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ホテルのフロントもまた、ヤポニ語とは明らかに異なる言語を話していたが、幸運なことにその人物はヴィンランド・イングリッシュが話せた。そこでパトリック氏はホテルのオーナーに「何故ヤポニ語が通じないのか?」と訊ねることにした。
“My boss can speak Yaponese language. May I call him?”
フロントは、ヴィンランド・イングリッシュでそう尋ねたので、パトリック氏も
“OK. Please”
と応えた。
ともあれ、ようやくヤポニ語が通じる人物を見つけたので、彼も安堵する。
ヤポニ語が通じるホテルのオーナーは、随分と毛深く、顔の彫の深い人物だった。
「パトリックさん、ヤポニ語が通じなくて難儀したことでしょう」
オーナーは、流暢なヤポニ語で彼に語りかける。それに対して、パトリック氏も、所々ヴィンランド・イングリッシュの混じる言葉で受け答えする。
「ええ、道往く人たちも、カフェの客も、聴いたことのない言語で話していて…。私は寝る間も惜しんでテキストでヤポニ語を勉強したのですが、そのヤポニ語が通じないのは、どういうことでしょう?」
「貴方は随分古いテキストで、ヤポニ語を勉強されたようですね。きょう日ヤポニ語を話す人なんて、この国にはほとんどいませんよ」
「それはどういう…」
「ヤポニ国の民族構成は、四種類に大別されます。一つはこの国のマジョリティであるヤポニ人、残りの三つは南方の列島に住むレケオ人と北方にすむウタリ人、それに、戦前に渡ってきた、あるいは戦争から逃れて来たコリオ人です」
「それとヤポニ人がヤポニ語を話さないのと、どういう関係があるのですか?」
「まあ聴いて下さい。今から30年ほど前、マイノリティであるレケオ・ウタリ・コリオの三民族は、文化的アイデンティティの危機にありました。当時、これらの民族は、マジョリティであるヤポニ人から迫害され、理不尽な差別を受け、言語や慣習が抹殺される寸前までいったのです。それを見兼ねたヤポニ国政府は、画期的な政策を打ち出しました」
「その政策とは何でしょうか?」
「『50歳未満のヤポニ人の男女全てに兵役の義務を課す。有事の際も、国民皆兵として侵略者に断固として立ち向かう。但し、レケオ・ウタリ・コリオの三民族は、兵役の対象外とする』という法律です。その法律が施行された途端、『軍隊に入って理不尽な目に遭いたくない』『ヤポニ国政府の命令で戦場に行って死にたくない』というヤポニ人は、我先にウタリ語やレケオ語・コリオ語を覚え、勢い、ヤポニ語の話者は急激に減少したわけです。中でも人気だったのは、ヤポニ語とは似ても似つかぬ言語であるウタリ語でした。今や、この国ではウタリ語の話者が50パーセントを占め、残りもレケオ語やコリオ語を話す人々でほとんどが占められています。今現在ヤポニ語を話せる人は、この国の全人口の1パーセントもいないでしょう」
「そ、そうですか…」パトリック氏は納得した。ヤポニ人は、「平和を愛好する民族」として知られている。しかし、それでも「戦争に行きたくない」という理由で自らの言語さえ棄て去るとは…。「ところで、貴方は流暢なヤポニ語を話されますね。貴方のような方こそが、『本物のヤポニ人』と言えるかもしれません」
パトリック氏はそう話す。ところが、ホテルのオーナーはこう言ってのけた。
「ハハハ。何をおっしゃるのですか?私は生粋のウタリ人ですよ。しかし、この国に侵略者が現れたら、私は自ら銃を手に執り、戦うつもりでいます。私だけではありません。私の友人のレケオ人やコリオ人も、異口同音にそう言います。それがウタリ・レケオ・コリオの文化や言語を復活させてくれた政府への、我々からの最大の恩返しになるのですから」
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