第2章

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第2章

 ……………。  ……………。  ……………。  ……目が覚めると、どこか見覚えのある白い天井があった。  ここは……どこなんだろう……。  ……………。  ……………。  ……あ、いや、違う!  私はこの天井を知ってる。  ここは……病院だ!  自分がベッドに横たわってるのもわかった。  しかし事故に遭ったのはコウタのはずなのに、なぜ私が病院に?  全身はすごくダルいが、頭はわりとクリアだ。  横を見ると、イスに座ってスマホをいじってる沙織ちゃんの姿が目に入った。  見つめてると、ふいに目が合う。  沙織ちゃんはスマホを持って硬直したまま、こちらをガン見してきた。 「………」 「………」  お互い、無言で見つめあう。 「………」 「………」  この妙な空気もデジャブな気が……。 「……目、覚めたの?」  沙織ちゃんは驚きと心配が入り混じったような表情をしていた。 「大丈夫? どっか痛いトコない?」 「特にないよ。お母さんはどこ?」  自分でも驚くほど、冷静な言葉が自然と口から出てきた。 「あ、うん。ちょっと待って。呼んでくるから!」  沙織ちゃんは、やや急ぎ足で部屋を飛び出していった。  改めて部屋を見てみると、見覚えのある病室だった。  ご丁寧に点滴まであって私の腕に繋がれている。  他に入院患者はなく、ここは一人部屋。  これって、もしかして……。  ベッドの側にあるスマホを手に取ってみる。 「!?」  もしやと思ったが、やはりそうなのか!  スマホの画面には『2017年 12月』の文字が表示されていた。  藤谷茉奈、大学一年生、時は『2021年 3月』のはずだったのに……またここに戻ってしまった。  前回は六年前だったが、今回は四年前へのタイムリープということになる。  どーゆーことなの……? * * *  その日の診察を終えた私は、藤谷茉奈の家族が来るのを病室で待っていた。 「茉奈」 「お姉ちゃん!」  お母さんと沙織ちゃんが病室に入ってくる。 「体はどう? 調子は?」 「左足を動かすと痛いけど、それ以外は元気だよ」 「安静にしなさいね。骨折してるんだから」 「うん、わかってる」  沙織ちゃんが私に向かって、ファーストフードのドリンクカップを差し出してきた。 「もしかしてストロベリーシェイク?」 「正解! よくわかったね?」 「私の好きなやつだからね。ありがとう」  私はニッコリ笑って、ストロベリーシェイクを受け取った。 「喜んでもらえて良かった」  沙織ちゃんは私の様子を見て、満足そうに微笑んだ。 「キウイ買ってきたから剥いてあげるよ。皆で食べよ」  お母さんがデパートの袋からキウイのパックを取り出す。 「キウイはカルシウム豊富なんだよね。ありがとう」 「あら、よく知ってるわね? 骨折にはカルシウムが良いのかなって思って」  展開を知ってるせいで、なんかスムーズに進めてしまったな。  記憶障害の演技の為には、少しぎこちないほうが良かったかしら?  夜。私は状況の整理と今後のことを考えていた。  なんだかよくわからないが、もう一度やり直すチャンスをもらえた。  なぜタイムリープしたのか?  これは情報が少なすぎるので法則性は考えない。  あの交差点でトラックに跳ね飛ばされるのが条件なのかもしれないが、そんなもん試したくもないし。  またタイムリープ出来る保証もないし、失敗したら死んじゃう。  それよりもっと建設的な方向に頭を使いたい。  どうやってコウタを救うか、だ。  前回の<自殺防止プロジェクト>が失敗に終わった原因は、コウタの勉強時間が削られたことにある。  ならば今回は勉強時間を増やせばいいのだろうか?  だが、どうやって……………?  なんて考えてたら、ふとある気配に気付いた。  そちらのほうへ顔を向けた瞬間─── 「ひゃーーー!!!!????」  私はものすごく大きな悲鳴をあげた。  だってそこには……フワフワと宙に漂う、藤谷茉奈の幽霊がいたのだから。 (ちょ!? 騒がないでよ! 落ち着いて!)  幽霊にそんなこと言われて落ち着けるわけない!  私はナースコールのスイッチを押して叫んだ。 「ちょっと来てください! 早く!」  ちなみにナースコールは押すとマイクのスイッチが入るようになってるので、普通に喋っても看護師さんには聞こえる。 (だから、落ち着いてってば。何も危害は加えない……っていうか、自分の体を傷つけるわけないじゃん)  幽霊なのに、なかなか説得力のあることを言う。  ……………って、本物の藤谷茉奈なのか!?  いや、幽霊なのに本物という言い方は意味が変かもだけど! 「あなたは……藤谷茉奈……なの?」 (そうだよ。そういうアナタは誰なの?) 「私は……」  と言いかけた所で看護師が勢いよく部屋に入ってきた。 「何があったの!? 大丈夫!?」 「あ、えーっと……」  まずい。  どう説明したもんかな……。  幽霊が出たので思わずナースコール押しちゃいました……なんて言ったら怒られるかな。  見たトコ、藤谷茉奈本人で、害のなさそうな幽霊みたいだし。 「すみません。寝ぼけて幽霊を見たような気がしたけど、夢でした」 「どんな……?」  おいおい。  その『え、また出たの?』みたいな反応やめてくれ。  逆にこっちが怖くなるじゃんか。  患者を怖がらせてどーする。  病院に怪談話の一つや二つは付きものと思うが、その反応はマズイと思うぞ。 「あ、だからすいません。寝ぼけてたので、見間違いというか……幽霊なんて見てません。夢で見たのと現実がゴッチャになったみたいです」 「そうなの? ……うーんと、他の患者さんもいるので夜は静かにね?」 「すみません……」  私は心から謝罪した。  たしかにあんな絶叫、病院で、しかも夜にすべきではない。 「体は大丈夫? どこか違和感とかない?」 「ないです。大丈夫です」 「ならいいけど……くれぐれも夜は静かにお願いね?」 「はい。すいませんでした」  看護師は出て行った。 (ホントにね……夜は静かにしなきゃダメだよ)  オマエに言われたくないわ!  と言いたかったが、我慢。 「いや、でも悲鳴をあげたのは半分キミのせいじゃないかな……」 (あはは。それはそうね。ゴメンゴメン)  藤谷茉奈の幽霊は笑った。  あれ?  幽霊なのに可愛いぞ。 (それで、さっきの話の続きだけど……アナタは誰なの? なんで私の体に入ってるの?) 「それは私にもよくわからないんだけど……ありのままを話すよ」 * * *  私は彼女に、自分の身に起こった全てを話した。 (ふーん。つまりアナタは、本当は二十歳の本田滉太。事故に遭ったらタイムリープした上、私の体になっていたと) 「うん」 (この世界のコウタ君を助けるべく頑張ってたけど、再度の事故によってまたタイムリープしてしまったと) 「さすが藤谷さん。突拍子もない話なのに、理解が早くて助かるよ」 (突拍子もない話というならお互い様だよ。わたしなんて幽霊になっちゃったわけだし)  それは言えてる。 (ところで、本田君はわたしの姿が見えるんだね? 声も聞こえるようだし) 「ああ、うん。見えるし聞こえるよ。他の人は見えないの? 聞こえないの?」 (うん、沙織にもお母さんにもお父さんにも気付いてもらえなかった。喋りかけても目の前に立ってもダメみたい) 「そうなんだ……」  それは辛いだろうな。  ここにいるのに家族に気付いてもらえないなんて、残酷すぎる。  彼女の心情を思うと私は胸が痛くなった。 (………) 「元に戻る方法、何か思いつく?」 (何も。もう一度事故に遭うのは危険過ぎるからやらないでほしい。私の体でもあるわけだし) 「そんな事しないよ。私の体に重ねてみるとかどう?」 (もうやってみたけどダメだったわ。すり抜けちゃう感じ) 「そっか。幽霊ってすり抜けるとか出来るんだね。建物とかもすり抜けるの?」 (まあね。わたしは何も触れないのだから、逆にわたしに触れる存在も皆無ってことなんじゃない? ほら見てて)  マナちゃんは備え付けのテレビに腕をめりこませた。  手品みたいだな。  そんな事を思ってると、不意に私の口から大きなアクビが出てきた。 「あ、ゴ、ゴメン。こんな真剣な話し合いの時に……」 (ふふ、自分のアクビする顔なんて初めて見た。ヘンなカオー) 「ヘンなカオって、自分の顔でしょうが……」  そう私が突っ込むと彼女は更に、おかしそうに笑った。 (そうでしたー)  しかし、うん、幽霊になっても笑顔は可愛いな。  一つ一つの仕草も愛くるしい。  幽霊になるという異常事態なのに、和み系の明るさも生前のままだ。 (まぁ気にしないでよ。つい話し込んじゃったけど、もう深夜二時よ? 眠くなるのも当然だって) 「幽霊も眠くなるの?」 (ならないよ。でもわたしの体が睡眠を欲してるなら、休ませてほしいなと思うよ)  なるほど。  体は大事に扱ってほしいってことか。 (今日はもう寝ようか? 話はまた明日にしよう) 「わかった。おやすみ」 * * *  話し合ってはみたものの、有効な打開策も見つからなかった。  とりあえず私達はこの状態のままで、元に戻る方法を一緒に考えることにした。  呼び名がややこしくなるので、幽霊の藤谷茉奈は”マナちゃん”と呼ぶことにした。  そのマナちゃんは、私のことを”ホンダ君”と呼ぶことに決まった。  幽霊とはいえ、初恋の女の子を面と向かって名前呼び出来るのはちょっと嬉しい。  彼女は幽霊になったことを全く悲観してない様子だった。  不思議と自分が幽霊になったことに違和感がないんだとか。  悲壮感というのがないのよね。  幽霊なのに。 (ポリアンナ好きだし、基本お気楽な人間だから悲壮感がないのかもね)  というのが、彼女の弁。  ちなみにポリアンナというのは、どんな時でも『良かった』を探す女の子の話なんだそうだ。  元ネタは少女ポリアンナという小説で、昔アニメにもなってたらしい。 「要するに、超々前向き思考ってことだよね? まいにち修造みたいな感じ?」  と聞いたら彼女は爆笑していた。 (あはは。ナイスな例えだね。まいにち修造の本は読んだことないけど)  そう言いながら私を指差して、彼女は元気よく叫んだ。 (今日から君は噴水だ!!)  いや、マナちゃん、読んだことあるじゃんか……。  こういう楽観的な人なのに、自分が死んだという絶対的な確信はあるんだそうだ。  理由を聞いても、本人にもよくわからないらしい。  ただあるのは、自分は既に死んだ存在であり、幽体離脱とかではなく死んでしまった幽霊でしかないという確信なんだとか。  だから幽霊と思われることにも抵抗はないし、むしろそれがしっくりくるらしい。  私にはよくわからないが、既に死んでしまった存在としての確信は絶対であり、揺るがない事実なんだそうだ。  <自殺防止プロジェクト>について。  マナちゃんは全面協力を申し出てくれた。  私が……じゃない、コウタが自殺するのを放っておけないんだそうだ。 (わたしは既に死んじゃった存在だからね。自分の代わりに───というわけでもないけどコウタ君を助けたいと思うし、生きててほしい気持ちもあるよ)  マナちゃん、優しい所は生前と変わらない。  部分的な記憶障害は、そういう設定にしておくことにした。  そうしたほうが面倒がないと、彼女が言ったのだ。  あとこれは発見なのだが、マナちゃんとの会話は声に出さなくても可能だということがわかった。  といっても心の中が筒抜けで、相手の心が読めるというわけではない。  意思を持って心の中で喋ると、それが伝わる感じ。  だからお互いプライベートは守られるし、言いたくない事を言わずにおく事も可能だ。  この心の中で会話できるという状態はありがたかったな。  だって私だけ声を出してたら、傍から見たら独り言を延々と呟く危ない人になっちゃうから。 * * *  退院後。自分の部屋。  自分の部屋でも、独り言は極力避けるようにしている。  私は心の中でマナちゃんに言った。 (でもさ、ホントに東浜高校で良かったの? マナちゃん、本当は中央高校に行きたかったんでしょ?) (別にいいよ。どうしても行きたかったわけでもないし)  彼女はあっさり言った。 (それにコウタ君を助けるなら、同じ高校のほうがいいと思うし、気にしないでね) (そう言ってもらえると気がラクかも。ありがとう) (あ、でも一つだけお願い聞いてもらっていいかな?) (いいよ。どんなこと?)  卒業式も終えて春休み。  私はとある予備校の近くにある、ファーストフード店に来ていた。  マナちゃんに言われるまま、予備校の玄関が見える位置の席に座る。 (ここで私は何をすればいいの?) (ある先生に謝ってほしいの。進学先を東浜に変えたことを) (謝る?)  話が見えないな。  私が不思議そうな顔を向けると、彼女は説明を続けた。 (うん、その先生はわたしが中央高校に受かるよう、いろいろ情報集めてくれたり親身になってくれたのね)  ふむふむ。 (でも直前で東浜に進学先変えちゃったでしょう? だからその先生に申し訳ないなーっていうのがあって……)  なるほどね。  そういうことか。  私はストロベリーシェイクを一口飲んで彼女に言った。 (なるほど。