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後ろから突然聞こえた日本語に振り向くと、そこには黒髪の背の高い女性が立っていた。彼女は驚く僕たちを尻目に、にこりと笑った。
「突然すみません。お2人が入ってきたとき、日本人の方かな?て思って、話しかけたんです。パブに入って会釈したり手を上げて注文するのって、日本人くらいですから。」
僕はなんだか恥ずかしくなって、ゴッピーと顔を見合わせた。細かいことは気にしない彼も、今回ばかりはなんだが気まずそうな様子で、苦々しく笑った。
「あ、お気を悪くしたらごめんなさい。日本人に会うの久々だったのでつい。イギリスやアメリカやオーストラリアと違って、この国では日本人なんてほとんど見ないんですよ。」
彼女はそう言うと、僕たちの隣の空いた椅子に腰掛けた。
「私、洋子って言います。あなた方は?」
「僕は駿介です。後藤て苗字だからゴッピーって呼ばれてます。こいつはヨッシー。」
ゴッピーは自分と僕を交互に指差して紹介した。義人です、と僕は付け加えるように訂正した。
「お2人は観光でいらっしゃったんですか?」
「はい。アイルランド音楽が聴きたくて来たんすよ。洋子さんも観光すか?」
「いえ。私はこの近くにある、トリニティカレッジダブリンていう大学に、交換留学生として留学しているんです。アイルランドの文学について勉強してます。イェイツとか、ジョイスとか。」
話によると、彼女は早稲田大学の文学部で英文学を専攻する中で、アイルランドの文学に傾倒して、留学にやってきたとのことだった。
「なんでアイルランド文学に興味持ったんすか?」
ゴッピーの問いに、洋子さんはまた微笑んで答えた。
「私がアイルランド文学に興味を持ったきっかけは、イェイツっていう人の妖精のお話だったんです。なんだが、日本と似てるなぁって。アイルランドって、妖精への信仰が根強い国なんです。多くのキリスト教の国は、神といえば1人の神しかいないんだけれど、アイルランドはキリスト教と一緒に、たくさんの妖精たちが、同じように今でも信仰されているんです。日本でも、妖怪だとか精霊だとか、そういう色んな"変なもの"が、何でも物語の中に現れて、その存在を許されて、信じられているでしょう?そんな何でもありな感じが、私はすごく好きなんです。」
そんな話をすると洋子さんは、マスターに流暢な英語でお酒を注文した。しばらくして運ばれてきたのは、ギネスとは違う、赤茶色に透き通ったビールだった。
「これ、スミズウィックスっていうビールなんです。アイルランドはギネスビールが有名だけど、これも美味しいから、今度頼んでみるといいですよ。」
ギネスを飲み終わって僕たちがパブを発つ直前、洋子さんは机にあったナプキンのはしっこに、何やらメモを書いて渡してくれた。
「これ、私のおすすめのパブの名前です。アイルランド音楽を聞きに来たのなら、ここに行くといいですよ。」
僕とゴッピーは2人で相変わらず会釈をして、パブを後にしたのだった。
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