第3章

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第3章

 ……………。  ……………。  ……………。  ……ふぅ……。  ……またか……白い天井はもう飽きたよ。  横を見て、沙織ちゃんの姿を見つけてガックリくる。  沙織ちゃんがいるってことは、私は藤谷茉奈のままなんだろうな。  ここに戻ったって事は、コウタは藤谷茉奈に振られたショックで自殺しちゃったんだろうな。  自殺の原因は失恋。  ……まぁ理由なんかどうでもいいか。  私は自分のスマホに手を伸ばした。 「ちょ!? お姉ちゃん起きたの!? なにやってんの!?」 「どこも痛くないし平気だよ。お母さん呼んできてくれる?」 「うん……」  怪訝そうな顔で出ていく沙織ちゃんをよそに、私はスマホの画面を確認した。  画面には『2017年 12月』の文字が表示されていた。  またここか……。  もう飽きたよ、ここに戻るの。  もう面倒くさいのでいっそのこと、病室の窓から飛び降りてみようか? * * *  前と違うことが一つある。  それはマナちゃんの姿を見かけなくなったことだ。  入院中はもちろん、退院して学校に復帰してもマナちゃんは現れなかった。  彼女は消えてしまったんだろうか。  私に愛想をつかしてしまったというパターンもあるのかな?  この体、マナちゃん本人が使えばいいのにな……。  本来の持ち主だし、そうしてほしいよ、ホント。  もうこの藤谷茉奈の体も能力も、私の手には余るし必要だとも思わない。  コウタを救う?  無理だよ、あんなダメ人間は。  恩知らずで身の程知らずで、人間的な魅力があるとは思えない。  救う価値があるとは思えない。  たぶん、どうやっても死ぬ運命にあるのだろう。  あんなダメ人間は自殺するほうがお似合いだよ。  マナちゃんへの恋心を暴露された例の事件以来、私はすっかりコウタに愛想が尽きてしまっていた。  学校で恵里香が話しかけてきた。 「進路希望票、書いた? 中央高校のまま?」 「いや、私は───」  と、言いかけた所で止まった。  もう進路変更の意味もないなーって。 「───そうね。中央高校にしとくよ」 「そっか。残念だけど、高校違っても友達でいようね」 「うん」  精一杯の作り笑顔で、私は力なく頷いた。  自分の部屋。  私は窓から夜空の星を見上げていた。  星は綺麗だな。  柄にもなくセンチメンタルな気分に浸る。  きっとあの中のどれかになっちゃったんだろうな、マナちゃんは。  どうかマナちゃんの魂が安らぎを得てますように……。  私は心からの思いを星に祈った。  机の上にある進路希望票に目をやる。  ここには第一志望、中央高校と書いておいた。  行ったことないけど、そこで頑張ってみよう。  コウタなんかどうでもいい。  本来の藤谷茉奈が送りたがってた人生を送ろう。 (これでいいんだよね? マナちゃん)  私は夜空の星に向かって、マナちゃんへ呟いた。 (良くないってば) 「どわあああーーー!!」  思わずリアルな声をあげて、イスからずり落ちてしまった。 (ふふ、大丈夫? 人間ホントに驚いた時って、コントみたいなズッコケ方するのね)  マナちゃんはイスからずり落ちた私を見て、楽しそうに笑っていた。 (え……なんで……星になったんじゃなかったの!?) (ちょっとちょっと。勝手に殺さないでよ!) (………) (………) (………) (もう! そこは『既に死んでるやん!』って突っ込むトコでしょ! 突っ込みの仕方、忘れちゃった?)  なんなんだこれは。  なぜ彼女がいるんだ。  なぜこんな笑顔なんだ。 (本当に……マナちゃんなの?) (本当にマナちゃんだよ。わたしがラスプーチンに見える?)  マニアックだな、おい。 (そこはナイチンゲールとかクレオパトラとかって、言っとこうよ) (あはは。そうだね。次はそうするよ)  彼女は笑っていたが、私は笑う気になれなかった。  そんな気分じゃなかったんだ。 (もう! 戻ってきたんだから、もっと嬉しそうな顔してよ! 張り合いないじゃん)  嬉しそうな顔?  いや、マナちゃん。  この状況に相応しい顔というか、言葉がもっとあるよ。  いわゆる───『合わせる顔がない』ってやつ。 * * * 「え!? 進学先変えるの!?」  学校で進路変更を告げると、恵里香は予想通りのオーバーリアクションで聞き返してきた。 「うん。東浜高校を受けるつもり」 「東浜って進学校じゃないよね? 中央高校はやめたの? なんで!?」  懐かしいな、このやりとり。  進路変更の理由か。  私は気が進まなかったが、本人に望まれたのなら変えるしかない。  変更しないなら毎晩呪いの言葉を囁いてやるとか言われたら、進路変更するしかないじゃんか。 「中央高校は家から遠いからね。東浜のほうが近いじゃん。恵里香も良かったら、一緒に行かない?」 「東浜に?」 「うん。イヤ?」 「イヤではないよ。私だって、茉奈と一緒の高校に行きたいもん」 「だったら一緒に行こうよ。私も恵里香と一緒の高校に行きたいから」  マナちゃんの望み通り、進学先は東浜に変更した。  彼女はまだ、コウタを救うことを諦めてないんだろうか?  あんなダメ人間は自殺したほうがいいと思うんだけどねえ……。 * * *  春休み。 (マナちゃん、物に触れるようになったんだね)  ベッドに座ったマナちゃんは普通に漫画を読んでいた。 (なんだか知らないけど、意思を持ってふれると触れるようになったよ) (意思がないとダメなの?) (うん。だから逆に意思がなければ壁抜けも、ほらこの通り)  腕を壁にめり込ませる。  要するに、物に触るか、すり抜けるかは任意ってことなのね。 (わかったからやめて) (公衆の面前ではやらないから安心して。宙にモノが浮いたりしたら騒ぎになっちゃうし) (マナちゃん自身は宙に浮くことは出来るの?) (もちろんだよ)  マナちゃんは宙に浮いて見せた。  特に能力が変わったわけではなく、プラスされただけらしい。  任意で、物体に触ることが出来る能力か。  便利そうだな。  マナちゃんは漫画を読むのに戻った。  あれから何をしていたのか?  なぜしばらく姿を現さなかったのか?  なぜ急に現れたのか?  マナちゃん曰く、空白の時間は『気持ちや考えを整理するため』に使ったんだそうだ。  どんな気持ちなのか?  どんな考えなのか?  そこまでは聞いてない。  というか、教えてくれなかった。  その辺は、おいおい教えてくれるんだそうだ。  マナちゃんにこう言われた以上、私からは何も言えない。  なんたって私は前回、ひどい醜態をさらしてしまったのだから。 (そういや、あの予備校の先生のトコには行かなくていいの?) (いいよ。あの先生『藤谷が行きたい高校に行くのが俺の何よりの喜び』とか言ってたじゃん) (そうだけどさ、ヒトのしての礼儀というか……) (そうね。言いたいことはわかるよ。でも今回はなるべくわたしの好きなようにさせてもらえるんでしょ?) (うん、まあ……)  今回はなるべくマナちゃんの好きなようにさせてあげたい、という思いはある。  実際、私は”何をしたいか”のイニシアチブをマナちゃんに譲ったんだ。 (マナちゃん、あの先生のことを好きなんじゃないの?) (好きか嫌いかで言えば好きだよ。ただ、恋愛的なものかどうかはわかんない。イケメン俳優に憧れる……みたいな感じが近いのかも)  ファンみたいな感覚なのかな。  私が想像していたより、恋愛的な感情では無さそうだ。 (だからその事は気にしないで)  マナちゃんがそう言うなら、気にしないでおこう。 (あ、でもその代わり、一つやってほしい事があるの) * * * 「それホント!? 茉奈、彼氏いるの!?」  恵里香は驚いた顔で聞き返した。 「うん、いるよ」  私は頷きつつ、あっさり肯定した。 「どんな人なの?」  有希が聞いてくる。 「予備校の先生。優しいお兄ちゃんみたいな感じの人かな」 「お、さっそくノロケか? マナミン。いつから付き合ってんだ?」  ノリちゃんも興味津々という顔で聞いてきた。 「つい最近、まだ一か月程度だよ」  受け答えはマナちゃんが傍で喋った通り、私はそれをなぞって答えた。  マナちゃんのやってほしい事とは何か?  それはこの”彼氏がいる宣言”だった。  コウタの近くで、聞こえるように喋ってほしいと頼まれたのだ。  …………もっともこれ、真っ赤な嘘なのだけどね。  本当は彼氏なんかいない。  あの予備校の先生には会ってもいないし。  帰宅して、自分の部屋。 (ねえ、マナちゃん。そろそろ教えてくれる? この”彼氏がいる宣言”の嘘に、なんの意味があるの?)  マナちゃんに頼まれるまま嘘をついたが、なんの意味があるのかさっぱりだ。 (だってこうしないと、本来の過去が変わっちゃう可能性があるでしょ?) (どういうこと?) (彼氏がいる宣言は、コウタ君の恋愛感情を前田さんに向ける為の方便だよ) (??)  まだ意味がわからない。 (あんな嘘つかなくても、コウタはバスケ部に入れば前田さんに告るんじゃないの?) (いや、そうはならない可能性があって……)  言いにくそうに言葉を濁す。  マナちゃんは視線を逸らし、恥ずかしそうに頬を染めていた。  なんなんだ? (なんで? なんでそうはならない可能性があると言えるの?) (え、だって……コウタ君の好きな人って……)  ……………あっ!!  鈍くさい私でも、彼女が何を言いたいのか気付いた。  そうだ!  私が好きなのはマナちゃんであり、コウタが好きなのは私こと藤谷茉奈!  つまり、本田滉太が恋愛感情を抱いてるのは藤谷茉奈なんだ!  それを前回のあれで暴露されてしまったんだ!!  恥ずかしい!  これはメチャメチャ恥ずかしいぞ!  マナちゃんが恥ずかしそうにする気持ちもわかる。  私も恥ずかし過ぎて顔を逸らした。  顔中がすごく熱い。  耳まで赤くなってしまったかもしれない。  ちょっとクールダウンしよう……。  ……………。  ……………。  ……………。 (……なるほど。藤谷茉奈に彼氏がいると知ったら、コウタは次の恋へ進む可能性が大きくなる。つまり、確実にコウタを前田さんに告らせる為の嘘なわけね?) (うん)  まだ少し頬を染めてるマナちゃんは小さく頷いた。  なんだこの可愛い過ぎる生き物は。  いつも可愛いのだが、今は特に可愛く感じる。  抱きしめたくなっちゃう程に。  気を取り直して。 (そっか。じゃあコウタがバスケ部に入るのも、今回は邪魔しない方向なのね?) (その通りだよ。そこは変えるべきポイントじゃないと思う) (じゃあ、どこを変えるつもりなの?) (それはその時になったら説明するね。