った日に『都』に言った言葉だ。『都』はその言葉が心の底からうれしかった。 「だけどそれは……」 「約束もしたよ?」 「約束?」 「最期に約束した。「絶対にまた会おうね」って」  耳の奥でぼんやりと『ナオ』の声がした。『都』が最期の瞬間に聞いた言葉。 『ミィ、私も愛してるよ……絶対にまた会おうね』  あのとき『都』の意識はほとんど無くなっていた。だけど最期に聞こえたその言葉に『都』は必死で頷いていた。  大内さんが私の正面に立つ。 「相馬さん、わからない未来に怯えて今を諦めるなんてナンセンスですよ。明日どうなるかなんて誰にもわからないんです。『尚子』と『都』は、悲しい別れをしてしまったけれど、その瞬間まで毎日を一生懸命生きてました。大変なことはあるかもしれない。同じことを繰り返してしまうかもしれない。だけどはじめる前に諦めるのは違います」  大内さんが手を差し出した。  この手を取れば、私はまた大切な人を泣かせることになる。きっと大内さんもそれをわかっている。  それでも私たちは繰り返す。  何度離れても、きっと見つけ出して繰り返してしまう。  私は大内さんの手を握った。その手はとても温かい。  大内さんは私の手をグッと引いて立ち上がらせるとそのまま抱きしめた。  大内さんの背中に腕を回して力を込めると、二人の心臓の鼓動が混ざり合っていく。  誰かの声が聞こえたような気がして私は顔を上げた。  そこに手を繋いで駆けていく『都』と『尚子』の後ろ姿を見たような気がした。    おわり
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