第三章

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「ありがとうございます。先生も私のサインいつか貰ってくださいね」 「そうだね。小説の単行本が発売したら貰おうかな」 「それと……私。先生に絶対に追いつきます。先生みたいな多くの人に感動を与えられる作家になります。だから……待っててください」  透子さんの言葉を聞いて、上里先生は微笑んだ。 「もう君は昔の紬木君じゃないんだね。安心したよ。これからも君の成長を楽しみに待ってる」  そこで時間が終わり、透子さんは上里先生の前から退いた。サイン会の列を抜けると、透子さんはその場から逃げ去るようにして会場の外に出ていった。思い立つよりも先に体が動いて、俺は透子さんを追いかけていた。  店から少し離れたところで透子さんの後ろ姿を見つける。 「透子さん!」  俺の声に反応してゆっくりと振り返る。走ったせいで微かに息が上がっていた。 透子さんは上里先生と握手した左手のひらをそっと返した。  そのまま掌を見つめる。無心の表情からは何も読み取れない。 「初めて触れた先生の手は暖かくて優しかった。嬉しかったはずなのに……なぜか切ない」  澄んだ瞳から涙が零れ落ちる。それから積を切ったように涙が溢れ続けた。 「そっか……ずっと気づかなかったけど、先生に抱いていた気持ちは恋だったんだ。だから悲しいんだ……それが終わったから切ないんだ」  無自覚だった恋心。始まりがいつだったのか恐らく自分でもわからないのだろう。  でも、俺は思う。きっと出会う前から惹かれていたのだ。彼が物語を紡ぐ才能に。 物語に導かれて彼女は彼のもとまで辿り着き、初めて他人に心を許せたのだから。 「透子さん……」 「ごめんなさい……すぐ泣き止みますから……でも、止まんなくて……っ」  涙を必死に拭う彼女の体を俺は抱き締めた。 「よく頑張りました。お疲れ様です」  彼女は鼻を啜りながらゆっくり頷いた。 NEXT 7月30日
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