藤谷茉奈に彼氏がいるという設定は期間限定の嘘なので、コトが終わったら取り消しといて) (わかった。私の部活はどうすれば……何に入ればいいの?) (帰宅部、映研、バスケ部のマネージャー、なんでもいいよ) (………)  なんでもいいと言われると逆に困るな。  私が困ってるのを察したマナちゃんが言う。 (んじゃ、映研にしようか。わたし、けっこう映画好きだし) * * *  十二月。校舎裏。  コウタが前田朋子に告るのを、私達は隠れて見ていた。  コウタが前田朋子に振られるやりとりは、見てるだけでもかなり辛い。  正直、胃がキリキリしてくる……。 「ぶっちゃけ、本田君こと好きになれる気が全くしない」 「!?」 「………」 「………」  うわ……。  酷いこと言うなあ。  ショックを受けたコウタは泣きそうになってる。  自分では気付かなかったが、あんな絶望的な表情になってしまってたのか……。  あまりにも痛々しくて直視できない。  見てる辛さに我慢できなくなった私は、目を逸らした。 (大丈夫?)  目を逸らした私にマナちゃんが聞いてくる。 (あんまり大丈夫じゃないかも……) (前回はホンダ君も、あんな感じの冷たさだったよ) (……………)  これに関しては返す言葉もないよ。  私と前田朋子は、実は冷たい人間という部分で似てるのかもしれんな……。 「もういいかな?」 「………」  前田朋子の口調は、あからさまにイライラがこもったものだった。 「話が終わりなら行くね。それじゃ」 「………」  それだけ言うと前田朋子は足早に立ち去っていった。  コウタはそんな彼女の後ろ姿を見送りながら、アホみたいに立ちつくしていた。 (わたし達も帰ろうか) (コウタのフォローはしないの?) (今日は動かないほうがいいと思う。話を聞いた感じ、大事なのは明日のほうだと思うから)  自分の部屋。  私とマナちゃんは明日のことを話し合っていた。 (無理! 無理だよそれは! いくらマナちゃんの頼みでも無理!) (そこをなんとか、勇気を出して) (勇気なんかない。無理だよ……)  明日は前田朋子の取り巻きに嘲笑される日である。  その取り巻きに言い返してほしい。  それがマナちゃんの頼みだった。 (以前にホンダ君は、恵里香を助ける為にチャラ男二人と戦ったことがあるんだよね?) (あるけど……) (その勇気があれば大丈夫だと思うよ)  マナちゃんは笑顔で言ったが、私は不安しかなかった。  だってあれは、体が勝手に動いただけなんだから。 (護身術を使って、取り巻きをボコればいいってこと?) (そんなこと絶対にしないで。言葉で攻撃されたのに暴力で返したら、その時点で負けだよ)  強気だなあ、マナちゃん。  ケンカなんかしたくないし、前田朋子の取り巻きとも関わりたくないんだけどなあ……。  ……まぁいっか。  万一失敗しても、どうせまた白い天井からやり直すことになるのだろうから。  告白の翌日。  廊下を歩いてるコウタに、派手めの女子二人がエンカウントした。  RPG風に言うなら[前田朋子の取り巻きが現れた!]ってやつだ。  私は少し離れた場所から、その様子を見ていた。 「ねえ、あなた朋子に告ったでしょ?」  二人組はニヤニヤ笑いながら、嘲るような目でコウタを見ている。  コウタをからかいたい、バカにして笑いものにしたい、という思いは第三者視点でもよくわかる。 「………」  コウタが黙ってると取り巻きAが言った。 「ねえ、参考までにあたしにも教えてくれよ。『どこがダメだったのか』をさ」 「ぷははは! ウケル!」  取り巻きBが下品な笑い声をあげる。 「ウチも聞きたい。『参考までに俺のどこがダメだったのか聞いてもいい?』」  取り巻きBは、さも変な言い方でコウタの言葉をなぞった。  あえてキモイ感じで真似をすることで、コウタをより嘲笑する意図なのだろう。 「似てるぅ! キモイー!」  二人は心から楽しそうに、はしゃいでいた。 (「キモイのはアンタのほうでしょ」って言ってきて) (え?! 無理だよ!!) (だったら「性格ブスだって自覚ある?」でもいいよ) (無理ムリ!) (じゃあ、どんなセリフなら言えるの?) (ケンカ売るようなセリフは無理! やっぱ怖いよ! 行きたくない!)  土壇場になって私はビビってしまった。  第三者視点だと想像以上に修羅場に見えたし、何よりすごく怖く感じられたのだ。 (今更そんな……! わたしの言葉をなぞるだけでもダメなの!?) (ダメ! 無理! 怖い!) (!!)  私はすっかりビビってしまっていた。 「まあ気ィ落とすなよ、本田。この子が参考までに、どこがダメだったのか教えてくれるってさ」 「どこがダメだったかって? 全部だろ!」 「ぶはははは! そんな事実言ってやるなよ!」 「ちげーよ。優しさだよ!」  盛り上がりが最高潮に達した二人は大爆笑した。  マナちゃんがキッと二人を睨んだ瞬間、彼女の体が消えた。 「いい加減にしなよ!!」  大きな声で一喝すると、爆笑していた二人の動きはピタと止まった。  誰が声を…………って、私か!?  いま大きな声で一喝したのは私なのか!!??  突然の出来事に私は困惑した。  声が勝手に出てきたのだ。  そして体まで勝手に動き、ずんずんと二人に向かっていった。 「やめなよ! ヒトの恋愛をバカにするのがそんなに楽しいの!?」  また勝手に喋りだした。  これって……私の体を通してマナちゃんが喋ってるのか!?  いや、元々はマナちゃんの体なので不思議はないのだが!  なぜいきなり!?  いきなりの事態に驚いていた取り巻きが、反撃する。 「バカにしてないよ。それどころかアドバイスしてやっただけじゃん。なにイキってんだよ」 「アドバイス? あれが? あれが本気のアドバイスなら、あなたは人格障碍者だよ。病院行ったほうがいいよ、マジで」  マナちゃんの攻撃!  取り巻きAは50のダメージを受けて怯んだ!  というシステムメッセージでも出そうな感じ。  今はマナちゃんの魂が私の体に入った状況だが、玉突きで私の意識が体の外に出ることはなかった。  私はマナちゃんのような幽霊にもなってないし。  私の意識は今も、彼女の体の中にあるという実感はある。  でも体の主導権はマナちゃんにあるらしく、喋るのを私の意思では止められなかった。 「なんなんお前? つか、関係ねーやつがしゃしゃり出てくんなよ。正義面ウザッ!」  取り巻きBの攻撃!  しかしマナちゃんには効かなかった!  マナちゃんのカウンターが発動! 「わたしを関係ないというなら、あなただって関係ないでしょ。本当にウザイのは関係ないのにヒトの恋愛をわざわざ嘲笑してくる、あなたの腐った性根のほうだと思うよ」  毒舌だ!!  マナちゃんって、こんな毒舌だったの!?  ……でも……なんだろう。  すごく胸がスッキリする。  天使みたいな見た目の藤谷茉奈から、毒舌が出ると驚くよね。  取り巻きBも、見た目からは想像つかないマナちゃんの毒舌カウンターパンチにたじろいだ。 「本田君も何か言い返して」  マナちゃん───というか、私は───というか、藤谷茉奈はコウタをじっと見た。 「………ひ………」  コウタが何か言いかける。 「………ひとの恋愛をバカにするお前達はサイテーだ!」  必死に声を振り絞る感じで、コウタは取り巻き二人に言い放った。  よく出来ました。 * * *  藤谷茉奈の体に、本来宿るべき魂が戻った。  一番重要な問題が、これで片付いた!  ……………と思ったら、戻ったのはあの時だけだった。  帰りの電車の中。  私はマナちゃんに言った。 (元に戻っちゃったね) (そうだね。わたしもびっくりしたよ) (いや、びっくりしたのは私のほうだってば。マナちゃんがあんなに毒舌だなんて知らなかった) (毒舌には毒舌で返すのが一番簡単だからね) (目には目をってやつ?) (そうそう) (その人生哲学って戦いがエンドレスでエスカレートしない?) (するかもしれない。でもそれ以上にやられっぱなしというのは良くないでしょう? 自分の為でもあるし、公益性という観点からも良くないと思うよ) (公益性?) (要するに相手が増長するだけで、別の被害者を作る可能性が高いってこと。非が相手にあるなら反撃はしたほうがいいのよ) (………)  ……思えばコウタは、やられっぱなしの人生だったな。  大局的には、やられっぱなしの生き方というのが自殺に大きな影響を与えてたのかもしれない……。 (まぁ戦いがエスカレートしたら警察沙汰になるし、あの二人もそこまでバカじゃないと思うよ) (そうなのかな?) (あの子、わたしを『正義面』とか責めてたでしょ? 語るに落ちるってやつだよ。あの子の場合は、自分が悪人だって自覚があった故に『正義面』なんて言葉が出てきたのだと思うよ)  なるほど。  自分が悪だという自覚があった故の言葉……か。 (今回の件で非があるのは誰なのか、普通の感性を持ってるならわかるはずだし、まともな人は100%わたし達の味方につくと思う)  マナちゃんって、私が思ってた以上に肝が座ってるというか、強い人なんだな。  見た目は華奢なのに芯はすごく強い。  マナちゃんの強さが眩しい……。 * * *  あれから一週間経って、冬休みに入った。  取り巻き達は特に復讐してくるわけでもなく、コウタに関わってくる事もなかった。  クラスは何事もなかったかのように平和のままだった。  ここまで何もないなら、あの件は終わったという事なんだろう。 (ね、だから言ったでしょ? あの二人も復讐を考えるほどバカじゃないって) (………) (だてにクラスを観察してたわけじゃないのよ。あの二人は根っからの悪人じゃないし、心の底では誰に非があるのかぐらい、わかってるはずだから) (……そうだね)  私は復讐を恐れていたのだが、それは単なる杞憂に終わった。  全く何もなかったのだ。  冬休み初日の夜。自分の部屋。 (ねえ、ホンダ君。わたし、今回のミッションはすごく上手くいった手応えがあるの)  それは私も同じだ。  <本田滉太・自殺防止計画>はこれまでで一番、上手くいってる感触がある。 (わたし思うの。自殺を防ぐ為に必要なのは、イヤなことを避けることではないって) (じゃあ何が必要なの?)  そう聞くとマナちゃんは私の正面に立ち、とても真剣な顔で言った。 (本当に必要なのはイヤなことを避けるのではなく、イヤなことを乗り越える力を身に付けることだよ。それを身に付けるのが本当に大切で、必要なことなんだと思うよ) (………) (そりゃ避けたり逃げたりしたほうがいい、イヤなこともあるでしょう。火事とか交通事故とか) (………) (でも、からかわれたり嘲笑されるというのは、それなりの可能性で日常生活にありうる事だと思う。