オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』

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オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』

 さて、どこから語ったものか……。  ワイルド作品『ドリアン・グレイの肖像』の魅力は、なんといっても芸術至上主義的な表現にあると思う。  この作者ワイルドは、皮肉ばかり並べ立てているがほんとうのところモラリストだ、と評されることもある。筆者の愛読している新潮文庫刊の文庫本の巻末に添えられた佐伯彰一氏による評がそうだ。氏はこの小説を「倫理的な寓話」とまで表現している。それは、悪徳に染まった青年ドリアンが最終的に自身の「良心」に耐えられなくなって破滅してしまうというある種の道徳的な結末やそこへいたるまでの葛藤を「倫理的」ととらえたものだろう。  しかし私は、ドリアンの中のそういったものは物語としての体裁を保つため、あるいは人間的な魅力のあるキャラクターを保つための手段と解している。つまり、物語としての芸術性に深みを出すための手段に過ぎないと。  清純であったドリアン青年をそそのかした快楽主義者ヘンリー・ウォットン卿の視点から見れば、ドリアンの破滅はまさに芸術至上主義的な結末だろう。彼はドリアンを快楽へと導こうとさまざまなことばをかけるが、ひょっとすると良心的な青年のさながらハムレットのような煮え切らない苦悶状態にいたっても、この快楽主義者にしてみれば彼の快楽の種に過ぎなかったかもしれない。  この劇の……とうっかり書いてしまったが、この小説のテーマのひとつとして、現実の出来事をあたかも芝居を見るかのごとく外側から眺めるという、一種のメタ構造がある。これをだいいちのテーマと置くならば、読者はヘンリー・ウォットン卿の視点でドリアンという主人公を眺めることになる。この構造を明確に表しているセリフ……とまたうっかり書いてしまった、この構造を明確に表している一節がある。第八章、ドリアン青年は、自分の冷酷な言動のために結果的に恋人を死なせてしまったことを苦悶する。その青年に対してヘンリーがかけた慰めのことばだ。  "No, she will never come to life. She has played her last part. But you must think of that lonely death in the tawdry dressing-room simply as a strange lurid fragment from some Jacobean tragedy, as a wonderful scene from Webster, or Ford, or Cyril Tourneur. The girl never really lived, and so she has never really died. To you at least she was always a dream, a phantom that flitted through Shakespeare's plays and left them lovelier for its presence, a reed through which Shakespeare's music sounded richer and more full of joy. The moment she touched actual life, she marred it, and it marred her, and so she passed away. Mourn for Ophelia, if you like. Put ashes on your head because Cordelia was strangled. Cry out against Heaven because the daughter of Brabantio died. But don't waste your tears over Sibyl Vane. She was less real than they are."  「『そう、彼女は二度と生き還らない。彼女は最後の役を演じおえた。しかし君はこの安っぽいドレスルームでの孤独な最期をだね、ジェイムズ一世時代の悲劇作品として、—— その奇妙で燃えあがるようなひとつの断片として、—— ウェブスターやフォード、サイリル・ターナーの描いた見事なワンシーンとして —— とらえなくちゃならない。少女は現実に生きちゃいない、だから現実に死んでもいない。少なくとも君にとっては、彼女は常に夢だった。—— それは劇中を飛びまわりシェイクスピアの舞台をより美しくして消えゆく影、—— シェイクスピアの音楽をより芳醇により喜びに満ちたものとして鳴らす葦笛だったのだ。そんな彼女がじっさいの生活に触れてしまった、—— そのとたん、触れられたそれは崩れ去ってしまい、そして彼女自身も傷ついてしまった。だから彼女は()ってしまったのだよ。オフィーリアのために嘆くがいい、君がそうしたければ。コーディリアが絞め殺されたから、君は灰をかぶるのだ。ブラバンショーの娘が死んだといって天国へ向かって叫ぶのだ。だがね、シビル・ヴェインのためにその涙を使ってはいけないよ。シビルは彼女らよりも現実から遠いのだから』」  ("The Picture of Dorian Gray, by Oscar Wilde" 原文はプロジェクト・グーテンベルク参照、邦訳は筆者による)  ヘンリーはドリアンを、ドリアンはシビルを劇中人物として扱うこととなった。では読者は……、やはりヘンリーと同じく、主人公ドリアンの悲劇を、彼の良心との葛藤を、あくまでもひとつの物語として眺めるべきではなかろうかと私は思う。  ところで、この小説は先に挙げたドリアンとハリー、そして青年ドリアンの破滅のきっかけとなる彼の肖像画を描いた不幸な画家バジル・ホールウォードを中心に展開するのだが、第五章では悲劇のヒロイン・シビルがちょっとした主人公になっている。ドリアンとの恋に夢中の彼女をはじめは母親、ついで弟のジェイムズがたしなめるが、恋した少女は耳を貸さない。華やかなヒロインの性格とともにその危うい恋心が甘美な描写で表されるロマンチックな文章だが、ここにもまた、端的で小洒落た一文がある。  "She was free in her prison of passion."  「彼女は情熱の牢にあって自由だった」  (同上)  これはもう描かざるをえまい……そう思って、エドガー・ドガの有名な絵画『エトワール』を参考に描いたのが、以下の拙作『情熱の牢』である。 84c0ef0f-4e74-42e1-8905-99aea2424a32  —————————— ・原文引用元 プロジェクト・グーテンベルク トップページ http://www.gutenberg.org 『ドリアン・グレイの肖像』 http://www.gutenberg.org/ebooks/174 (2019/8/12 閲覧)
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