そういう事なら一言あったほうがいいかもね) (わかってもらえて嬉しい。ホンダ君、ありがとう)  マナちゃんはホッとしたように微笑んだ。  うーむ。  やはり可愛いな。  この笑顔の為なら何でもしてあげたくなる。 (進学先を変えた理由はどうしよう?) (事故の影響で勉強が遅れて自信がなくなった、東浜高校は自宅から近いし、一番の親友も進学するのでそっちを選んだ……こんな感じでどうかしら?) (うん、いいと思うよ) (あ、出てきた! あの人だよ! 普通に先生って呼んでみて!) (りょーかい)  マナちゃんが指差した先には、若い男性の姿があった。  さっそく店を出て、近付いて声をかける。 「先生!」 「おお、藤谷か。久しぶりだな。予備校来なくなったから心配してたんだぞ? 事故に遭ったんだって?」 「ああ、はい。ちょっと交通事故に遭いまして……」 「怪我はもう平気なのか?」 「骨折したけど今は治りました」 「それは大変だったな」  この人が世話になったという講師の人か。  なかなかイケメンだな……。  って、見てる場合じゃない。  早く本題を切り出そう。 「あの……進学先変えて、すみませんでした」 「進学先? 中央高校には行かなかったのか?」 「はい。地元から近い、東浜にしました。事故のせいで中央高校は自信がなくなったし、東浜には一番の親友も行くので」 「藤谷がそう決めたなら、それが何よりだと思うぞ。親友と一緒の学校に通いたい気持ちもよくわかる」  話のわかる先生で助かる。 「先生には親身になってもらったのに、すみませんでした」  改めて、今度は頭を下げて謝った。  真摯な謝罪の気持ちを伝えたかったのだ。 「そんな謝るなよ。藤谷が行きたい高校に行くのが俺の何よりの喜びなんだから」  おお、なんだこのカッコ良さは。  イケメンは言うこともイケメンなんだな。 「まあ高校生活楽しんでな。大学受験でウチを利用する気になったらまた来てくれ。力になるからさ」 「はい。ありがとうございます」  爽やかな笑顔で言われると、照れてしまうな。  なかなかやるな、このイケメン。  気付くと、側にいたマナちゃんも顔が赤くポーっとなっていた。  幽霊も頬を染めることってあるんだね。  先生を見送り、マナちゃんに声をかける。 (あの先生のこと、好きだったの?) (あ……うん、まあ……そうね。好きといえばそうだったのかも)  胸がズキン、と痛んだ。  好きな子の口からそう言われるのは、やはりショックだ。  進路変更を謝りたかっただけじゃない。  単に好きな人に会いたかっただけ、というのもあるんだろうな。 (自覚してないの? 今も頬が赤くなってるよ?) (え、ウソ!? やだ!?)  マナちゃんは頬をおさえながら慌てて後ろを向いた。  いちいち可愛いことされると、こっちが恥ずかしくなるんだが。  ショックは受けたが、まあいいか。  マナちゃんが幸せそうなら。  彼女に好きな人がいたことに胸を痛めつつも、私は彼女の力になれた事に満足感を覚えていた。 * * *  事故から四か月。  私は高校生になっていた。  最初は戸惑ったが、私もマナちゃんもこの状況に慣れてきていた。  例えば、最初の頃は風呂やトイレをマナちゃんはものすごく恥ずかしがっていた。  そしてその恥ずかしがる姿も可愛さ爆発だったのだが、それはおいといて。  可能なら私に目隠ししたいと思うほど恥ずかしかったんだそうだ。  風呂やトイレの時、マナちゃんは決まってどこか遠くへ行ってたみたいだし。  でも、慣れというのはすごいね。  今じゃ私の着替えを堂々を見るようになっていた。 (高校生になったのだから、下着はもうちょっとオトナっぽいものにしてみたいかも) (そう? マナちゃんは可愛い系の下着のほうが似合ってると思うけど) (可愛いけど子供っぽさもあるかなーって) (マナちゃんが望むなら、買いに行ってもいいよ)  制服スカートを履きながらマナちゃんに言う。  この体になって長いこと過ごしてるので、女性用下着を買うことには別に抵抗もない。 (そういえば事故でついた腕の打撲痕、まだ消えないね)  マナちゃんは私の腕を見ながら言った。 (ああ、このアザね。でも大丈夫だと思うよ) (なんで大丈夫って思うの?) (だって前はアルファベットの『N』字型だったけど、今は棒一本しかないもん) (よくわかんないけど、アザが消えかかってるってこと?) (うん。目立たないアザだし、裸になっても男の人がドン引きすることなく、100%マナちゃんに欲情すると思うよ) (次そんな下ネタ言ったら、毎晩耳元に呪いの言葉を囁いてあげるからね) (こわっ!)  冗談だと察したマナちゃんは、笑いながら冗談で返してくれた。  こういう冗談が通じるぐらいには仲良くなってる。  マナちゃんと話してるのはぶっちゃけ、すごく楽しい。 * * * 「次にボランティア委員。なりたい人は挙手して」  司会の男子が言うと、女子は私と前田朋子を含む三人が手を挙げた。  そして男子も三人が手を挙げた。  その中にはもちろん、コウタの姿がある。  高校に入っての委員会決め。  さして影響はないかもしれんが、出来ればコウタと一緒の委員会をやりたい気持ちはある。  でもジャンケンは前田朋子に負けてしまった。  コウタと前田朋子は同じ委員会になる運命らしい。 (負けちゃったね)  マナちゃんが私の心に喋りかける。 (いいよ。委員会は影響しないはずだから) (ジャンケンじゃなくクジ引きなら、わたしが箱の中を透視できたんだけどね) (そんなズルしなくていいってば。でも気持ちはありがと)  それより大事なのは部活なんだよなあ。  コウタをバスケ部に入れるべきかどうか、どっちがいいのか悩む。  帰りの電車の中で、私はマナちゃんに相談した。 (わたしはコウタ君をバスケ部に入れたほうがいいと思うな) (そう? 私は避けたいな。辛い出来事が多かったから) (でもホンダ君の話だと、過去を変えたことで別の過去が悪い風に変わっちゃったんでしょ?) (そうなのよね……)  バスケ部に入るのを阻止したら、勉強時間が減って本来合格するはずだった受験に失敗するという惨事になってしまった。 (これも一種のバタフライ効果なのかしら) (なんだっけそれ?) (北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで竜巻が起こる───要するに小さな出来事が大きな出来事のきっかけになりうる、という理論のこと)  わかりやすい説明でありがたい。  そういやバタフライエフェクトっていう映画があったな。  映研に居たとき見たのだが、けっこう面白かったのを覚えてる。 (それに───)  ついでに何かを言いかけたマナちゃんは、後の言葉に詰まった。 (それに、なに?) (……あ、うん……これは気を悪くしないでほしいんだけど……) (いいよ。なんでも言って) (ホンダ君、コウタ君に少し過保護すぎるかなーって気がしなくもないような……) (そうかな? 自殺から守るには、少し過保護なほうが良くない?) (んー、それもわかるんだけどね……)  自殺から守るには少し過保護なくらいでちょうどいいと思う。  だってコウタはダメ人間だから。  ダメ人間を幸せにする為には普通の人に接する感じでは足りなくて、普通の人よりずっと大きな助けが必要なのだ。 (じゃあコウタ君をまた映研に誘うの?) (それで部活が楽しくなって勉強時間が削られるのも……考えもの、なのよね……)  どうしたものかと、二人で頭を悩ませる。  家に帰ってからも話し合いは続いた。  そこで私に、ある考えが閃いたんだ。 (そうだ! 何も部活に入る必要もないんだ。帰宅部でいいじゃん!) (東浜高校って帰宅部OKなの?) (問題ないはずだよ。帰宅部の人を見たことあるし、元々の私は二年生のときバスケ部をやめて帰宅部だったから)  コロンブスの卵だな。  なんでこんな単純なことに気付かなかったんだろう。 (コウタ君をどう説得するつもりなの? 単にバスケ部入らないで───とお願いするだけでいけるかな?) (まだ仮入部もしてないはずだから、いけると思う) (それで浮いた時間を受験勉強に充てるってこと?) (その通りだよ!)  そうだ。  こうすれば良かったんだ!  これならコウタが大学に合格する確率はググっと上がるはずだ! (マナちゃんはこの案、どう思う?) (んー、悪くないと思うよ。コウタ君が勉強三昧の日々を承諾してくれるかどうかだよね)  勉強三昧の日々か。  そう言葉にされると、苦行にも思えてくるな。 (何か対価報酬で釣らないと無理かな?) (どうだろうね。それはわたしよりホンダ君のほうがわかってるんじゃない?) (………)  そりゃそーだ。  言われて考えてみたのだが、コウタは対価報酬がないと釣られてくれない気がする。 (コウタ君の好きなものってなんなの?)  それはキミだよ、キミ。  いや、この場合は私か?  コウタが一番好きなのは、間違いなく藤谷茉奈だ。  これは断言できる。  でもこれはマナちゃんには言えない。  恥ずかしいのもあるし、彼女の心に負担をかけたくないのもある。  マナちゃんは優しいからね。  コウタが藤谷茉奈を好きだと知ったら、自分をエサにしてコウタを釣り上げることを提案してくるかもしれない。  それは非常に残酷だと思うんだ。  だって彼女には、あのイケメン講師という好きな人がいるのだから。 (……ホンダ君? どうかした? ずっと黙りこくって……) (あ、いや、なんでもないよ。コウタの好きなものだよね。もちろんたくさん知ってるけど、対価報酬として提示できそうなものが思いつかないんだ) (そっか……)  良い案が出たと思ったら問題点が見つかる。  ちょっと手詰まりになってきたな。 (ね、コウタ君は誰か好きな人いないの? 前田朋子って人以外で)  だからキミだってば。  前田朋子よりキミのことが大好きなんだってば。  言えないけど。 (いないと思う。前田朋子の件がトラウマになって誰も好きになりたくなかったし……) (あ、ゴメンなさい……配慮が足りなかった……)  マナちゃんはシュンと肩を落とした。  励ましたくてフォローを入れる。 (あ、でも可愛いと思った子ならいるよ) (え、それは誰?)  急に目を輝かせてマナちゃんは私に聞いた。  ……うぐ。  墓穴を掘ったかもしれない。  言いにくいが、言うしかないか。 (……西野恵里香) (恵里香!? あ、そうなの!? ホンダ君って恵里香のこと、そんな風に思ってたんだ!) (まあ……好きってわけじゃないけどね……可愛いとは思うよ)  西野恵里香を可愛いと思ったのは嘘じゃない。  だが、辛いな。  ホントはマナちゃんに、キミのことが大好きだと言いたいのに……。  でもイケメン講師に恋をしてる彼女を苦しめる可能性がある以上、これは言えない。 (だったら打開策はあると思うよ。あまりお勧めは出来ないけど……) (お勧め出来ないって、なんで?) (ホンダ君の話を聞いた感じ、本来の過去ってあまり変えないほうがいいと思ったから) (バタフライ効果だっけ? 過去を変えると、他の部分で悪い影響が出る可能性がありうると言いたいの?) (それもあるし……) (過保護?) (うん……)  マナちゃんは言いにくそうに頷いた。 (ね、マナちゃん。コウタには普通の人を助ける感じではダメなんだと思うよ) (……そう……なのかな?) (そうだよ。だってコウタは能力の低いダメ人間なのだから) (そんな事ないと思う。自分のことをそんな風に言うのは良くないよ……) (ううん、そんな事あるの。マナちゃんみたいな優秀な人にはわからないと思うよ) (………)  マナちゃんはすごく悲しそうな顔をした。  しまった。  ちょっと嫌味っぽくなっちゃったな。  この辺のことは、マナちゃんとは意見が合わなそうだ。 (言い方悪くてゴメン。でも私も必死なの。コウタを助ける為ならなんだってしたいと思う) (それはわたしだって同じだよ) (じゃあ教えて? その打開策ってやつを) * * * 「勉強会?」  放課後。  二人きりで話があると、私は恵里香をヒト気のない廊下に呼び出した。 「うん。私は明城大学という所を目指してるのね。でもそこに入るためにはそれなりに勉強が必要なの」  明城大学は中堅クラスなので、誰でも入れるバカ大学というわけではない。  それなりに勉強が必要なのだ。  実際、落ちたバカもここにいるし。 「そこで、週末の土曜か日曜に勉強会というのをやってみたいなあと」 (恵里香と一緒の大学に行きたい、っていうのを付け加えて) (わかった)  マナちゃんのアドバイス通りに言葉を付け足す。 「私、恵里香と一緒の大学に行きたいの」 「!! そりゃ私もだよ! 私だって茉奈と一緒の大学に行きたいよ」  恵里香は高校も藤谷茉奈の影響で選んだ人だからなあ。  大学も影響があって不思議じゃない。 「その明城大学っていうのは、私でも勉強すれば入れるレベルなの?」 「もちろん。敷居は高過ぎず低過ぎず。ランクでいえば中間ぐらいの所だよ」 「そうなんだ。それならちょっとやってみたいかも。勉強会」  恵里香は前向きな姿勢を示した。  感触は上々だ。 (イイ感じだね。引き上げてOKだよ) 「考えといて。また連絡するから」 「うん」 (グッジョブだよ。