一度避けても、また違う機会に遭遇するかもしれない) (………) (それなりの可能性で日常的にありうることなら、立ち向かったほうがいいと思う) (………) (コウタ君は、もしまた万一からかわれたり嘲笑されたとしても自分で反撃できると思うよ。今回、最後に振り絞ってくれた勇気があるなら、ね。反撃のスキルを磨く必要はあるけど、良い方向のスタートラインには立てたと思うよ) (………)  私はただ黙って、マナちゃんの言葉に聞き入っていた。  電車での話もそうだったが、マナちゃんの言葉は親、教師、偉人の名言───どんな人の言葉よりもストンと得心がいった。  なるほどね。  自殺を防ぐ為には嫌な出来事を避けるのではなく、嫌な出来事を乗り越える力を身に付けることが必要───か。  納得しすぎて同意するしかない。  <自殺防止計画>は、本来こうあるべきだったんだなって強く思った。  以前に私がやってたことは的外れだったのだ。  これはあれだね。  改題したほうがいいね。  <真・自殺防止計画>───と。 (マナちゃん) (なに?) (ありがとう) (どういたしまして)  心からの感謝を伝えると、マナちゃんはニッコリ微笑み返してくれた。 * * *  自分の部屋。  私達はいろいろ実験をしていた。  なんの実験かというと、マナちゃんが自分の体に戻る為の条件を探す実験だ。  ホラー映画を見終わった私はマナちゃんに言った。 (けっこうビビったんだけどねえ……私がビビるという条件でもないのかあ) (わたしのほうがビビったよ。けっこう怖いじゃん。ブレア・ウィッチ・プロジェクト)  元に戻るには、どうすればいいんだろうな。  もしかして案外コロンブスの卵だったりして? (ね、いっそのこと、私の体に直接重なってみてくれない?) (それはもう試したって言ったでしょう。最初会った時、病院で)  そういえばそうだった。  忘れてた。  突如、有力な仮説を閃く。 (そうだ! あの時コウタを助けてくれたみたいに、誰かを守りたいと思った時に元に戻るんじゃないかな?) (条件としては、それっぽいね)  マナちゃんも同意を示してくれた。 (でも守るって誰を?) (コウタがピンチになると戻ったりしないかな?) (わざとピンチを作るの? それはやめてあげて) (そこまでは言ってないけど……) (コウタ君に限らず、誰かのピンチを意図的に作るなんてやり方は嫌だなあ。そこまでして戻りたいとも思わないし……)  優しいね、マナちゃん。  元の体に戻れるか否かっていう状況なのに。 (マナちゃんが怒るという条件はどうだろう?) (怒る?) (うん。あの時もマナちゃんは怒ってたようだったし、これも有力そうじゃない?) (それで、わたしは何に怒ればいいの?) (………)  そう聞かれた私は言葉に詰まった。  あの時は取り巻きに怒っていたようだったが、考えてみたらマナちゃんの怒った姿を見たのはあれが初めてだった。  マナちゃんは基本、温厚な平和主義者なのだ。 (うーん……怒るとまではいかないまでも、毒舌を吐くのが条件だったり?) (ふふ、やな条件だね、それ。わたしはどんだけ性格悪いんだっていう)  マナちゃんは楽しそうに笑った。  いや、マナちゃん、笑ってる場合ちゃいまっせ。  今してる話は自分の体に戻れるかもしれないという、とても大事な話だぞ。 (試しに毒舌、吐いてみてくれない?) (ええーやだなあ。別に吐きたい相手もいないし、毒舌なんて出来れば吐きたくないもん) (そこをなんとか。試しに、この教科書に向かって)  私は教科書をマナちゃんの視界に掲げた。 (気が進まないけど……わかった。やってみるよ)  マナちゃんは教科書を指差して言った。 (えっと……やい、教科書! わかりにくいし重いし、いろんな意味でお荷物なのよ!) (………) (………)  ……………。  ……………。  ……場に変な空気が流れる。 (……全然ダメみたいだね。マナちゃんも気持ちこもってない感じだったし) (だって教科書に恨みなんかないもん!)  ごもっとも。  マナちゃんが元に戻る方法は、まだまだじっくり考える必要がありそうだな。 (ぷっ……くくっ)  さきほどの光景を思い出した私は、思わず笑いがこみあげてしまった。 (なに? どうしたの?) (いやさ、幽霊が教科書に毒舌吐くっていうのが、とんでもなくシュールな光景だったなって) (なによ! ホンダ君がやらせたんじゃない! もうっ!)  マナちゃんもつられて笑い出す。  最近、マナちゃんとの仲は以前よりずっと近くなった気がする。 * * *  暦は三月になっていた。  昼休み。お手洗いから帰る途中。  私は恵里香、有希、ノリちゃんといういつものメンバーと廊下を歩いていた。  歩いてる時、気になる二人を見つけた。  クラスメートの矢島君とコウタ。  矢島君もコウタも深刻そうな顔をしていた。  深刻そうな顔をしてる理由の察しはつく。  二人はバスケ部なので、おそらくバスケ部の先輩の横暴に心を痛めてると思われる。  ……そうか。  バスケ部にはこういう問題もあったんだったな。  忘れてたよ。 (マナちゃん、後で相談があるので聞いてくれる?) (もちろん! なんでも言ってよ)  その日の帰り道。  私はマナちゃんに、バスケ部での嫌な思い出を話した。 【本田滉太の過去の回想 高校一年 三月】 「おい本田、カレーパンとジュース買ってこい」  またか……。  俺はとても嫌な気分になった。  バスケ部は一年が練習準備をするのだが、この金田という先輩はいつも後輩にパシリをさせるのだ。  ジュースやらパンやらを買ってこいと命令する。  しかも後輩のお金で。 「ジュースはオレンジな」 「はい……」  『自分のカネで買って来いよ! このクソヤロー!』と言ってやりたいが、先輩に逆らえるわけもなく。  俺は仕方なく購買からカレーパンとオレンジジュースを買ってきた。 「買ってきました」 「おう。金は後でな」 「………」 「………」 「………」 「なに突っ立ってんだよ? さっさと練習の準備しろや」 「……はい……」  今日もカネ払わずか……。  はぁ……………。  バスケ部の練習が終わると、後片付けも一年の役割となる。  後片付けをしながら、俺は同じ一年である矢島に声をかけた。 「また今日もカネ払わずだよ、金田のヤロー」  先輩がいない時、一年生は金田のヤローを呼び捨てにしている。  あんな奴を先輩として敬いたくないというのは一年生全員の共通認識なのだ。 「今日は本田が犠牲者だったんだな」 「ああ、たまらんよな。どうせまた踏み倒すんだろうよ」 「たまに返してくれるけど、明らかに額が足りない所がまた腹立つんだよな」 「それな」  金田のヤローはたまに建て替えた飲食代を返すのだが、明らかにそれまで建て替えた額より少ない小銭を返してくるんだ。  本人はそれで完済した気分になってるらしく、また飲食代の建て替えを要求してくる。  この繰り返しというのが、かなり悪質なんだよな。  差し引きでいうと、後輩達が立て替えた飲食代のほうが圧倒的に多い。  被害額は一人頭、五千円ぐらい。  一年生は八人いて、被害総額は確実に五万円以上になる。  計算が合わないのは、既にバスケ部を辞めた一年生がいるからだ。  ホントは一年生は十二人いたのだけど、こういう後輩にタカるクソヤローに嫌気がさして四人は退部してしまったのだ。 「俺も辞めようかなー。こんな部。なんかアホらしくなってきたよ」  俺はもともと前田朋子が目当てで入部したわけだからね。  その彼女にも冷たく振られ、百パーセント脈無しという事もわかってるので、この部に残り続ける意味がわからなくなってきてる。 「そんなこと言うなよ。せっかくきつい練習に耐えてきたのに。勿体ないよ」  矢島はバスケが下手なのに、スラムダンクが愛読書というバスケ大好き人間だ。  俺もスラムダンク好きなので気が合ったんだ。  引き留めようとする気持ちもわかる。  でもなあ……。 「あのクソな先輩がいなければ続けてもいいんだけどさ、このままタカられ続けるのは正直きつい」 「気持ちはわかるけど……」  矢島もタカられてるのに、我慢できるのはバスケが好きだからなのだろう。  だが俺は、矢島と違ってそれほどバスケに執着はない。  前田朋子とも顔合わせ辛いし、辞め時かもしれない……。  こうして俺は後日、バスケ部に退部届を出した。  もう我慢できなかったのだ。  そのまた後日。  晴れて帰宅部になり、帰ろうとしていた時。  廊下で、これから部活に向かうであろう矢島とバッタリ顔を合わせた。  矢島は何か言いたそうな顔をしていたが、俺は無言で彼の横を通り抜けた。 「本田!」  すれ違いざま、矢島は俺を呼び止めた。  だが俺は冷たく言い放った。 「なんだよ。バスケ部ならもうやめたぞ。部に関してなら、もう俺に関わらないでくれ」 「!?」  よほど冷たい言い方に聞こえたのか、俺がそう言い放つと矢島はとても悲しそうな顔をした。  八つ当たりだったのもかもしれない。  バスケ部で鬱積していたストレスを矢島にぶつけてしまったのもかもしれない。  矢島が悪いわけではないのにね。  でも、俺のストレスも部を辞めただけでは収まりきれない程のものがあったんだ。  矢島はバスケ部の仲間であり、仲の良いクラスメートだった。  友人といえるような仲だった。  でも、これを機にどことなく疎遠になってしまったのだ。  二年生になって看板係で一緒になるのだが、よそよそしい感じだったし。  友達を失ったといっても過言ではない出来事だった。 【回想終了】 (だいたい、こんな感じだよ) (なるほど……そんな事があったのね……)  いやー。  いろいろと後味の悪い出来事だったよ。  かなりのストレスだったし、辛い出来事だったのは間違いない。  先輩にタカられたのもそうだし、矢島君に冷たい一言を放って友達を失ったというのもね。  矢島君の悲しそうな顔は今でも忘れられない。  悪いことしたなあ……と。 (どうしよう、これ。なんとかしたほうがいいのかな?)  マナちゃんを窺うように見ると、彼女はきっぱり言った。 (そりゃもちろん、なんとかすべきだと思うよ) (私は何も思いつかなかったけど、マナちゃんは何か思いつく? 解決方法) (うーん。ちょっと待って。バスケ部を調べたいし、考える時間ほしい) (わかった。待ってる)  三日後の夜。  マナちゃんが言った。 (お待たせ。思いついたよ、作戦)  さすがマナちゃん。  三日で思いつくとはね。 (どんな作戦?) (それはね───)  と、マナちゃんは作戦の全容を私に話した。 (なるほど! それなら上手くいきそうだね!)  