散策

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 そんな具合だったので、昼過ぎにはダブリンの市街地にある大体の観光地をまわってしまった。所在なく歩いていた僕たちは、たまたま街の中心部にあるグラフトンストリートという道へと迷い込んだ。このストリートはどうやらメインの商店街みたいなもののようで、宝石や衣服、土産物などを売っている店が立ち並んでいる。ただでさえカラフルな店が多いダブリンの街でも特に色彩豊かな街並みで、僕はむしろ目がちかちかしてしまった。車は入ってこれないようになっているその道は、観光客で溢れかえっていた。無論、僕たちもその1人なのだが、そんな人混みに身勝手にも辟易としてしまった。  僕たちは、逃げるようにストリートの片隅に見つけたマクドナルドに入りこんだ。お金もあまりなかったので、1ユーロのハンバーガーだけをテイクアウトし、それをほおばりながら人混みをかき分けて道を歩いた。ハンバーガーは日本で食べるのと全く同じ味で、僕は少し残念だったりもした。 「洋子さんが教えてくれた店の名前、何だっけ?」  ゴッピーが、口にハンバーガーを入れたまま、くぐもった声でそう聞いてくる。正直、僕は洋子さんに聞いたパブのことなど忘れてしまっていたので、慌てながら、彼女に貰ったメモを開いた。そこには小さな文字で、コブルストーン、と日本語で書かれていた。 「どこにあるんだろう。」 「今日、観光がてら探しておけばよかったなぁ。」  ゴッピーがもしゃもしゃとハンバーガーの最後のひとかけらを口に突っ込みながらそう言った時、ストリートの脇に伸びる小道から、かすかに音楽が聞こえてきた。小道に目をやると、白髪の小さなおばあさんが椅子に座って、ひょこひょこ、と茶色のアコーディオンのような楽器を弾いている。僕たちはアイルランドに来てから初めて出会ったミュージシャンとその演奏に、思わず立ち止まった。しばらく聴いていると、おばあさんがアコーディオンを弾きながら声をかけてきた。          「ハロー。」 「ハロー。グッドミュージック。」  ゴッピーが返すと、おばあさんは笑いもせずに、サンクス、といった。そして、また視線を落とすと、ひたすらアコーディオンを弾き続けるのだった。おばあさんは何度か同じメロディを繰り返し弾くと、今度は別のメロディを繰り返し弾いたり、そうかと思えばまた元のメロディに戻ってきたりした。おばあさんの弾き方は決してこれ見よがしなものではなかった。繊細だけど伸びやかで、なんだか空をゆっくりと漂う雲みたいな音色だ。その小道だけまるで時間が止まってしまったみたいだった。  僕とゴッピーはなんだか吸い込まれるように、無言で演奏を聞きながら、5分も10分も、ずっとおばあさんの前に立ち尽くしていたのだった。小道の奥に教会があって、その白い壁は徐々に夕日のペンキで塗られていく。その上を飛ぶ数羽のカモメを、僕はずっと眺めていた。
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