恵里香は話に乗ってくると思う) (勉強会にコウタも誘うってこと、言わなくてホントに良かったのかな?) (大丈夫。恵里香はコウタ君のこと嫌いじゃないはずだし、当日知らされても問題にしないと思うよ)  最初マナちゃんは乗り気じゃなかったけど、今は気持ちを切り替えて協力してくれてる。  彼女の助けは本当に心強い。  続いてコウタへの説得だが、これはすんなり成功した。  そりゃそうだよね。  週末限定とはいえ、大好きな藤谷茉奈と一緒に居られるのだから。  恵里香も美少女だし、美少女に囲まれての勉強会なんてハーレムそのものじゃないか。  こんなん断る男なんているわけない。  コウタは週末に遊ぶ時間が減る事には難色を示していたが、その代わり部活に入らず平日の放課後に遊べばいいと説得した。  説得があっさり上手く行き過ぎたことをマナちゃんは少し不思議がってたけど、コウタの大好きな人が藤谷茉奈というのは秘密にしとこう。  週末の勉強会当日。  場所は市立図書館を使うことにした。  私とコウタと恵里香の勉強会だという事をメールで恵里香に知らせたが、マナちゃんの予想通り、恵里香は特に問題にしなかった。 (上手くいって良かった。マナちゃん、ありがとう) (これが良い方向に転がってくれるといいんだけど) (心配性だね。大丈夫だよ。マナちゃんの作戦、私もすごくいいと思ったし) (………)  マナちゃんの作戦というのは、この週末にやる勉強会のことだ。  平日の放課後に勉強するのではなく、週末の一日を潰して勉強時間に充てるという逆転の発想。  これは私には思いつかなかったな。  これなら平日は部活がある恵里香でも参加できるし、コウタは平日の放課後遊びに集中するので部活をする事もない。  そして何より、コウタも恵里香も本人にとって十分に利がある勉強会なのだ。  すごくナイスなアイディアだと思う。 * * *  こうして勉強会は毎週土曜に行われることになった。  夏休みに入ると勉強会は週二のペースになった。  もっとやっても良かったけど恵里香の部活が週四だったからね。  そこに配慮したのだ。  コウタも恵里香も、学力はけっこう上がってきてると思う。 (ホントは勉強というのは毎日やる”クセ”をつけたほうがいいんだけどね)  勉強慣れしてるマナちゃんが言った。 (その代わり小テストがあるじゃん。勉強に緊張感が出るし、あれけっこう良いアイディアだと思うよ) (通ってた予備校の真似事だよ。あの予備校は頻繁に小テストがあったんで)  なるほど。  予備校で身につけた勉強テクニックというわけか。 (小テストの作成、手伝ってくれてありがとう) (ううん。わたしも手伝ってて楽しいから)  オリジナルの小テストの作成はマナちゃんに手伝ってもらってる。  市販の問題集も使いながらではあるが、彼女が問題を考える係で、私がそれを文書にしてオリジナルの小テストを作ってるのだ。  こんな面倒なことをせず、あの予備校に通ってしまったほうが早いとも思うが経済的負担があるからね。  軽々しく通えるものでもない。  それに、マナちゃんと一緒に小テストを作るのは意外と楽しいのだ。  相談しながらの共同作業というのがポイントなのかもしれない。  まぁ小テスト作りでも何でも、マナちゃんと一緒に何かやるのは楽しい。  新しい計画。  <新・自殺防止プロジェクト>は順調に進んでると思う。  もっとも、作戦を考えたのはマナちゃんなのだが。  マナちゃんは本来の過去を変えることを心配してたが、きっと上手くいくはずだ。  そう願おう。 * * *  夏休みの勉強会じゃない日。  私はとある公園に呼び出されていた。  公園といっても因縁の松葉公園ではなく、地元の中学の近くにある小さな公園だ。  呼び出してきた相手は中学の同級生である、福元君だ。 「───それで、ずっと藤谷さんのことが好きだったんだけど、もし良かったら付き合ってもらえないかな?」  福元君は恥ずかしいからか、少し俯き加減で顔を赤くしながら言った。  まぁ言われた私も、相手をまっすぐに見ることが出来なかったが。 「ゴメンなさい」  私は深々と頭を下げた。 「私、好きな人がいるの……」  告白を断られた福元君は悲しみをこらえたような表情をしていた。 「そっか……好きな人いるのか……」 「………」 「どんな人なの? 藤谷の好きな人って?」 「年上でカッコよくて、すごく大人っぽい人かな」  それを聞いた福元君は更に表情がこわばった。  ゴメンね。  追い打ちかけるような言い方で。  でも私のことはキッパリ諦めてほしい。  告白イベントが終了した帰り道。  マナちゃんは驚いた顔で言った。 (ふぁーびっくりしたね! 福元君がわたしのこと好きだったなんて全然知らなかったよ!)  おい、マナちゃん。  男子の多くはキミのこと好きだと思うぞ?  かくいう私だって、キミのことが大好きなわけだし。 (そんな驚くようなこと? マナちゃんなら告られたことぐらい何度もあるでしょ?) (へ? ないよ。何度もなんか。告られたことは一回しかない) (マジで?) (うん)  意外だな。  マナちゃん程の美少女なら、既に多くの男子に告られてるのかと思った。  ……でも、そうか。  ハッキリ異性が気になる思春期はだいたい中学生ぐらいからなので、案外そんなもんなのかもしれんな。  そもそも、藤谷茉奈が高根の花すぎて告りにくいってのもあるし……。  少なくとも私はそうだったよ。  自分と藤谷茉奈が釣り合うなんて全く思えなかった。 (ちなみに、誰に告られたの?) (それはちょっと言えないなあ)  興味本位で聞いてみたが、マナちゃんは困ったように答えを濁した。  やっぱり良い子だな、マナちゃんは。  告白内容までバラした前田朋子とはだいぶ違うや。 (ホンダ君は告られたことある?) (あるわけないじゃん。あんなダサメンに) (そんな言い方しなくても……)  コウタを好きになる女なんか、いるわけないよね。  あんなダメ人間。 (そういやマナちゃんに聞いておきたいことがあるんだ) (なに?) (私……というか藤谷茉奈という女の子に告ってくる男って、この先も何人かいるのね) (そうなの?) (うん)  藤谷茉奈は、この先も複数の男に告られることになるんだ。  全部断ったけどさ。 (もし告ってきた相手にマナちゃんのタイプの男がいたら、OKしたほうがいいのかな?) (………)  マナちゃんは少し考えてから言った。 (うーん。とりあえず全て丁重にお断りしていいと思う)  自分で聞いておいてなんだが、断る以外ないよなーという事に気付いた。 (……ああ、そうか。そうだよね。