作戦を伝え聞いた私は興奮気味に言った。  私も藤谷茉奈の体になって賢くなったつもりでいたが、マナちゃんに比べたら全然だ。  彼女はいつも私の上をいく。 (素晴らしい作戦だと思うよ、マナちゃん)  昼休み。  ウチの学校の屋上は閉鎖されていて、扉の前はひと気のない空間になってる。  私はそこに、コウタと矢島君を呼び出した。  秘密の相談にはうってつけの場所なのだ。  作戦に必要な部分だけを話し、二人に意向をたずねる。 「───というわけで、どう? やってみない?」 「そりゃ僕だって、このままでいいとは思ってないけど……先輩に立てつくのはちょっと怖いな……」 「………」  矢島君は自信なさげに言った。  同じ気持ちなのか、コウタも黙りこくっている。  うーん。  形だけとはいえ、作戦上、先輩に立てつくのは必要なことなんだよなあ。 「ごめん、僕はちょっと無理かも……」  矢島君は申し訳なさそうに言った。 (どうしよう?)  マナちゃんに聞いてみる。 (んー。気が進まないようなら、無理強いするのは良くないと思う……)  立ち向かう勇気を振り絞ってほしいのだが、無理強いさせるのも良くないんだよなあ。  せっかくの作戦もボツなのかな。  ───と思っていたら─── 「……やるよ、俺」  コウタの口から予想外の言葉が出てきた。 「俺も先輩は怖いよ。怖いけど藤谷がついててくれるなら、頑張れそうな気がする」 (!?)  おい、やめろ。  頼むからマナちゃんの前で、そういうのはやめてくれ。  半分、告ってるみたいなもんじゃないか。  マナちゃんはマナちゃんで、手で口をおさえて顔が赤くなっていた。  こういう反応をされると、こっちまで恥ずかしくなってしまう。  でもまぁ作戦に関して、コウタが乗り気になってくれたのはありがたい。  コウタだけでも協力してくれるなら作戦は可能なのだ。 (こうなったけどマナちゃん、作戦開始ということでいいかな?) (あ、うん、いいと思う……)  マナちゃんはまだ頬を染めていた。 * * *  後日。  私はバスケ部の一年生が練習準備してるのを陰からこっそり見ていた。  十数分後、気だるそうに金田がやってくる。 「おい、本田。ジュース買ってこい。アップルな」  この先輩、久しぶりに見たな。  悪い意味で懐かしい。  横柄な態度は全く変わってないようだ。 「あの、先輩……その前に、今まで立て替えた分を返してほしいんですけど……」  勇気を振り絞ってという感じで、コウタは恐る恐る言った。 「ああ? 返しただろうがよ。この間」 「いえ、全然足りないです。詳しくはこうなんですけど……」  と、コウタは用意していた紙を取り出し、金田に渡した。  その紙を見た金田は苦虫を噛み潰したような顔をした。  紙の内容は何月何日、誰に何円立て替えさせたか、金田がいくら返したかという詳細な記録表。  それも一年生の全員分。  それは合計して五万を超える額になっていた。  その金額を見たからなのかな?  金田の顔が引きつるのが遠目にもわかった。  そしてすぐに怒りの表情へ変わる。 「おい。なめてんのかテメー?」 「なめてないです。返してほしいというのは一年生全員の総意です」 「五万超えてんじゃねーか! こんなにするわけねーだろ!」 「あの、だったらこの紙の、どこがどう間違ってるのか指摘してください」 「本田ァ! 調子こいてんじゃねーぞコラ! こんなもん全部デタラメに決まってんだろ!」  コウタを怒鳴った金田は、紙をビリビリに引き裂いた。 「ナメたマネしてっと、シメんぞコラァ!」  顔を近付けて、コウタにすごむ金田。  こういう系の人って、必ず顔を近付けてすごむんだよね。  負けるな、コウタ。 「間違ってるなら具体的に言ってください」 「だァら! 全部間違ってるっつってんだろ! ザケてんのかテメーは!」 「全部間違ってるわけないじゃないですか。最近のも載ってるのに……」 「うるっせんだよ! ナメたマネしやがって! 後で返すっつってんだろ!」  キレ気味の金田は今にも暴力を振るい出しそうな感じだった。 「前もそう言ったけど、返してくれてないじゃないですか……」 「チッ! このクソガキが! これ以上ナメたクチ聞くとブッ殺すぞ!!」  DQN系の人間は理屈で言い返せなくなると、こうやってキレるんだよね。  場は今にも暴力沙汰が始まりそうな雰囲気に包まれていた。 「………」  すごまれたコウタは肩を落とし、引き下がった。  翌日の昼休み。  ひと気のない屋上手前の場所で、私とコウタは昨日のことを話し合っていた。 「言われた通りやってみたけど、あれで良かったのかな? 殴られそうで怖かったんだけど……」  自信なさそうな感じでコウタが言った。  コウタは作戦の全容を知らない。  というか、わざと全容を教えてないのだ。 (バッチリだったよ。お疲れ様) 「あんな感じでOKだよ」  マナちゃんが笑顔でそう言ったので、私も笑顔で言った。 「ホントに殴られるかと思った……」 「それがあの先輩の狙いなんだよ。恐怖を与えて黙らせたり、他人を意のままに操ろうっていうのが」  マナちゃんが調べた所によると、金田は脅しはするが、簡単に暴力を振るうタイプじゃないらしい。  まぁ殴られたほうが大会出場停止の制裁があるので、バスケ部が浄化される可能性は高まるんだけどね。  それは言わないでおこう。  誰だって、殴られるのは嫌だろうし。 (ねえ、コウタ君が嫌なら、無理強いはしないであげて) (わかってる) 「でも、本田君が嫌なら無理強いはしないよ? どうする? 作戦続ける?」  私はコウタの反応を窺うように見た。 「……いや、よくわからないけど、藤谷を信じるよ」  コウタは爽やかに言った。  だから、そういうのは告るみたいな言動はやめなさいってば。 (昨日の様子を見るに、九割以上は大丈夫だよ)  おい、マナちゃん。  平静を装ってるが、また頬が赤くなってるぞ。 「昨日の様子見るに九割以上は大丈夫と見てるので、私を信じてやってみて」 「うん。その自信ありげな藤谷の笑顔を信じてみるよ」  この日の放課後。  コウタはバスケ部顧問で体育教師でもある、村岡を廊下で待ち伏せていた。  練習準備はサボることになるけど事前に、他の一年生に話は通してある。  他の一年生も作戦の全容は知らないけど協力者ではあるのだ。  だから金田の飲食代の立て替え表にも協力してくれたわけだし。 (来たね)  ほどなくして、バスケ部顧問の村岡がやってくる。  バスケ部が練習してる体育館に向かう為、村岡がこの廊下を通るというのもリサーチ済。  コウタは村岡を呼び止めた。 「先生、話があるんですけど」 「おい、練習の準備はどうした? 一年は練習準備だろ?」 「すいません。ちょっと聞いてもらいたい話があって」 「なんだよ話って」  一年生が練習準備をしてない事が不満なのか、村岡は不機嫌そうに言った。 「この紙を見てください」  コウタは金田にも見せた、飲食代の立て替え記録表を村岡に渡した。  金田に昨日破られたが、それも見越して同じものを何枚もコピーしておいたのだ。 「なんだこりゃ?」 「金田先輩の飲食代を一年生が立て替えたやつの記録です」 「………」  村岡は固まった。  まさかこんなモノを見せられるとは思ってなかったのだろう。 「で、これがなんだってんだ?」 「これと同じ紙を金田先輩にも見せたんですけど、全然聞く耳持ってくれなくて、お金返してくれないんです。それどころか『ブッ殺すぞ』と怒鳴られました」 「………」 「だから先生になんとかしてほしいんです。お金も返してほしいし、ブッ殺すとか言って脅すのもやめてほしいと」 「………」  村岡は思いっきり渋い顔をしていた。 (面倒なことを持ち込みやがって!───とでも言いたげな顔だね) (うん、わたしにもそんな風に見える) 「わかった。金田には俺から言っておこう。お前は練習準備に戻れ」 「わかりました。よろしくお願いします」  また翌日。  私達は例の場所で打合せをしていた。 「これでお金戻ってくるのかなあ?」  コウタが不安そうに言う。 (今はコウタ君を励ましてあげて)  マナちゃんが私に言う。 「あそこまで言ったんだから、戻ってくると思うよ」 「そうかなあ……」  励ますように言ったが、コウタはそれでも不安そうだった。 「こう言っちゃなんだけどさ、あの先輩って次期バスケ部のエースなんだよね。キャプテンだし」  それは知ってる。  あいつは性格最悪だけど、バスケは抜群に上手いのよね。  だから天狗になってるっていうのもあるんだろうけど。 「村岡もあの先輩には甘いみたいだし、村岡があの先輩に強く言えるのかっていうのが不安でさ……」  この不安も理解できる。  顧問としたらエースに小言なんか言いたくないだろうからね。 「大丈夫。お金は戻ってくるって」 「いつ戻ってくるの?」 (お金が戻るのはいつなの? マナちゃん)  私も作戦の大まかな内容は把握してるけど細部までは知らない。 (早ければ今日、遅くとも二週間以内には戻るよ) 「早ければ今日だし、遅くとも二週間以内には戻ると思う」 「二週間の根拠は?」 (根拠は?) (それはまだコウタ君には言わなくていいよ。コウタ君は作戦知らないほうが上手くいきやすいのだから) (わかった。言わない方向でいくよ) 「根拠はまだ言えないけど、私を信じて待ってて」 「………」 「不安なのはわかるけど、二週間だけ我慢してほしい。その後は良くなるはずだから」  私は根拠もなく虚勢を張ってるわけではない。  マナちゃんの作戦なら、必ずお金が戻ってくるという自信があるのだ。 「はは、なんか不思議だな。藤谷って」  緊張した面持ちだったコウタはいきなり笑いをこぼした。 「俺は不安でいっぱいだけど藤谷に笑顔で言われると、なんとかなりそうな気がしてくるよ」  更に一週間後。  私達は例のごとく例の場所で作戦会議をしていた。 「どう? お金は返ってきた?」 「いや……まだ……」  そう聞くと、コウタは力無さそうにふるふると首を振った。 「先輩に怒鳴られたりすることはなくなったけど、お金が返ってくる気配もないよ。あれから先輩、一年生と口利かなくなったし……」 (へー、そうきたか。お金が返ってくればいいと思ったけど、ちょっと甘かったね) (でもこれも、マナちゃんの想定内だね) (うん。そう来たなら次の段階に移ろう。コウタ君にも伝えて) 「じゃ、そろそろ次の行動起こそうか」  私はコウタに次の作戦を伝えた。  コウタに言ってほしい事と、村岡が言ってきそうな言い訳に対する対策などを。  その日の放課後。  コウタはまた、バスケ部顧問の村岡を廊下で待ち伏せしていた。 「先生」  コウタが村岡を呼び止めると、村岡は心底イヤそうな顔をした。 (ここまでイヤそうな顔されると、ちょっと笑えてきちゃうね) (うん)  私とマナちゃんは心の中で笑いあった。 「金田先輩にお金の件、言ってくれましたでしょうか? 一週間経ちましたが、まだ戻ってきてないんですけど……」 「あれな。言っといたぞ。だが五万円は高額だ。一週間やそこらで用意できる額じゃないだろ? ちょっとずつ返済するってことでいいんじゃないか?」  これは事前に想定した言い訳なので、コウタはすぐに反論した。 「いえ、待てません。先輩にもいつか返すと言われて伸ばし伸ばしにされたんです」 「………」  いいぞ。  もっと言ってやれ。 「それにちょっとずつ返す気があるなら、一週間も経つのに一円も返ってきてないのは変です。先輩にお金を返す気があるとは思えません。あの先輩の言葉は信じられません」 「………」  ここまで反論されるとは思わなかったんだろう。  村岡は少したじろいだ様子だった。  だがすぐに体勢を立て直し、反撃してくる。 「本田、オマエは先輩を信じてないのか?」  この辺も想定内の言い訳だ。  いけ! コウタ!  打ち合わせ通り反撃してやれ! 「正直、僕たち一年生は全員、金田先輩を信じてません。先生は先輩を信じてるんですか?」 「当然だろう。教師が生徒を信じないでどうする?」  村岡は得意げな顔で反論してきたが、これも想定内。  さあいけコウタ。  カウンターを入れてやれ! 「だったら先生が立て替えてください。金田先輩は先生にお金を返すという形でお願いします」  村岡の顔がみるみるウチに怒気に歪んでいく。 「はあ? ふざけんなよ! なんで俺が立て替えなきゃならねーんだよ!」 「だって先生は金田先輩を信じてるんですよね?」 「………」  村岡は怒っていた顔を更に歪めた。 「金田先輩だって、先生にならお金を返しやすいと思うんですけど」 「だからって俺が立て替えるのはおかしいだろ! 調子こきやがって! 教師に向かってナメたこと言ってんじゃねーぞ!」  この村岡もDQNタイプなんだよね。  言い返せなくなるとキレるという。 (この手の人って、議論に負けそうになるとキレ芸を出してくるのがパターンだよね)  私がマナちゃんに言うと、彼女は爽やかに言った。 (ある意味、わかりやすくて助かるよ。反応を読みやすいから作戦も立てやすい) 「お金を返してほしいというのがナメた事なんでしょうか?」 「だからそれは金田に言えっつー話だろうが!!」 「金田先輩じゃラチがあかないから先生に相談してるんじゃないですか」 「だから、なんで俺がカネを立て替える話になってんだよ! ふざけんな!」 「だって先生が先輩を信じてるとか言うから……」 「それとこれとは別問題だろ! バカが! いい加減にしろ! 教師にナメた口利いてると許さんぞ!」 「………」 「もういいから、さっさと練習に戻れ! こんなくだらない事ばっかり気にしてるから上達しねーんだ!」  怒った村岡は一方的に話を打ち切って、コウタを置き去りにして歩き始めた。  キレて、うやむやにしてごまかす気だな。  さあコウタ、最後の追撃をしてやれ! 「逃げないでください。先生はこの問題をどうにかしてくれる気はないんですか?」 「しつこいぞ!」  最後に怒りを爆発させた村岡は大声で怒鳴り、コウタをビンタした。 「練習に戻れ!」  翌日。  またまた作戦会議。 「村岡に殴られるとは思わなかった……」 「ゴメンね。でも完璧だったよ。お疲れ様」  昨日の出来は最高だったな。  ほぼ筋書き通りに進んでるといってもいい。  昨日は村岡を追いつめることが目的だったのだ。 (殴られた場所は大丈夫か、聞いて) 「殴られた箇所は平気?」 「うん、まあ、一応平手だったし……」  コウタが頬をさすりながら言う。 「でもわかんないな。ここからホントに解決に向かえるのかな……」  コウタの表情には、不安という二文字がくっきりと浮かんでいた。 「昨日って、先生を怒らせただけのような気がするんだけど」 「ある意味それが目的だったからね。昨日のは上出来だったよ」 「怒らせることが目的?」 「うん」 「藤谷の言うことはよくわからないな……」 「まあまあ。問題はコレが解決してくれるよ。後は仕掛けを御覧じろってやつ」  コレというのはDVDの円盤のこと。  私は彼にDVDの円盤を見せながらニッコリと笑った。  後日。  事態は急展開をむかえる。  事態は見事、マナちゃんの筋書き通りの方向へ向かっていったのだ。  これは校長室に忍び込んだマナちゃんから伝え聞いた、当時の状況。 【マナちゃんが見た校長室の状況】  校長に呼び出された村岡が校長室に入ってくる。  そこには校長と教頭の二人がいたんだそうだ。 「お呼びでしょうか?」 「うむ、村岡君。バスケ部について聞きたいことがあるのだが、いいかね?」 「バスケ部の……なんでしょうか?」 「バスケ部では、先輩が後輩を脅して飲食代を支払わせてるというのは本当かね?」 「どこでそんな噂を……」  村岡は校長に事実関係を聞かれて動揺した様子だった。 「これを見たまえ。先日送られてきたDVDの映像だ」  モニターには金田がコウタを脅して、飲食代を踏み倒そうとする一部始終の映像が流された。  見終わった後、校長は事実関係を村岡に問いただした。 「先輩が後輩を『ブッ殺すぞ』と脅していたが、村岡君はこれを知っていたのかね?」 「……いえ、先輩が厳しいのはそれとなく知ってましたが、『ブッ殺す』とまで言ってたのは知りませんでした」  性根が腐った村岡は知らないフリをしたんだとか。  なるべく自分が責任をとらなくて済むように。 「DVDはもう一枚あるのだが、こっちも見たまえ」  教頭が違うDVDをセットする。  次に流される映像は、村岡がコウタを怒鳴ってる場面だった。  バスケ部の一年生が先輩の横暴を訴えてるのに、それを無碍にして最後には逆ギレして一年生に暴力を振るう一部始終の映像。 「!?」  村岡はこの映像を見た時、かなり衝撃を受けていたんだとか。  しまった!  いつの間に撮られていたんだ?! っていう表情だったらしい。 「誰がこんなものを……?」 「誰が、とかは問題ではないのだよ。問題はこれを送り付けた者からの要求だ」 「………」 「映像にはメモが付いていた。『後輩を恐喝する横暴な先輩とそれを放置する顧問はバスケ部の闇であり、このバスケ部に巣食う闇がどうにかされないならば、この証拠映像の全てを警察や文科省やマスコミに送りつけます』……とね」 「!?」 「これがどういうことか、わかるかね?」 「………」  村岡は沈黙した。 「マスコミはこの生々しい映像に喜んで飛びつくだろうね。そしてマスコミが取り上げようものなら、学校の責任は厳しく追及されるだろう。警察沙汰になる可能性もある」 「………」 「問題のある生徒を放置し、それどころか被害者側の生徒を殴る教師を庇うことは出来ない。何か弁明はあるかね?」 「………」  村岡はずっと無言で、弁明は何もなかったらしい。 「学校を支援してくれる父兄やOBにも顔向けが出来ないし、キミだけじゃなく私や教頭も謝罪会見を余儀なくされるだろうね」 「………」 「放置した責任問題となれば、他の先生方のキャリアにも傷がつきかねない」 「………」  自分の醜態を見せつけられた村岡は最後まで、何も言い訳できなかったんだとか。 「後輩を恐喝していた当該生徒は停学処分と、バスケ部からの除名」 「………」 「そして村岡君、キミには辞表を書いてもらうよ」 【マナちゃんが見た校長室の状況 終了】  かなり芝居じみた感じだけど、大体こんな風なやり取りがあったんだそうだ。  事実、金田は停学のうえバスケ部を辞めさせられたし、村岡は学校からいなくなった。  これ、そこそこ重い処分だよね。  村岡が辞表を書かされたのはマナちゃんも予想外のことだったらしい。  まあ懲戒免職じゃないだけ、ありがたく思えって話だが。  作戦会議に使ってた例の場所。  私達は今回のことを振り返っていた。 「ここまでオオゴトになるとは思わなかったなあ……」  コウタが感慨深そうに言う。 「後悔してる?」 「ううん、してないよ。ここまでオオゴトにならないとお金は戻ってこなかったと思うし」  そうそう。  一年生が立て替えていた飲食代は、学校が肩代わりしてくれたんだ。  既に退部した者も含めてバスケ部の一年生が全員、校長室に呼ばれてね。  校長や教頭に謝罪されて、お金を返金されたんだとか。  ポケットマネーなのか学校の運営資金なのか知らないけど、まあとにかくお金が戻ってきたようで何よりだ。 「藤谷、ありがとう。よくこんな作戦思いついたね」 (褒められてるよ、マナちゃん) (いえいえ。上手くいって良かった)  作戦を考えただけじゃなく、マナちゃんはDVDの編集もほとんどやってくれた。  撮影は私がしたが、編集はマナちゃんが私の部屋にあるパソコンでやってくれたのだ。 「でも、俺に作戦を教えてくれなかったのはどうして?」 「事前に録音や撮影してるとわかったら、言動が芝居じみてしまう可能性あるでしょ? それを避けたかったの」  これはマナちゃんとも相談の上でそうしたのだ。  映研では自主製作映画も作ってるし、私は演技の経験もあるのでその辺は気をつけたかった部分だ。  演技というのは、想像以上に素人には難しいものなのだ。  結果的に、すごくリアリティのある映像になったと思う。  ちなみに撮影用のカメラは、使ってなかった高性能のやつを私が映研から借りたのだ。  映研に入ったのが、こんな形で役に立つとは思わなかった。  おかげで綺麗な音と映像のDVDが作れたと思う。  内容は綺麗とは真逆のモノだったけど。 「校長に映像を送り付けた時は、どんな文面を添えたの?」  コウタが聞いてきたので答える。 「バスケ部の問題を解決しないなら、映像をマスコミや文科省や警察に送って解決を図ります……っていう感じ」 「警察や文科省はわかるけど、マスコミ?」 「うん。オオゴトにしたほうがいいってやつだよ」 「そっか。一歩間違えれば、大騒ぎになる所だったんだね……」  コウタがしみじみ言うと、マナちゃんが否定した。 (いや、マスコミ沙汰にはならないと踏んでたよ) (どうして?) (だって、学校ってマスコミに弱いもん) (そうなの?) (うん。学校というのはマスコミ沙汰を極端に嫌うのよ。良くも悪くもコトなかれ主義だからね。ブランドや評判といったものをすごく気にする所だし)  今更だけど、マナちゃんってホントに中学生か!?  幽霊の時間を含めてもまだ高校生なのに、恐ろしく大人びてるよなあ。  ……ああ、でも、漫画も読むけど暇さえあれば活字の本を読んでるような人だからな。  そういうもんなのかな。 (マスコミ沙汰になったらなったで、別に構わなかったんだけどね。