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 福岡県福岡市のある地区に、在日コリアンの集住している場所がある。  その中の一角に店舗を構える「松島洋菓子店」。読み方は「まつしまようがしてん」だが、店主の済州島系在日コリアンのコ・ヨンチョル(通名:高田永男)は「ソンド洋菓子店」という呼称のつもりで店名を付けた。これは、彼の妻のイ・チュンヒの本貫が開城(旧称:松都=ソンド)だったので、そこに因んだものである。  ある日、店主のヨンチョルは所要があり、店休日を利用して天神の銀行に赴いていた。その帰り道に、彼は何やら大声で呼びかけている人々を目にする。 「私たちは『日本国憲法・特に第9条を聖書・コーランと並ぶ人類普遍の聖典にしようの会』略称『9聖の会』で~す!二十数年前より続く『憲法第9条にノーベル平和賞を!』の運動にご署名をお願いしま~す!」 「おねがいしま~す!」  まだ若い、あどけなさの残る「会員」たちが声を張り上げる。  ヨンチョルは普段より「憲法第9条」の理念を高く評価していた。アジア・太平洋戦争で多大な犠牲を払ったものの、その結果として戦争放棄を謳った「第9条」という素晴らしい条文を日本国民は手に入れることが出来たのである。ヨンチョルは在日コリアンではあるが、「第9条」という素晴らしい条文を持つ日本人が心底羨ましい、と常々思っていた。そこでヨンチョルも、「9聖の会」の会員たちが声を張り上げている、天神コアの前に立ち寄り、「憲法第9条にノーベル平和賞を!」の署名欄に自分の名を記す。本名である「コ・ヨンチョル(高永哲)」と。そして彼がふと見上げると、「9聖の会」の、30代ほどの会員が、露骨に嫌な顔をしていた。ヨンチョルはその時、何か不穏な予感がした。その予感は後ほど的中するのだが…。
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