マナちゃん、好きな人いるもんね) (いや、そういう事じゃなくて……自殺防止プロジェクトが成功するまで、そういう事はしなくていいという話だよ) (マナちゃんのタイプの男だったとしても断っていいの? 例えばあの予備校のイケメン先生でも?) (断っていいよ───というか大体、仮に実際に付き合うとしたら、それはホンダ君が付き合うってことなんだよ?) (………) (体がわたしのものとはいえホンダ君、男の人と付き合えるの?) (………)  私が男の人と付き合う……?  想像してみたが、少しゾッとした。 (無理。無理だよ、それは) (でしょう? だからとにかくまずは、コウタ君のことを第一に考えようよ。それがわたし達にとって一番大事なことなのだから) * * *  週末の勉強会は極めて順調だった。  前田朋子に告ることもなく、最初の障害はあっさりクリアすることが出来た。  次は看板破壊事件のクリアが目標となる。  二年生になり、体育祭が近付いてきた。 (へー、可愛い衣装だね)  マナちゃんは私のチアガール姿を楽しそうに眺めた。 (うん、私もそう思う。男子からの視線、メッチャ感じるし) (しょうがないよ。可愛い衣装だもん)  可愛い衣装というか、男子が感じてるのは藤谷茉奈の可愛さだと思う。  衣装の可愛さと藤谷茉奈の可愛さが相乗効果で爆発的にアップしてる感じ。 (わたしも着てみたかったなあ) (やっぱり私が着てるのを見るだけじゃ満足できない?) (満足できないわけじゃないけど……ちょっと羨ましいかな)  マナちゃんはずっと同じ服だからな。  そのシャツとスカートの私服姿も十分可愛いのだが、お洒落できないのは辛いよね。  幽霊用の服とかあればいいんだけどなあ。 (明日は看板破壊の回避、頑張らないとな)  帰りの電車の中で、私はマナちゃんに向けて呟いた。 (作戦や段取りは決まってるの?) (決まってるよ。コウタを玄関で待ち伏せるだけ。作戦ってほどでもないよ)  前回はパソコン準備室に居たら、あわや作戦失敗しそうになったからな。  今回はその反省を生かし、玄関でコウタを捕まえるつもりだ。  マナちゃんには、そこまで詳しく話してないが。 (そっか。わたしに協力できることがあったら何でも言ってね)  彼女は笑顔で言ったが、どこか陰りがある感じだった。 (……マナちゃんは過去を変えることに、まだ抵抗ある?) (抵抗……バタフライ効果の話?) (うん) (誤解されてるようだけど過去を変えることに抵抗はないよ。ただその、変えるべきポイントが合ってるかどうかが気になるだけだから)  変えるべきポイントか。  それって神のみぞ知るってやつじゃない? (でもわたしが気になってるのは、もう一つのほうで……)  もう一つ……過保護のほうか。  言いたいことはわからなくもないが、看板破壊を回避しないとコウタはクラスで孤立してしまうんだよなあ……。 (マナちゃんは、コウタがクラスで孤立するのを回避しないほうがいいと思う?) (まさか! そんなこと全然思わないよ!)  彼女は慌てたように否定した。 (クラスでの孤立が、自殺の要因の一つになったというのはわたしも同意見だよ)  だよね。  それなら看板破壊は回避したほうがいいんだよなあ。 (……あの、ホンダ君、気を悪くしたらゴメンなさい)  マナちゃんはすごく申し訳なさそうに謝った。 (これに関してはホンダ君の考えを尊重するって話になったのにね。失言でした。本当にゴメンなさい……)  マナちゃんに辛い顔されると私も辛いな。  彼女にはいつも笑っててほしいのに。 (いや、気にしないで。マナちゃんは単に心配してくれてるだけ、というのは十分に伝わってるから) (ありがと。優しいね、ホンダ君……)  おおお!  女の子に優しいなんて言われたのは生まれて初めてだ!  しかも言ってくれた相手は、大好きな初恋の女の子であるマナちゃん。  これはかなり嬉しい。  私は彼女から見えないよう、後ろを向いてニヤけ顔を隠した。  後ろを向いて一人ニヤニヤするなんて、電車の中での私はちょっと不審人物だったかもしれない。  運命の体育祭二日前。  私は当初の予定通り、玄関でコウタを待っていた。  既に雨が降り始めてるので、コウタが来るまで時間はかからないと思う。 (待ってる場所は、もう少しグラウンドよりのほうがいいんじゃない?) (なんで?) (そのほうがグラウンドもチェック出来るし、万一なにか突発的なトラブルがあってもグラウンドに近ければ対処しやすいと思う) (たしかに)  納得した私は傘を広げ、玄関とグラウンドの中間ぐらいの場所に移動した。  なんだかんだ言って、マナちゃんは協力的なんだ。  こういうちょっとした助言もすごくありがたい。  ふと気付くと、マナちゃんは上のほうを見上げていた。 (どうしたの?) (いや、あの先生、大変そうだなーって……)  窓越しに、お爺ちゃん先生がプリントを運ぶのがうっすらと見えた。  前回はあの手伝いをさせられたんだよな……。  でもお爺ちゃん先生、ゴメンなさい。  今回は万全を期したいんだ。 (時間があれば手伝ってもいいんだけどね……その間にコウタが来たらヤバイし……) (わかってる。よそ見させてゴメンね)  ほどなくして、雨の中を小走りのコウタがやって来る。  私もコウタが向かった玄関へ移動した。 「藤谷、何してんの?」 「何も。これから帰るトコだよ。本田君は?」 「俺も帰るトコだけど、傘がなくてどうしようかなって」 「だったら───」  言いかけて言葉を止める。  先にマナちゃんに確認したほうがいいと思ったから。 (ねえ、コウタを相合傘に誘って大丈夫かな?)  急な思いつきを心の中でマナちゃんに聞いてみる。 (いいよ。でも相合傘だと濡れやすくなっちゃうんじゃ?) (そこは気にしないと思うよ。女の子と相合傘って、コウタには良い思い出になると思うし) (相手が恵里香じゃなく、わたしでもいいのかな?)  いや、むしろ藤谷茉奈のほうが嬉しいってば。  彼女はコウタが好意を持ってるのは恵里香だと誤解したままになってる。 「だったら……なに?」 「あ、えっと……傘がないなら一緒に入る? 私の傘に?」 「いいの!?」  すごい食いつきだな。 「いいよ」  私はスッと傘を斜めに持ち上げた。  入ってもいいよというサイン。  こうして、私とコウタは相合傘で帰ることになったんだ。 (ありがとね、マナちゃん) (?? お礼を言われる事は何もしてないのだけど……?)  彼女は不思議そうな顔をしていた。  まぁたまには、こういうラッキーがあってもいいんじゃないかと思う。  嫌なトラウマではなく、良い思い出に変えること。  それが自殺防止に繋がっていくと信じて。 * * *  勉強会は特にトラブルもなく、すこぶる順調に続いてる。  すこぶる順調だという手応えを実感できたのは、高三の模試。  そこでコウタはなんと、明城大学B判定までいったんだ。  これは非常に大きな成果だ。  なんたって、コウタは最高でもC判定までしかいった事なかったのだから。  恵里香と私はA判定だったし、三人で同じ大学に通う未来がいよいよ現実味を帯びてきた。  マナちゃんも全力で勉強をサポートしてくれてるし、今度こそ自殺を回避できるという自信も出てきた。  この調子で、合格まで気を抜かずに頑張りたいと思う。 * * *  そして合格発表の日。  現役で合格する過去は一度もなかったが、今のコウタなら合格の可能性がけっこうありそうな気がしてる。  恵里香はネットで確認するという事だったので、私とコウタの二人が明城大学に向かった。  行きの電車の中でコウタはひどく緊張していた。 (なんか、見てるこっちが緊張しちゃうね)  マナちゃんがコウタを見ながら言った。 (B判定でもA判定でも落ちる時は落ちるからね。緊張はよくわかるよ)  まぁもし落ちたとしても、今回は私が側にいてフォローするつもりなので、コウタに自殺なんか絶対させないつもりだ。  過去のモデルケースでは、現役受験に失敗して自殺したこともないしね。  大学に到着し、さっそく合格発表の掲示板に向かう。  受験番号を探すと……うん、合格。  やはり私は合格だった。  コウタはどうだろうか?  横のコウタを見ると、まだ番号を探してる様子だった。  コウタの番号を盗み見たと思われるマナちゃんも、掲示板を熱心に見ていた。 「……藤谷、どうだった?」  掲示板から目を逸らしたコウタが聞いてきた。  コウタは無表情だった。 「私は合格だったよ。……本田君は……どう……?」 「落ちた……」  え?  マジで!?  またダメだったの!?  B判定だったから、けっこう希望あったのに……。  つくづく、運命の女神は意地悪だと思う。  気落ちしてる私の視界に、何故か満面の笑みを浮かべたマナちゃんが見えた。 (うそだよ。ゴ・ウ・カ・ク)  はっ……? 「ゴメン、ウソ。合格だよ」  コウタが笑いながら、受験番号を見せてくる。  確認すると……たしかにコウタの番号もあった。  なんだよおい!  コウタも合格したんじゃん!!  焦ったーーーー!!  てっきりまたダメだったのかと思っちゃったよ!  心臓に悪い冗談やめてくれ。 「やったじゃん! おめでとう!!」  私は心からの、魂からの、万感の思いを込めて祝福を述べた。 「ありがとう。藤谷もおめでとう!」 「ありがと!」 (二人とも、おめでとう!!)  マナちゃんも満面も笑みを浮かべて祝福してくれた。  ……………やった。  ……やった。  やったよ!!  これで自殺回避、確定だ!!  思えば長い道のりだった。  たくさんのトラブルに見舞われながらも、何度も何度もコウタ助け、決して挫けず、粘り強くサポートした甲斐があったというものだ。  これでようやく肩の荷を下ろせる。  私は体が軽くなった解放感に包まれた。 * * *  自分の部屋に戻り、私はマナちゃんへ向かって手を差し出した。 (いえーい!!)  意図を察したマナちゃんは、ハイタッチの真似事をしてくれた。 (やー、まさか現役で合格するなんて思わなかったね。これもマナちゃんのおかげだよ。ありがとう)  丁寧に感謝を伝えたいので、私は深くお辞儀をした。 (!? やめてよ。わたしは何もしてないってば。合格したのはホンダ君やコウタ君が頑張ったからだよ) (そんな事ない! 受験だけじゃなく、マナちゃんの助けは本当に大きな力になった。ありがとう。コウタを───いや、私を助けてくれて) (だから、頭を下げるのはやめてってば!)  マナちゃんはあたふたしていた。  そんな彼女も可愛い。 (これで自殺防止プロジェクトは完全クリアだと思う) (正確には二十歳だっけ? ホンダ君が自暴自棄になっちゃうのって) (うん、でも大学には合格したし辛い思い出も回避してきたし、大丈夫だと思う) (運命のXデーが過ぎるまで油断は出来ないよ。でも今のところ上手くは進んでる感じだね) (そうそう。大丈夫だと思うよ。恵里香も私も合格したし、今後も傍についててあげる事が可能になったから)  恵里香の合格はメールで知った。  まあA判定だったからね。  合格するとは思ってた。  彼女にも祝福の言葉を長文のメールで送っておいた。  ちょっと気になったことを言ってみる。 (マナちゃん、いいかな?) (なに?) (これからも、コウタの傍についてサポートしてもいいかな?) (もちろんだよ! 二十歳のXデーが節目だと思うので、気を抜かずに頑張ろう!) (ありがとう)  マナちゃんにそう言ってもらえる事ほど、心強いことはない。 (これからもよろしくお願いします)  私は自然と丁寧なお辞儀をしていた。 (だからやめてってば! それ!)  私達は笑いながら、この大きな幸福に浸っていた。 * * *  高校の卒業式も終えた三月。  大学の入学準備説明会の帰り。  電車の中。  私とコウタは二人きりで一緒に帰っていた。  恵里香は説明会にお母さんと来ていたので、今日は大学で別れたんだ。  地元の駅に到着する。 「藤谷、今日は駅までバスで来たんだよな?」 「そうだよ」 「だったら、帰る前にちょっと散歩しないか? 暖かいコーヒーでも奢るので」  コウタがそんな事を言ってくるなんて珍しいな。 (どうする? マナちゃん?) (わたしは全然構わないよ。せっかくのお誘いだから、乗ってみたら?) 「いいよ」  マナちゃんも乗り気なようだったので、私はOKの返事をした。  コンビニでコーヒーを買って、ぶらぶらと歩く。 「今日はそんなに寒くないね」 「そうだね。冷たいコーヒーのほうが良かった?」 「ううん、これでいいよ」  たまには、こういう散歩もいいもんだね。  心に余裕があると景色も美しく見えるよ。 「ちょっとそこで休もうか」  コウタが指差したのは大きな公園だった。  え、ここって……。 「松葉公園……」  幸福な気分だったのに、胸の奥がざわついた。 「名前知ってるってことは、来たことあるんだ?」  あるよ。  何度もね。 (どうかしたの?) (……この公園って、自殺した二回とも直前に立ち寄ったトコなのよね……) (え!?)  マナちゃんの顔もこわばる。 「ベンチいっぱいあるから、休めると思うよ」 「あ、ちょ……」  引き止めようと思ったが、間が悪く信号が点滅を始めたのでコウタは速足でずんずん進んでいった。  仕方なく、後をついていく。  