全国にあの先輩と顧問の悪行が知れ渡るし)  なかなか怖いこと言う。  マナちゃんは敵に回したくない人だな。 (でも学校内の問題として片付けてもらえて良かったよ) (そうだね。それは私も同意)  マナちゃんは上手く解決できなかった時の為に最終手段も用意していたのだ。  それは一年生の被害者全員の連名で被害者の会を作り、告訴や告発や被害届などを使って警察沙汰にするという、まさに最終手段だ。  それを使わずに済んで、私もホッとしてる。 「今回の件で一番効いたのは、やっぱり映像と音声の証拠を残したことだと思う」  私がそう言うと、コウタもマナちゃんもウンウンと頷いた。  まぁこれもマナちゃんの受け売りなんだけどね。  マナちゃん曰く、反社会的な悪党が世間に一定数のさばってるのは証拠がないから───が、大きな理由の一つなんだそうだ。  逆にいえば証拠さえあれば、金田みたいな小悪党も退治することが可能だと。 「これで問題解決。辞めていった一年生も戻ってくれるかもね」 「そうだね。イヤな先輩も顧問もいなくなったし、これでなんの憂いもなくバスケを楽しめそうだよ」  コウタは晴れ晴れしい笑顔で言った。  そういや、今回の件と関係あるかは知らないけど前田朋子もバスケ部のマネージャー辞めたらしいのだ。  憂いがないってのは本音なんだろうな。  コウタの表情に以前に見た暗さは微塵もないし。  これなら矢島君とも、よそよそしくならないだろうし良いこと尽くめだと思う。 「藤谷、本当にありがとう!」 (いえいえ。解決はコウタ君の協力があってこそだよ。嫌な役を引き受けてくれてありがとう。お疲れ様)  え、それを私も言うの?  ちょっと恥ずいぞ。 (それ、私も言わなきゃダメ?) (出来れば伝えてあげて。笑顔で。わたしの心からの気持ちだから)  本人にそう言われたのでは、笑顔で言うしかない。 「解決は本田君の協力があってこそだよ。嫌な役を引き受けてくれてありがとう。お疲れ様」  コウタも満面の笑顔を返した。  恥ずかしかったが、まぁいいか。  バスケ部のことは嫌な思い出だったけど悪くない思い出に変わった。  たぶん、自殺はまた遠のいたと思う。  だって嫌な思い出の積み重ねが自殺の原因なのだから。  コウタの笑顔を見ながら、私もわりと幸せな気分に浸っていた。 * * *  今回はマナちゃんに主導権を渡してるので、彼女の本当の実力をたくさん目の当たりにしてる。  その一方で、私の能力は少し落ちてきてると感じる。  前田朋子の取り巻き二人にビビってしまったのが、その顕著な例だ。  本来のマナちゃんなら立ち向かう勇気があるはずなのに、私にはそれがなかった。  頭の良さも、マナちゃんのほうがずっと上だと感じる。  やっぱこの体は、本来の持ち主であるマナちゃんへ返すべきだよなあ。  コウタの件を別にしても、マナちゃんに生きててほしいって、心から思うよ。  次は看板破壊事件か。  こうなってくると、彼女がどんな風に対処するのかが楽しみになってきた。  当事者は私なのだが、なんか観客の気分になってきてるよ。  登校前の朝。駅のホーム。 (次の看板破壊事件も、マナちゃんがどうやって解決するのか楽しみだな) (………)  話を振ってみたのだが、彼女からの返答はなかった。 (……マナちゃん、どうかした?) (………)  マナちゃんはどことなく顔色が悪そうだった。  幽霊の顔色が悪いというのも変な話だが、そんな風に感じられたのだ。 (ん……ゴメン。大丈夫。なんか最近少し疲れやすくて。本の読みすぎが原因かもしれない) (マナちゃん、読書家だもんね)  マナちゃんは漫画も読むけど難しそうな活字の本を読んでることが多いのよね。  夜中、私が寝てる間もスタンドの明かりを点けて本を読んでるみたいだし。  そりゃ疲れもするでしょ。 (でも、幽霊も疲れることってあるんだね) (ふふ、そうだね。わたしもびっくりだよ) * * *  二年生になった。  体育祭を三日後に控えた、初夏の六月。  明日は例の看板破壊事件の日だ。 (じゃあ明日は、看板破壊は止めないという方向でいいのね?)  女子更衣室。  チアガール衣装に着替えながら、私はマナちゃんに作戦を再確認した。 (いいよ。コウタ君に声をかけるのは、看板が破壊された後ね) (わかった)  作戦というのは至って単純。  看板が破壊された後、私とコウタで二日かけて看板修復をするというシンプルなものだ。  看板は破壊されると一日で修復できような感じになるのだが、二日かけてやるなら、そこそこ修復できるかもしれない。  二日かけても完全修復は無理だと言ったが、マナちゃんはそれでもやるだけやってみようと言ったのだ。 (明日、看板破壊を止めないなら、お爺ちゃん先生を手伝う時間はあるよね?) (??)  なんのこと?  という目をマナちゃんに向ける。 (ほら、お爺ちゃん先生のプリント運びの手伝い)  ああ、あれか。  よく覚えてるな、そんなこと。 (マナちゃんは手伝いたいの?) (出来れば。大変そうだったし……) (わかった。手伝っておくよ) (ありがと)  そしていよいよ、運命の日。  今日は忙しくなりそうだ。  チアの練習後、私はすぐにパソコン準備室の近くにいるであろう、お爺ちゃん先生を探した。  お爺ちゃん先生はパソコンルームで、モニターに向かって何か作業をしていた。  近くの机には山のようなプリントの束がある。 「先生」 「おお、藤谷、どうした?」 「体育祭の練習が終わって、いま帰るトコです。先生は帰らないんですか?」 「まだやることあるからな。藤谷は気を付けて帰れよ」 「はい……」 「………」  ……………。  ……………。  ……………。  ……じゃなくて!  おい!  プリント運びはどうした!? (お爺ちゃん、ボケちゃったのかしら?)  どうしよう、という目をマナちゃんに向けてみる。 (こっちから触れてみたら? そのプリントの山に) (どうやって?) (こうやって)  そう言うとマナちゃんは先生に気付かれないよう、プリントの一枚を床に落とした。  なるほど。  ナイスアシストだよ、マナちゃん。 「落ちてましたよ、先生」  私はマナちゃんが落としたプリントを拾って先生に差し出した。 「おお、すまないな」  お爺ちゃん先生がプリントを受け取る。 「……そうだ、藤谷。すまんがついでに、プリント運ぶの手伝ってくれんか。職員室までだから通り道だろ?」 「はい。いいですよ。運んでる途中、風圧でプリントが落ちないように、簡単に縛りますね」  チアで使うポンポンの材料であるビニール紐を鞄から取り出し、プリントの束を軽く縛る。  先生は感心したような表情をしていた。 「用意がいいな、藤谷」 「体育祭の準備で使ったんです」  もちろんこれは、事前に用意していたものだ。  まぁ体育祭の準備に使ったというのも嘘ではないが。  職員室までプリントを運び終える。 「藤谷、ありがとうな。助かったよ。お駄賃として飴をあげるな。えーと、どこだったかな……」 (予定より早く片付いたね。コウタ君はまだ、グラウンドに来てないよ)  そういう事なら、飴ちゃんをもらっておこうか。  せっかくの好意だし。  飴ちゃんをもらってから玄関に来ても余裕があった。  しばらくしてから、コウタが来るのが見えたから。  おっと。  今回は見つかってはいけないんだな。  とっさに身を隠し、コウタが傘置き場から傘を取り、グラウンドに向かうのを見送る。  私とマナちゃんは遠くから、コウタの様子を見守った。  コウタが看板に躓き、両膝から崩れ落ちる。  うん、見事なニードロップだ。 (行こう) (うん)  マナちゃんに言われ、私達はコウタの元へ向かった。 「本田君」 「藤谷……」  コウタは青ざめた顔をしていた。 「看板、どうなった?」 「………」  コウタの返事を待たず、ブルーシートを捲ってみる。 (うわあ……派手にやっちゃったね……)  マナちゃんは無残な姿になった看板を前に目を細めた。 (二日で修復できると思う?) (どうだろう……やってみないとなんとも……)  自信なさげにマナちゃんは難しい顔をした。 「……わざとじゃないんだ……看板に躓いて……」 「わかってる。わざと壊す人なんていないよ」 「どうしよう……俺……体育祭は明後日なのに……」  不安たっぷりのコウタは明らかに動揺していた。  頼りない男だなーと思う。 「どうするもこうするも、直せるだけ直すしかないでしょ。とりあえず看板を体育館に運ぼう。雨の中じゃ作業できない」 「………」 「傘はここに置いとこう」 「………」 「そっち持ってくれる?」 (わたしも手伝うよ)  マナちゃんを加えた三人で看板を持ち上げ、体育館へ運ぶ。  傘を取りに行き、再び体育館へ戻って来る。  雨のせいで髪や制服が濡れてしまって、少し気持ち悪い。  私はハンカチで髪や制服を軽く拭いた。 「使って」  どうせハンカチ持ってないだろうコウタにも予備のハンカチを渡す。  改めて看板を見てみると、ダメージの大きさがよくわかる。  看板は全体に大きな亀裂が入っていたのだ。 (土台の外枠だけ残して、他は取り換えたほうがいいみたいだね)  看板を見ていたマナちゃんが言う。 (私も同じ意見だよ。外枠以外はやり直したほうが良さそう) (まずは材料調達だね。アテはある?) (他のクラスに余った材料あるかもだけど、アテには出来ないな) (じゃあ買いに行こうか。近くにホームセンターあったよね?) (うん)  話がまとまった所で、コウタにも伝える。 「外枠以外はやり直すって事でいいかな?」 「うん……」 「まずは材料の買い出しだね」  ホームセンターは学校の近くにあるので助かる。 「雨合羽も買っていこうか。手が塞がると傘は使えないし。傘はこのホームセンターに置いといて、後で取りにこよう」 「……あ、でも雨合羽はどうだろう……」 「?」 「手持ちのお金で足りるかなって……」  この甲斐性なしめ。 「いいよ。足りない分は私が出すから」  そもそも雨合羽なしで、この雨のなか荷物運べるわけないでしょ。  もっと考えなさいよ。 (ホンダ君、顔がブサイクになってるよ。コウタ君を怖い顔で睨まないであげて) (……私、そんな怖い顔してた?) (してた。口調もイライラしてたし。いったん落ち着こう。はい、深呼吸)  すーはー、すーはー。  深呼吸したら、ちょっと落ち着いた。  そうだな。  笑顔が可愛いのが藤谷茉奈の長所だ。  怖い顔は似合わない。 「……ゴメン、藤谷……こんな事に付き合わせてしまって。迷惑かけて申し訳ない……」  コウタが申し訳なさそうに謝る。 「そう思うなら修復作業、頑張ろう。期待してるね」 「藤谷、なんでこんな手伝ってくれるの? 