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梶井基次郎『桜の樹の下には』
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という一文から始まる、衝撃の短編小説。非常に短くすぐ読めるので、未読の御仁はぜひとも先に検索して読んでいただきたいのだが、—— さて、この小説、勢いもあれば内容自体のインパクトもあって、声に出して読んでみたいと思いつく読者も多いのではないか。もしも国語の授業で、「近代文学の短編から好きなものを選んで朗読しなさい」などという課題が出たとしたら、この作品を選ぶ生徒が大勢いることだろうと思う。
同じ梶井作品だと、先に取り上げた『檸檬』は非常に美しい小説だが、ゆったりとしている。勢いよく読み切って、「ああ読んだ、なんと気持ちがいいのだろう!」と思えるのはこちらの方なのではないか。
そういうわけで、筆者はもうなんどもこの小説を声に出して読んでいるのだが、うまく読もうとするとしぜん、初見で読むときには見落としがちな箇所が気になってくるものである。
筆者がくりかえし読むうちに気になったこと、それは、「この作品の語り手は、いったいだれに対してこんな戯言を言っているのだろう」ということだ。
友人だろうか。—— いや、それならば剃刀の話はしまい。
女房だろうか。—— だったらおもしろいが、女房が気の毒だ。
使用人だろうか。—— あいにく筆者には想像がつかない。
いや、筆者の答えはこうだ。——
—— 猫である。
「どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。」(本文より)
言ってねえよ。
「――おまえは腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。」(同じく本文より)
拭いてねえよ。
猫は常にポーカーフェイスで、主人の戯言にはお構いなし。—— 主人は主人で、そんな猫さまの「お構いなし」にはお構いなしに、ぶつぶつとひとり、つづけるのである。
どうだろうか。いったいどこのだれだかもよくわからない変梃りんな語り手が、シェイクスピアの『マクベス』の冒頭の魔女たちのセリフのような「きれいはきたない/きたないはきれい」の論を桜の花に見出してべらべらと一方的にしゃべっているだけの光景が、なんとも微笑ましい、和みをもたらす陽気な春の昼下がりの光景に見えてはこないだろうか。
ああ、語り手は猫に語っている!
いったいどうして思いついたかもわからぬ筆者の空想の猫が、梶井基次郎のこの作品のイメージとぴったりひっついて離れていこうとはしない。
今こそ筆者は、だれよりもうまく梶井氏の傑作『桜の樹の下には』を読めそうな気がする。
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本文の抜粋は青空文庫を参照。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card427.html(青空文庫|図書カード:桜の樹の下には)
もはや引用とすらいえないが、まあ、パブリックドメインですので…… ^^;
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