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プロスペル・メリメ『カルメン』
ファムファタルというとなにを思い浮かべるだろう。筆者の読書歴からだと、ワイルドの『サロメ』とメリメの『カルメン』、他は『トロイ戦争は起こらない』に登場するエレーヌ(ヘレネ)などだ。
ファムファタルということばは、一般に「悪女」と捉えられることが多いが、「宿命の女」つまり、「男を破滅させる女」というようなニュアンスを持つ。悪女というと、どうしても善悪の「悪」を思ってしまうが、本来ファムファタルとは善悪を超えた神秘的ともいうべき空想的感覚なのだと思う。
ということで、「ファムファタルとは単なる『悪意を持った女』ではない」ということを念頭において、以下の筆者の思考を読んでもらいたい。
先に挙げた三者のうち、サロメとエレーヌの場合、悪女というには「悪意」が欠けているように思う。サロメの場合は幼さと純粋さゆえの狂愛であり、彼女はおそらく、彼女自身の残虐性、あるいは倒錯した感覚を自覚していない。エレーヌの場合は純粋な少女とはいえないかもしれないが、彼女は決して能動的に行動しているわけではなく、ただ宿命に身を委せているといった風だ。
カルメンの場合はどうか。カルメンの場合も、彼女は物語の舞台スペインにおいて特殊な立ち位置のジプシーという民族に生まれ、また占いによって自身の殺される運命を知っていたということもあり、彼女の行動はそれにしたがって生きた結果ともいえるのだが、このカルメンという女性には「自由に生きる」というような能動的な行動原理があるようだ。それゆえに彼女は進んで仲間とつるみ、罪を犯す。そこにはある種の狡猾さとその自覚が感じられ、覆すことのできない「宿命」という枷をむしろ逆手にとって、悪事を行う上でのある種の言い訳として利用し、自分の生き方・信念のよりどころとしていたのではないかとさえ思われる。
もちろん、ひとりのジプシーとして自由に生ききった情熱の女であるからには、カルメンは今筆者が書いたような理屈めいた思考を明確に意識していたわけではないのかもしれない。しかし、彼女が他のファムファタルよりも多少自覚的で能動的であることはたしかではないかと思う。カルメンは、このアグレッシブな性格が、先に挙げたようなファムファタルとは違う魅力としてひとつの差別化、スパイスになっていると思う。
今回描いた絵は、カルメンの野性的な魅力あふれる逃走シーンである。
工場で同僚を傷つけたカルメンだが、監獄への護送を命じられたドン・ホセをまんまと味方につけて、「彼女のふいの拳の一撃で倒され、逃してしまう」という芝居を打たせて、蛇のように曲がりくねったセビリアの小径を駆け抜けていくのだ。このようすはホセの視点で語られるのだが、仰向けに倒れた自分を飛び越えて駆けていくカルメン嬢の足の美しさと速さが描写されている。
後から、作中に登場するマンティーヤという頭にかぶるスカーフのような服飾を足したく描き足したが(二枚目)、ただの長い布になってしまったし、絵としての形も締まらないものになってしまったような気がする……と書いたら、この文章まで締まらないものになってしまったが、とりあえず締める。おしまい。
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