自殺の要因を排除したとはいえ、この公園に来ると不安な気持ちになってしまうな。 (顔色悪いよ? 平気? コウタ君に謝って、家に帰る?)  心配そうな表情でマナちゃんが聞いてくる。 (大丈夫。ちょっとトラウマ思い出しただけだから)  私とコウタは並んでベンチに腰かけた。 (今の私に不安要素はないし、大丈夫だよ) (………)  なおも不安そうなマナちゃんを安心させるべく、私は強がった。  大丈夫。  何も心配ないはずだ。  しかしコウタよ。  女の子をベンチに誘うなら、ハンカチを敷いてあげたほうがいいと思うぞ。  どうせ持ってないだろうから、自分で敷いたけど。  学力は上がったが、コウタのこういう所はまるで成長してないと思う。  ハンカチ無しでベンチに誘われて、少しイラっときちゃったし。 「あのさ、俺、大学に合格したら決めてたことがあるんだ」 「なに? どんなこと?」 「………」  コウタは何か言いにくそうにしていた。  なんとなく、嫌な予感がしてくる……。 「藤谷……いや、藤谷さん。好きです。ずっと……小学校の頃から好きでした。友達ではなく恋人になりたいです。付き合ってください」 「………」  フリーズ。  私は頭がフリーズしてしまった。  まさかヘタレのコウタに告られるなんて夢にも思わなかったので。  これ、けっこうカオスな状況だよね。  だってコウタは誰でもない、自分自身なんだもん。  シュール過ぎるでしょ。  自分自身に告られるなんてさ。  横にいるマナちゃんを見ると、彼女もフリーズしていた。  正確には、固唾をのんで成り行きを見守ってるという表現のほうが近いかもしれないが。 「………」 「………」  しばし、沈黙が流れる。  フリーズしてる私をよそに、コウタは藤谷茉奈への恋心を語り始めた。 「藤谷は高根の花過ぎて諦めようと思ってたんだけど、出来なかった。勉強会に誘ってもらえて、すごく嬉しかったし。勉強会をやればやるほど、藤谷のこと好きになっていった」  おい! やめろ!  本人がすぐ側で聞いてるんだぞ!  そんなん暴露された私の立場はどうなる!?  私は今後、どんな顔でマナちゃんと接すればいいんだよ!?  いや、コウタは藤谷茉奈に聞かせるつもりで語ってるのだから、本人が聞いてる所で語るのは間違ってないのかもしれんが!!  ああ! なんかわけわからなくなってきた! 「もうこの、藤谷のことを大好きだという気持ちが抑えられなくなった。同じ大学に合格できたし、もっと仲良くなりたいんだ」  だから、やめろっての!  それ以上言うな!! 「それに───」 「ストップ! 待って! ちょっと待って!」  慌てて制止する。  隠していたマナちゃんへの恋心を勝手に暴露するのがムカつく。  コウタのことは自殺から守りたいと思うほど大事に思っていたのだが、今は憎くてたまらない。  ムカつく理由が他にもあるかもしれないが、よくわからない。  よくわからないが、私はコウタに異様なムカつきを感じ始めていた。 「いきなりそんなこと言われても困るよ!」  私はコウタから目を逸らし、視線を下方に落として言った。 「だって私には好きな人がいるし、本田君のことは全くなんとも思ってないのだから!」  勢いのまま言ったら、場が一瞬で静まり返った。 「……………」 「……………」 (……………)  コウタはショックを受けたような表情で、マナちゃんは何を考えてるのかわからない無表情だった。 「……まったく……なの?」  沈黙を破ってコウタがこんな事を言ってきた。  この発言もイラっときた。  意外そうな表情から察するに、どうやらコウタはOKしてもらえると思っていたらしい。  バカか!  そんなわけないだろ!  オマエのどこに好かれる要素があるっていうんだ!?  こういう身の程知らずな所もムカつく。 「逆に聞きたいんだけど、本田君の好かれる要素ってどこ?」 (!?)  抑えたつもりだったが、口調には棘が含まれてしまった。 「………」  ほら、答えられない。  なんの魅力もないダメ人間が、藤谷茉奈みたいな美少女に告ってんじゃないよ。 「どうしたの? 答えてよ?」  イライラが募っていた私は、自然と問い詰める口調になった。 (やめて! そんな言い方しないで!)  マナちゃんは叫ぶように言った。  でも、私の助けがなければ何も出来ないダメ人間のクセに、それを自覚してない身の程知らずなコウタにかなりイラっときていた私は言葉が止まらなかった。 「本田君、自分が好かれる人間だと思ってんの?」 (やめてってば! いい加減にして!!) 「………」  コウタは何も答えなかった。 「ベンチに誘いながら、ハンカチも用意できない男なのに?」 (そんなのわたしは気にしてない! お願いだからもう酷いこと言わないで!!) 「………」 (なんで!? なんでそんな酷いこと言うの!?)  マナちゃんの叫び声は悲壮感が漂うものになってきていた。 「………」 (やめてよ! お願いだから……そんな酷いこと言わないでよ……)  気付くと、マナちゃんは泣いていた。 「………ごめん……オレ……帰るよ………」  コウタは死人のような表情で、ふらふらと去って行った。 (なにやってんの!? 追いかけて! 早く!!)  泣きながら叫ぶマナちゃん。  しかし、私はとてもじゃないが追いかける気にはなれなかった。  代わりに私はコウタへのイラつきをマナちゃんにぶつけた。 (やっぱりコウタは死んだほうがいいのかもしれない。身の程知らず過ぎるよ。なんの魅力もないのに好かれてると思ってる所が救いようのないバカだと思う) (!? 本気で……言ってるの……?) (本気だよ。コウタがあんなにイラつく人間だとは思わなかった)  自殺から救う為に優しくしてただけ、なのにね。  それを自分が好かれてると勘違いするなんて、身の程知らずも度が過ぎてると思う。  本当は私の助けがなければ、なんの魅力もないダメ人間のクセに。  恩人である私を困らせるような事するなって話だ。  そう。  この恩知らずな部分もムカつくのだ。 (コウタが死ねば、私の意識も消滅してマナちゃんも体に戻れるかもしれない) (そんなのどうだっていいよ! お願いだから、今すぐコウタ君を追いかけて!)  マナちゃんはボロボロ涙を流していた。  どうして泣いてるんだろう?  ……………あれ?  なんだか私の目からも涙が……?  おかしいな。  もらい泣きってやつなのかな。 (わたしは───)  マナちゃんが何かを叫ぼうとした瞬間、あのスイッチが切れるような感覚と共に私は意識を失った。 * * *
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