看板係でもないのに?」 「無残な看板を見ちゃったのだから、普通ほっとけないでしょ。それに迷惑じゃないよ、別に。看板作り、ちょっとやってみたかったし」  四年ぶりだっけ?  あの時修復できなかった看板を、今度こそ修復したいという気持ちは少しある。  もっとも、この秘密の気持ちは説明するわけにもいかないけどさ。  学校に戻り、修復作業を始める。  まずは外枠以外の解体からだな。  体育館には私達以外にも、ダンスの練習をしてる子達や、看板作りをしてる人達がいた。  二人だけで作業してるのは私達だけなので、ちょっと恥ずいが、まぁしょうがない。  頑張ろう。 (ゴメンね。わたしも何か手伝えたらいいんだけど……)  申し訳なさそうな顔でマナちゃんが言う。  何をおっしゃいますやら。 (しょうがないよ。モノが勝手に動いたら心霊現象になっちゃうからね) (………) (まぁそこで見ててよ。今回は私とコウタの二人で頑張ってみるから)  時間はかかったが、ようやく外枠以外を解体することが出来た。  疲れた……。  次は新たな板や紙を張り直す作業だ。  体育館はいつの間にか、私達だけになっていた。  スマホを見ると、時刻はもうすぐ八時になろうかとしていた。 「おい、なにやってんだ! お前達!」  突然、怒鳴られた。  なんだなんだ?  声のしたほうを見ると、強面の先生が立っているのが見えた。  近付いてきて、もう一度怒鳴る。 「なにやってんだ! もうとっくに帰る時間だろ!」 「作業をしてたら気付かなくて……」 「体育館は八時までしか使えないんだ! もう閉めるから帰れ!」  体育館の使用時間ってリミットがあったのか。  知らなかった。  でも、まだ帰りたくないな。  もうちょっと作業していきたい。 「もうちょっと使わせて頂けないでしょうか? 作業が間に合いそうになくて……」  訴えるような目で先生にすがってみたが、全然ダメだった。 「ダメだ! 八時って決まってるんだ! 早く片付けろ!」  コイツ、体育館を閉める係で、早く閉めたいから怒鳴ってるんだろうな。  私はわりと先生受けがいいのだが、この石頭には藤谷茉奈の可愛さも通じないらしい。  石頭先生にビビってしまったのか、コウタが片付けを始める。 「すいません、すぐ片付けます……」  おい!  簡単に折れるなよ!  もっと粘ろうよ! (これは困ったね。ちょっとぐらい融通利かせてくれてもいいのに……) (マナちゃん、何かいいアイディアない?) (うーん。急には出てこないなあ……) 「お前もさっさと片付けろ!」  いちいち怒鳴らないでよ。  唾が飛んで汚い……。  でもマナちゃんにも良案がないなら、打つ手がない。  しぶしぶ、私は片付けを始めた。  その時だった。 「どうかしましたか?」  また誰かやってきた。  声のしたほうを見ると、そこにはお爺ちゃん先生がいた。 「ああ、吉井先生。下校時間を過ぎても残ってた生徒に、片付けをさせてる所です。いま体育館閉めますから」 「そうでしたか」  お爺ちゃん先生は、こちらに視線を向けた。 (体育館の使用時間について、八時までというのを知らなかったって言ってみて。申し訳なさそうに) (わかった) 「すいません。体育館の使用時間が八時までってこと、知りませんでした……」 「………」  お爺ちゃん先生は何かを考え始めた。 「藤谷はもっと作業したいのかい?」 「……したいです!」  石頭が驚いて言う。 「吉井先生!?」 「まあいいじゃないですか、少しぐらい。わたしが責任を持って体育館を閉めておきますから。この子達の監督もわたしが責任を持ちます」 「………」  吠えていた石頭が沈黙する。  あれ? このお爺ちゃん先生って、実はけっこう偉い先生なの? 「吉井先生がそう言うなら、まあ……」 「では鍵を貸してください。わたしが体育館を閉めておきますから」  石頭はしぶしぶ、鍵をお爺ちゃん先生に渡し、体育館から去って行った。 「さて、藤谷。もうちょっと使っていいけど、あまり極端に遅くならないようにな。十時にもう一度来るけど、それまでには帰りなさい」 「……はい、あの……ありがとうございました」  思わぬ時間をもらって、新たな板だけ張り直すことが出来た。  紙の張り直しもやれれば良かったが、時間になったのでしょうがない。  これは明日に回そう。  駅までの帰り道。  私はマナちゃんと喋っていた。 (最後の時間はラッキーだったね) (うん。マナちゃんのおかげだよ。ありがとう) (え? わたし何もしてないじゃん) (いや、マナちゃんがお爺ちゃん先生を手伝おうと言ってくれたから、こういうラッキーが訪れたんだと思うよ。良い意味でのバタフライ効果) (そうなのかなあ?) (きっとそうだよ)  別にマナちゃんを持ち上げてるわけではなく、本気でそう思うんだ。  マナちゃんの善意が、こういうラッキーに繋がったんじゃないかってね。  翌日の休み時間。 「マジか!?」  松谷君の大きな声がクラス中に響き渡る。  クラスの皆は松谷君に視線を向けた。 「まず見せてくれ。話はそれからだ」  松谷君がコウタに言うと、二人は教室を出て行った。  看板のことを言ったんだろうね。  正直に打ち明けるよう、私もアドバイスしたし。  次の休み時間。  正直に打ち明ければなんとかなると思っていたが、甘かった。  松谷君と伊藤君は不満タラタラだったのだ。  今日は体育祭に備えて、授業は午前で終わりとなる。  それが、夜まで居残りとなれば不満が出る気持ちもわからなくはないけど……。 「メンドクセーよなー。今日も居残りなんてよ」 「しかも夜までとかマジ、ダリィわ」  松谷君と伊藤君の愚痴は周囲に聞こえるような大きな声だった。  もしかしたら、わざと周囲に───というか、少し離れた所にいるコウタにわざと聞かせていたのかもしれない。 「ロクなことしねーよなー、誰かさんは」 「誰かさんと同じチームになったのが不運だったわ」  コウタは亀のように押し黙って耐えていた。  おい、コウタ、おい。  なんでダンマリなんだ?  何か言い返してやれよ。 (なんで言い返さないんだろ?) (あの時は取り巻きに非があったけど、今回はコウタ君に非があるわけだからね。責任を感じちゃってるんだと思う。それに反撃のスキルは、一朝一夕に身に付くものでもないと思う) (むぅ……)  責任か。  たしかに悪いのはコウタなのだが……。 「あーあ、誰か代わってくんねーかなー」 「無理だろ。誰かさんみたいなヘボがいるチームは」 「さっさとトレードしとけば良かったな。誰かさんを」 「契約金ゼロ円の無償トレードでもいいよな」 「いえてる。こっちが金払うとかな」 「ひでー」  コウタの悪口で盛り上がってる二人は楽しそうに笑った。  それを見たマナちゃんが怖い顔になる。 (たしかに責任はあるけど、これは言い過ぎだよ!) 「ねえ、私、代わってもいいよ」  !?  また口が勝手に喋りだした。 「茉奈!?」  側にいた恵里香は驚いた顔をした。  しかし松谷君と伊藤君は、それ以上に驚いた顔をしていた。  でもたぶん、一番驚いていたのは私だと思う。  マナちゃん!?  また元の体に戻ったのか!? 「え……マジで代わってくれんの?」 「うん、マジだよ」  こうして『マナちゃん』VS『松谷&伊藤』の戦いのゴングが鳴───もとい、言い合いが始まったんだ。 「でも藤谷ってチアガールだよな?」 「うん」 「そっちの練習あるんじゃないの?」 「練習のあと手伝うから平気だよ」 「そんな時間ないんじゃない?」 「夜まで頑張れば間に合うと思う」 「看板作りやったことないだろ?」 「本田君に教えてもらうから大丈夫だよ」 「仮に代わるとして、俺らのどっちと代わるの?」 「二人と代わるよ」 「一人で二人分は無理でしょ」 「そこは頑張るよ」 「いや無理だろ」 「あの───」  突然、恵里香が小さく手を挙げて、話に割って入ってくる。 「私も代わるよ。必要な衣装は昨日作り終えたし、今日はヒマだから」  彼女は衣装係。  チアガールのユニフォームも彼女が作ってくれたのだ。 「茉奈と私の二人で代わるなら問題ないよね?」 「………」 「………」  恵里香が念を押すと、松谷伊藤の男子二人は黙った。 「ありがとう恵里香」  マナちゃんが礼を言うと、恵里香はどういたしまして、と合図するような感じで微笑んだ。 「というわけで、二人は帰っても大丈夫だよ。後は私と茉奈で手伝っておくから」  更にマナちゃんが追撃する。 「ミスを責める気持ちはわからなくもないよ。でもだからってミスを過剰に責め立てたり、ミスに付けこんで悪口言いまくるのは違うと思うよ」 「………」 「………」  さすがマナちゃん。  良いこと言うなあ。 「本田君はどう思ってるの? 当事者なんだから、なんか言って」  マナちゃんがコウタに話をふる。  クラス中の視線がコウタに注がれた。 「……………俺の気持ちは、藤谷が言ってくれた通りだよ。ミスは悪かったと思ってる。でもだからって過剰に悪口言われる覚えはないよ」  またまた次の休み時間。  女子トイレ。  マナちゃんはまた幽霊の状態になってしまった。  どうやら体に戻るのは、一時的な現象らしい。  以前に仮説を立てた通り、誰かを守りたいと思った時に体に戻るのかもしれない。 「恵里香、さっきありがとね」  私はコウタの代理として恵里香に礼を言った。 「いいっていいって。放課後はどうせヒマだったから」 (マナちゃんも、ありがとう) (いいのよ。個人的にもわたし、ああいうの嫌いだから。ミスを大げさに責め立てるのって)  マナちゃんはまだちょっと怒ってるようだった。 (ミスを責めるにしても限度ってものはあるよね。あそこまでいくと単なる悪口にしか聞こえなかった)  これは全面的にマナちゃんに同意だ。  言葉をなぞらせてもらおう。 「ミスを責めるにしても限度はあるよね。あそこまでいくと悪口にしか聞こえなかったし」 「わかってる。気持ちは私も同じ───というか、あの場にいた多くの人は茉奈と同じ気持ちだったと思うよ」  一部、悪口にウケてた人もいたけどね。  私も笑いは好きだけど、誰かを不当に傷つけるような笑いは好きじゃないんだ。  これはマナちゃんも同じだと思う。  放課後の体育館。 「練習始める前に皆に聞きたいんだけど……」  チアダンスチームのリーダーである、ダンス部の工藤さんが言った。 「藤谷さんは振り付け完璧だから、もう練習する必要ないと思うんだ」  いきなり私を名指しで、なんの話を? 「彼女は別の仕事───例えば看板作りをやってもらったほうがいいと思うんだけど、皆はどう思う?」 「いいと思うよ」 「賛成」  チアダンスチームの皆が口々に賛同の意を示す。 「賛成多数で反対ゼロと。