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「お疲れ様だったね」  よれよれになって、よろず相談課に戻ってきたあたしたちを、七海さんは朝と変わらない笑顔で労ってくれた。課長の席はもう無人である。 「定時過ぎちゃったからね、課長は帰ったよ」 「七海さんは待っていてくださったんですか?」  申し訳なさの滲んだあたしの声に、七海さんは笑顔で首を横に振る。そのあいだに先輩は自分の席にどっかりと腰を下ろしていた。 「僕は仕事が残っていたからね。それで、どうだった? はじめての外回りは」 「え、……っと」  曖昧にへらりとした笑みを浮かべて、先輩を横目で見る。  どう言えばいいのかわからなかったけれど、思ったままを言葉にした。 「そうですね。あの、なんというか。なんで先輩が毎日つなぎでふらふらしていらっしゃったのか、よくわかりました」  小さく目を瞬かせた七海さんが、そうだねと穏やかに頷いた。 「明日からは、三崎くんももっとラフな服装で来たらいいよ。今日は気を使ってくれたんだろう?」 「はは、ちょっと、選択を間違っちゃったような気もしてたんですが。そう言ってもらえると救われます」  笑ったあたしに、七海さんもにこりとほほえんだ。 「三崎くん。今日はお疲れ様。定時も過ぎたし、もう上がったらいいよ」 「え、でも。なにか報告とか」 「明日でいいから。ね、真晴くん」  その声に、いかにも渋々と先輩が顔を上げた。そして小さく手を振る。さようならというよりは、犬を追い払う手つきだったが。 「明日教えてやる」  でも。 「ありがとうございます! それじゃ、お言葉に甘えて、お先に失礼します」  その言葉に、疲れも緊張も忘れて、愛想笑いではない笑顔で頭を下げる。スーツの汚れも、パンプスの汚れもまったく気にならない。  今日の朝、なにも教えてやらんと言わんばかりだった先輩が、明日教えると言ってくれた。  ほんの少しだけでも認めてもらえたのかなと思えばうれしい。  懐くのに時間のかかる野生動物みたいなものだから。そう笑っていた七海さんの台詞が頭によぎって、あたしはひとりでふふと笑った。  たしかにこれは、野生の動物を懐かせた優越感と少し似ている。
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