六、櫻可(2)

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六、櫻可(2)

象師が櫻可の部屋に訪れていた頃、牡丹宮では桂英は物思いに卓に頰をついていた。 「まさかそっちの将軍がお相手だったとわね。意外な伏兵だわ」 今から少し前、香が思い詰めた表情で突然訪ねて来た。 厄介事を持ち込まれるのかと眉を顰めた桂英だったが、ぽつりぽつりと話された内容に思わず言葉を漏らした。 以前お茶会で櫻可の想い人の話題が上がったが、これで漸くその謎が解決した。 (州軍の魏将軍ねぇ……) 桂英は秀豪の存在は知っていた。 あれは春に開かれた花見の席。酔って騒ぐ魏家当主(ちちおや)を窘める姿を遠くから見ていた。 しかしただそれだけで、直接会って言葉を交わした事まではなかった。 後宮内にいる后妃は州軍の武官とこれといって接点がない。なので想い人の候補には上がらなかった。 だが櫻可には秀豪と従兄妹という接点はあったのだ。 今振り返るとあの時の櫻可は『武官の頂点に立つ者』という推測に少なからず反応を示していた。 (魏后妃は端から陛下や后妃という立場に興味がなかったわ。それも魏将軍がいたからかしら?) この国の貴族の間では、家柄と血筋を考えて親族同士の結婚は珍しくもなかった。同じく血筋を重んじる武家でもあり得ない話ではない。 けれど幸か不幸か後宮入りの話があって二人の仲は引き裂かれたのかもしれない。 そんな下世話な考えが頭に浮かんだが、ばっさりと捨てさり首を横に振った。 (……勝手な想像をしても仕方がないわ。これは二人の問題だもの。ただ……) 桂英は顔を上げると窓の向こうにある青く澄んだ空を見つめた。 (一度後宮に入った女が個人の意思でここを出てる事は出来ないわ。将軍であろうとおいそれと后妃を妻に出来ないのだから。絶対に一緒になる事はない仲だったのよ) これが州一の勢家に生まれた者の定めなのだと、冷ややかに思いながらも桂英の心は何故か浮かなかった。 「櫻可様大丈夫でしょうか……」 耳に入ってきた声に、空を見つめていた桂英は顔を向けた。 両手を胸元で合わせて握り締める香の表情はとても沈んでいた。 「大切なお方が遠くに……争いの場へと向かわれたのですから。きっとお辛いでしょう」 まるで自分の事かのように香は櫻可を案じていた。 二人はお茶会を度々開く程に仲が良かった。後宮という場でここまで仲が良い后妃はあまり聞いた事がなかった。 お茶会には桂英も付き合わされていた。あの賑やかな日々が頭の中に薄っすらと浮かび上がってくる。 (……もしこの戦で魏将軍の身に何かあったのならば、魏后妃もやっと想いを吹っ切れて良いじゃない──なんて、昔の私ならば簡単に言えたでしょうに) この落ち着かない理由は気付いていた。桂英もまた香と同じなのだ。 将軍の事は詳しくはないが、櫻可の事は知っている。 取り憑いていたあやかしから救ってくれたのも、上手くいっていなかった陛下との仲を執りなしてくれたのも彼女であった。 (そう言えばあの星標恋話も武官の男と帰りを待つ女の話だったわね……) 想い出の星標祭りの為に尽力をつくした彼女が、こんな事になるとは何とも皮肉な話にも思えた。 桂英はぎゅっと瞳を瞑り、扇を持つ手に力を込めた。 (……貴女には悪いけど……) 桂英は瞳をカッと開いて香を見る。それはいつものような厳しい睨みであった。 「……今私達が心配するのはそちらじゃないでしょう?貴女は私達がどんな立場なのかお忘れのようね」 突然雰囲気を変えた桂英に香は驚いた表情をした。 「貴女は何?誰の為にここにいるの?」 これでもかと追い討ちをかける。 桂英にはとある立場がある。それは幼少の頃から夢に描いた立場であり、誰であろうと決心その席を譲る事が出来ない。そしてその立場に誇りを持っているのだ。 桂英の堂々とした態度に賢い香はハッと気づいたようだった。 「わ、私は后妃です!陛下の為にここにいます!」 「分かっているのならばそんな辛気臭い顔は止めなさい!他の者の心配を煽るだけよ!」 櫻可に悪いが、今の自分は后妃としての役割があった。 もしここで自分達が沈鬱な顔を見せれば、敗けを認めたも同じで後宮にいる女官達へと不安が広まる。 そんな事は有ってはならない。今だからこそ自分が毅然と振舞わなけれならないのだ。 陛下の下した決意と勝利を信じて待つ事が后妃としての役目だと考えていた。 「后妃ならば陛下と、この国の行く末を案じていなさい」 「は、はい!」 喝を入れられた香はすぐに表情を引き締める。 けれどふっと目を伏せた。 「…きっと、陛下はお優しい方だからきっとたくさん悩まれて決断されたんでしょうね」 香の呟きを聞きながら桂英は扇を口元に当てる。 何も出来ない事の歯痒さから、扇の柄を強く握り締めた。
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