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「春なのに、寒いね」
秦さんに言われて始めて、今が春なのだと思い出す。
だからか。最近啓がよく私の脳裏に映るのは。
「春は、寒いものなんですよ」
さめざめとしたコンクリートは空よりも冷たく、心が燻る。
苦々しい私の思いがコンクリートに溶け出しそうだった。
秦さんと並んで歩く権利がないのではないか、と思えて、一緒に歩くことを恥じていた。
「innocent worldって曲知ってる?」
「え、ああ、ありますね」
駅まであと少しのところで、秦さんが言った。
私はあまり好きでもない曲だったから、ただ頷き、なんとなく愛想を振っていた。
そういう自分の変化に、禍々しさを感じる。
「innocentって、どんな意味か知ってる?
「無罪とか、潔白でしたっけ」
「そうだよ。そんな世界がこの世にあると思う?」
改札まであと少しのところで秦さんは立ち止まる。
私も倣うように立ち止まって、秦さんを見上げた。
こう見ると、秦さんの身長はすごく高い。
いつも座っていたり、遠くから見ているだけだったから、あまりわかっていなかった。
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