じゃあ藤谷さん、ウチらに構わず他のことやっていいよ。看板作りとか」 「最後の練習なのに……いいの?」 「いいよ。ダンスチームの総意なんだから行きなって。ウチらはウチらで練習しとくからさ」  たぶん皆、私に気を遣ってくれたんだろうね。  昼のやりとりは多くの人が目撃してたんで。 「みんな、ありがとう……」 (イキな計らいするね。工藤さんやダンスチームの人達)  マナちゃんは嬉しそうに言った。 (うん、なんかカッコいいね) (ここは皆の好意に甘えていいと思う) (だね)  ありがとね、みんな。  本番ではダンス頑張るよ。  こうして私は、予定よりずっと早く看板作りに合流することが出来たんだ。  グラウンドの片隅では、矢島君と恵里香の二人が看板の紙を張り直す作業をしていた。  看板の下には新聞紙とブルーシートが敷かれている。  肝心のコウタはどこに? 「お待たせ」 「あれ? 茉奈、早くない? チアの練習もう終わったの?」 「こっちを手伝いに行ってもいいって、皆が言うもんで」 「……そっか。皆、気を利かせてくれたんだね」  事情を察した恵里香は、感慨深そうに一人ウンウンと頷いた。 「本田君はどうしたの?」 「買い出しに行ってる。塗料が足りなさそうって」 「そう」  一人で買い出しというのも大変そうだな。  もっと人手があればいいのだが……。  しばらくして、コウタが帰ってくる。 「藤谷? チアの練習は終わったの?」  あはは。恵里香と同じ感想言ってるや。 (コウタ君、恵里香と同じこと言ってるね) (私も今、そう思ったトコ)  私はコウタに事情を説明した。 「そうだったんだ。チアダンスチームの人達、イキなことするね」 (今度はマナちゃんと同じ感想だね) (ふふ、わたしも今、そう思ったトコ)  私とマナちゃんは心の中でクスクス笑いあった。  こうして看板の修復作業は四人になったんだ。  紙を貼り終えて、次は鉛筆で下書きの作業。  破れた紙は使えないが、参考資料にはなる。  私は破れた紙を、看板近くに広げた。  と同時に、A4サイズの絵の資料も各自用意した。  こっちのミニ資料は、矢島君が用意してくれたものだ。  彼は完成品をスマホで撮影したものを持っていたのだ。  それをプリントアウトしてコピーしたというわけ。  鉛筆を使い、皆で下書きを描いていく。 「みんな、ありがとね。俺のミスの為に申し訳ない……」 「後でジュースでもおごってくれたらいいよ」 「私は茉奈を手伝ってるだけだから気にしないで」 「僕はもともと看板係だから、本来の仕事をやってるだけだよ」  矢島君が快く手伝ってくれてるのは、バスケ部の問題を解決したのも影響してるんじゃないかと思う。 「みんな、ありがとう。後で全員にジュースおごるよ。御飯も」  コウタが少し笑みを見せる。  うん。いい笑顔じゃん。  テンション上げろとは言わないけど、過剰に落ち込むのも良くないと思うよ。  こうして私達は、良い雰囲気で看板の修復作業を頑張ったんだ。  夕日が落ちかけて、辺りは暗くなり始めてる。  作業は鉛筆の下書きも終えて、仕上げの彩色に入っていた。  体育館から戻ってきた私は皆に言った。 「ダメ。体育館はまだ満員御礼だったよ」  皆の表情がガッカリしたものになる。 「前日だから、さすがに体育館は混んでるか……」 「暗くなってきたけど、どうしよう? スマホの光じゃ無理だろうし」 「窓際に行けば、多少は明るくならないかな?」  コウタの提案にはマナちゃんが答えた。  皆には聞こえないので、私に向かっての言葉だ。 (窓際も悪くはないけど明るさが足りないと思うし、薄暗い中での作業は危険かも) (そうかな?) (疲れや視界の悪さから看板踏むとか、誰かとぶつかって看板にダイブするとか事故が起こる可能性もあるし、何より塗り方を間違えるのが怖い) (それはたしかに怖いね……皆も疲れて集中力が落ちてきてるだろうし) (そうそう) (じゃあ、どうすればいいと思う?) (正面玄関はどうかな? あそこなら広いし明るいから作業もしやすい。勝手にやると怒る先生もいるだろうから、職員室に話を通しておけば大丈夫だと思うよ)  なるほどね。  皆にもそう言ってみようか。  マナちゃんの提案を伝えると、みな賛成してくれた。  完全に暗くならないウチに正面玄関に移動して、作業を続ける。  職員室に話を通すのは私がやっておいた。 「よう」  いきなり背後から声をかけられる。  皆、塗るのに夢中になってたので人が近付いたことには気付かなかった。 「どうしたの!? 二人揃って!?」  驚いた私は素っ頓狂な声をあげた。  近付いてきたのは、松谷君と伊藤君の二人だったんだ。 「『どうしたの』はないだろ。俺らもその……手伝いにきたんだから……」  松谷君は目を逸らしながら言った。  後ろの伊藤君も俯いたまま、バツが悪そうな顔をしている。 「帰ったんじゃなかったの?」 「一旦帰ったけど、やっぱりこう……なんか……スッキリしなくてな……」 「手伝いに来たんだけど、迷惑か?」  モゴモゴ歯切れが悪い松谷君をフォローするように、伊藤君が言った。 「……本田君、どうする?」  全員の視線がコウタに注がれる。 「………」  これはコウタが決めるべきことだと思う。  おそらく皆も、そう思ったからなのだろう。  その場にいた全員は、じっとコウタの答えを待った。 「手伝いと言っても、後ちょっとで終わるんだけど……」  二人と目を合わせず、どこか険のある表情のコウタがぼそっと言う。  まあね。  今さら手伝いに来ても……ってのはあるよね。 「だ、だったら皆は帰っていいよ。残りの仕上げは俺ら二人でやるから。いいだろ? 松谷」 「ああ」  松谷君はぶっきらぼうに頷いた。 「最後の美味しいトコ取りされてもな……ここまで頑張ったのはここにいる全員だし、ここまできたら最後まで見届けたいのはあるよ」 「………」 「………」  コウタの言葉に、何も言えず黙る二人。  沈黙が訪れる。  誰も何も言わなかった。  しばらく重い沈黙が流れる。 「……………だから、俺は最後まで看板を見届けるよ。君らが作業する姿と一緒にね」  険のある表情だったコウタは、トゲが取れて柔和な表情になっていた。  許した、ということか。  手伝いに加わるのを認められた二人の顔がパッと明るくなる。 (やるじゃん、コウタ君。いまちょっとカッコ良かったよ)  それは私に言わんでくれ。  恥ずかしくなるんで。 「じゃ、後ちょっとだし、皆で頑張ろう!」 「おー!」  私が呼びかけると、皆は元気よく答えてくれた。 「……昼はすまなかったな、本田。明らかに言い過ぎだった……」 「俺もすまん。調子乗ってたわ……」  コウタと視線を合わせず、作業をしながら松谷君と伊藤君はたどたどしく謝罪の言葉を口にした。 (目を見て謝れないなんて、不器用だね) (ヒトに謝るの慣れてないんだろうね、二人とも)  マナちゃんは続けて言った。 (でも視線を合わせてないけど、謝罪の言葉には二人なりの誠意がこもってるように感じられたよ) (それは私も同意。不器用なりに気持ちは伝わってきたかな) 「……………いいよ、もう」  コウタは軽くそう言った。  無事、仲直りか。 (おお、いいじゃんいいじゃん。青春だねー。若いねー)  マナちゃんは楽しそうに囃し立てた。  気持ちわかるなあ。  いいものを見せてもらった私も気分良くなったから。  たぶん他の皆も、似たような心地よさを感じたと思う。  修復作業は良い雰囲気に包まれながら進んでいった。  そして、ようやく完成。  前日から修復作業をした上に、今日は複数人で作業をしたのが勝因だと思う。  看板は無事、完全に元通りになったんだ。  完成して皆はハイタッチなんかをしていた。 (やったね!) (うん!)  私もマナちゃんと心の中で喜び合った。  でも皆、喜んでいたけど、一番喜び、一番幸福だったのは間違いなく私だと思う。  なんたって私は看板を修復して、四年前のリベンジに成功したのだから。  イエーイ! やったね!! * * *  <真・自殺防止プロジェクト>は、最高に順調だ。  これならダメ人間であるコウタの自殺を本当の意味で止めることが出来るんじゃないかと思えてくる。  私達は今後のことを部屋で相談していた。 (最後の関門は大学受験だね) (そうだね) (これはどうするつもりなの?) (一浪してから合格したタイミングで、入学するのがいいと思うよ) (そっか。それなら本来の過去もあまり変えずに済むね)  本来の過去も一浪後、明城大学に合格してるので良案だと思う。 (学力はどうしよう?) (コウタ君がバスケ部を引退したら、勉強会をやろう) (恵里香も誘って?) (いや、今回はやめとこう。最近知ったんだけど恵里香、ホントは商業系の大学行きたかったみたいだし)  そういや彼女ホントは、高校も商業系の所に行きたがってたのよね。  大学は好きなトコに進ませてあげたほうがいいのかもしれない。 (勉強会は週一回?) (そうだね。週一回か二回のペースで。また小テスト作るし、勉強手伝うよ) (それで大丈夫かな?) (心配なら週三回か四回でもいいよ)  週四回はやり過ぎのような気もする。 (高校卒業までは週一回。卒業したら週二回か三回ぐらいでどうかな?) (その辺はコウタ君の学力もチェックしながら、臨機応変にやっていこう) (りょーかい)  マナちゃんはいつも頼もしい。  これなら<真・自殺防止計画>も完全クリア出来そうな気がする。  最初から最後まで世話になりっぱなしだなあ。  何か恩返しが出来ればいいんだけど……。 (ねえ、マナちゃん、私に何かしてほしいことないかな?) (ふふ、どうしたの? 急に) (いや、世話になりっぱなしだから、何か恩を返せればなあって思って……) (そんなこと気にする必要はないよ) (でも私としてはさ、何かしてあげたい気持ちがあるんだ) (………) (どうかな?) (………) (………) (………)  ……………。  ……………。  …………………??  急に返事がなくなった。 (……マナちゃん?)  気付くと、マナちゃんは下を向いて、ぐったりと項垂れていた。  顔色も非常に悪い。 (ちょ!? マナちゃん! 大丈夫?!) (………) (マナちゃん!!) (……あ、うん、ゴメン。平気だよ。ちょっとまた本を読み過ぎたのかも)  !?  一瞬、ほんの一瞬、マナちゃんが消えかかったような気がした。  笑って言ったが、マナちゃんは無理をしてるように感じられてしまう。  だってすごく───消え入りそうな笑顔に見えてしまったから。 * * *
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