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「またグラビアの表紙『宇佐美かれん』か。幼女もってこいよ。健康的で貧乳な美少女をさ」
吉永努は生粋のロリコンである。恵まれた家柄と容姿、天性の物を持ちながらここまで残念な人間を俺は未だかつて見たことがない。冷ややかな視線を送るのをやめて作業に戻ろうとすると、バックヤードの扉が開いた。
「由乃先輩、吉永先輩―。聞いてくださいよ―」
慌ただしく入ってきたのはアルバイト店員の夜乃そあら。
俺より一個下の後輩で彼女も吉永先輩と俺と同じ大学に通っている。小柄でクリっとした大きな瞳。全体的にこげ茶の髪色に毛先だけピンクに染めたボブヘアスタイル。バイト規定のエプロンの下には派手なTシャツを着ている。渋谷センター街を歩いていそうな今どきの女子大生だ。
物静かな神保町の街並みには少し浮いている。
「明日発売のジャピン、届いてるなら今日買わせろってお客さんがしつこいんですー」
ジャピンとは週間少年漫画雑誌のことである。通常、雑誌は発売の前日までに店に搬入しているが、発売前に店頭に置いた場合、各所から総たたきにされる。
「発売前の商品は販売できません。これは当店だけではなく全国の書店でのきまりですって言ってもだめ?」
「説明しましたけど納得いかない様子で、まだうろうろしてますー。社員さんに対応して貰おうと思ったんですけど、ちょうど他のお客さんに捕まってて」
更年期を迎えた厄介な中年男性のクレームを女の子に対応させるのも酷である。俺は紐結びの作業を止めて立ち上がった。
「わかった。じゃあ俺が代わりに言ってくるよ。どんなお客さん?」
「いえ、先輩の手を煩わせるわけにはいきません。ここはそあらが敵をいなしてみせます!」
なんだか嫌な予感がする。怖いもの聞きたさで尋ねてみる。
「ちなみにどうやって?」
「話し合ってもわからない輩は裏口に誘い込み、壁に嵌めてモブおじさんの刑に処します☆」
ほら予想通り。とんでもないことを言い出した。呆れている俺の横で吉永先輩は妙に感心した表情で頷いていた。
「なるほど。目には目を、歯に歯を理論に基づいて、おっさんにはおっさんを充てがって報復するということだな。よし、やったれ」
「らじゃーです! 壁尻でモブレの洗礼を浴びせて新たな扉を開かせてやります! ようこそ、ボーイズラブの世界へ☆」
夜乃そあらは生粋の腐女子である。それは趣味だけに留まった話ではない。『蒼井はるひ』というペンネームで活躍する人気壁サーの同人作家だ。こじらせた性癖丸出しな過激エッチシーンが売りである。吉永先輩という人生に離脱したロリコンと自主規制音が絶えない変態少女そあらに挟まれた俺の気苦労をおわかりいただけるだろうか。呆れて何も言えないでいると、二人はおじさんを壁に嵌める算段を話し始めたので俺は今度こそ重い腰を上げた。
「もう良いです。俺が対応してきます」
「いってらっしゃいませー」
吉永先輩とそあらに作業を任せて店頭に向かう。
雑誌コーナーで、それらしきおじさんを見かけて声を掛けようとすると、おじさんは颯爽と店の外へと消えていった。
恐らく、そあらの様な若い女の子に理不尽な要求を突きつけて、反応を楽しんでいただけだろう。はた迷惑な営業妨害のせいで危うく処女を失いそうになったことをおじさんは知らない。いや、むしろ一生知らなくていい。
やれやれといった感じで、ため息を付きながらバックヤードに戻ってくる。
「由乃先輩、お帰りなさい! 壁尻おじさんはどうなりました?」
壁尻おじさんって何だよ。お前の新刊同人誌のタイトルかよ。
そう返したら、そあらが喜んで乗ってきそうなので気にせず話を続ける。
「探したけどそれらしき人は居なかったよ」
「なんだ、結局帰ったんですね! これで一件落着ですね」
「うん。二人とも作業ありがとう。俺も戻るよ」
持ち場に戻りつつ、吉永先輩が結んだ雑誌に視線を移す。
結ばれた成人向けの雑誌を見て、俺は絶句した。
「その縛り方はなんですか」
「亀甲縛りだよ」
なんでだよ。しかも無駄にいい声で言わないでくれよ。そあらも真似し始めちゃってるし。
「できた!」
「マニュアル通り結んでください!」
「そういう型にはまった生き方してるから、お前はいつまで経っても童貞なんだよ」
「いや、俺が童貞とか関係ないですからね!?」
「由乃先輩、童貞なんですか? 仲の良い男友達紹介しましょうか?」
「そこは女友達を紹介してくれよ!」
不真面目な二人を注意しただけなのに、何で女性経験がないことをネタにされて無駄にダメージ食らわせられなきゃいけないんだよ。というか憶測で言ってるだけだろ。
まあ、実際にそうなんだけど。今まで彼女すらいたことがない。
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