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先輩、あたし、なにかしましたか。むしろ、されたのはあたしじゃないかと思うんですけど。
じんじんと痛む額をさすりながら、もう一度ゆっくりと課内に視線を這わす。そこであたしは、部屋の奥にドアがあることに気が付いた。
「あの、先輩?」
意を決して、ドアを叩く。なんの反応もない。でも、いるとすればここしかないはずだ。
「あの、先輩! 最上先輩!」
叫ぶと、返事の代わりにガタガタと物音が聞こえてきた。なんだ、やっぱりいるんじゃないか。
安心しかけたところで、今度はうろたえた声と笑い声が響いてきた。ドキリと心臓が跳ねる。
「あ、あの……」
いったい扉の向こうでなにが起こっているのだろうか。みるみる高まりはじめた不安が極限値に達しそうになったところで、開かずの扉が内側から開いた。
「どうも、こんにちは」
「こ、……こん、にち、は?」
現れたのは、藍色の着流し姿の三十代くらいの男の人だった。
着流しで出勤するなという規定はないかもしれないが、男性職員の九割五分がスーツを着用している。そこに混ざれば、まず目立つ。
にもかかわらず、あたしはこの人のことを噂に聞いたこともなければ、会ったこともなかった。五百人近い職員がいるけれど、初対面だと自信をもって言い切れる。
――だって、一回見たら忘れられないよ。先輩とはまたべつの意味だけど。
つまるところ、めちゃくちゃきれいな人だったのだ。男の人に「きれい」という形容詞がふさわしいのかどうかはさておいて。
身長も高いし、女の人みたいというのとも違うのだけれど、色素の薄い雰囲気と相まって浮世離れした雰囲気がある。
その人が、固まっているあたしに、にこりとほほえんだ。
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